差別問題に関するリーフレット「ひとりとわれら 一人ひとりの「原発」問題」
差別問題に関するリーフレット「ひとりとわれら 一人ひとりの「原発」問題」

2011年3月11日の東日本大震災、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故は、現代を生きる私たちに様々な問題を提起しました。被災地では未だ多くの方々が悲しみや苦悩を抱え、原子力発電所事故による放射能飛散と被ばくの痛ましい現実は、収束したとはいいがたい状況が続いています。私たち一人ひとりがともに生きあえる、そして未来を生きるいのちのために、「原発に依存しない社会の実現」を願い、このリーフレットを発行いたします。

 

愛する者たちへ一緒に闘いましょう 詩人 中村純

長い夢を見ているのならどんなによいでしょう。私は、まだ3月11日の延長上の時間にいます。時間が私を追い越していきます。当時2歳だった息子は、4歳になりました。

夢であったらよかったのに、幾度そう思ったかわかりません。人生で初めて体験した、大地そのものが転覆するかのような地震、息子がおびえた、ひと月以上続いた携帯の緊急地震速報。地震と津波は、東北の大地を暮らしごと、人のいのちごと呑みこみました。海の底に今もある人々の暮らし。さかさ雨のふる海の底で、そのいのちはどのように在るのでしょう。2歳の息子を抱え、京都に一時避難して、東北の海の底を思っていたとき、東京電力は、汚染水を大量に海に投棄しました。ご遺体もあがらない海に、です。

私たちは、いつまで、このようにいのちが踏みにじられるのを、見続けなくてはならないのでしょう。これは、大量ジェノサイド(虐殺)ではないのでしょうか。明るいガス室に、国民を置き去りにして、見え透いた嘘と隠ぺいを重ねる国を信じ込もうとする私たちの弱体化した知性。私たちは、夢を見たまま、静かに病んで、死んでいくべきですか?

福島県からの避難者は、今も16万人。子どもたちの健康を不安に思った関東からの避難移住者も多く、京都に暮らしています。線量も高い、土壌汚染もひどいエリアに、人が暮らしています。チェルノブイリ事故後のベラルーシの基準でいえば、福島県全域、北関東、首都圏の半分が、移住権利区域と放射線管理区域の土壌汚染に認定される値を示しています。そこに、人びとは、表面上は、何事もなかったかのように、原発事故はもう収束したかのように、汚染はなくなったかのように暮らしています。

しかし、私たちは、夢を見ていないで、愛する者たち、未来の者たちを守るために目覚めて、正気でいなくてはなりません。病んでもいけません、死んでもいけません、泣いてもいいから、歩き続け、闘い、できることをし続けていかなければなりません。

子どもを抱えた親たちが、西に逃げてきます。東に残る親たちが、必死に安全な食を求め、砂場を入れ替えます。子どもたちに、謝らなければなりません。大地に足の裏をつけたことのないちいさな人たちに。鴨川は触っていいの?と、私を見上げた3歳だった息子に。私は子どもを産んで大丈夫なの?と、訊いてきた10代のあの子に。

一緒に闘いましょう。昨年亡くなった、大好きな先輩が手渡してくれたこのことばの、逝ってしまったひとの離された手を、私はまだ握ろうとしながら、その手を、もっと多くの人とつなぎたいと願いながら。

 

いのちがいきいきと輝く未来を 福島県二本松市・眞行寺 佐々木るり

あの日から、子どもたちは不自由な生活を強いられています。野菜や米、果物などの放射能測定も徹底しておらず、国が定めた安全基準も不安がぬぐい去れないため、福島以外の食料に頼らざるを得ない状況です。避難区域から県内外に避難されている6万を超える住民、指定区域以外の自主避難を強いられている方々、ひとり福島で働きながら家族の帰りを待ちわびる父親。放射能対策に疲れ果て「もう放射能の話題など聞きたくない」と耳を塞ぎはじめる大人たちも増えているのも事実です。この状況下どうしたら子どもたちを守っていけるのか、山積する問題とどう向き合っていくのか、これが今の私の課題です。

震災後は、野菜市場委員会を立ち上げ、子どものいる家庭に野菜を配る活動や、支援していただいた野菜や米で得た収入で子どもたちを一時避難させる活動を行ってきました。立ち上がった母たち十数名と一緒に安全な昼食づくり、放射能の勉強会や福島の現状の発信、食品の放射能測定、などなど活動の幅を広げています。

なにもせずに福島で暮らすのは、まだあまりにも危険です。それでも福島には様々な事情を抱え避難できない子どもたちがたくさんいます。被ばくを防ぐために自分たちにできること。除染、定期的な県外保養、食品の放射能測定(安全な食料の確保)、内部被曝検査、より細かい空間線量測定、異常の早期発見などなど「思いつくことはとにかくやる」、また「他人や行政をあてにしすぎない」姿勢を貫くしかない、今はそう肝に銘じています。

復興という文字だけが虚しく空回りする現状に、涙の流れない日はありません。美しかった福島を思い返すとき。子どもたちを守りきれているのかと自分に問いかけるとき。故郷を離れたったひとりで子育てをする友人らの心情を思うとき。「もう一度ただいまが言いたい」と、福島に残る父親たちの嘆きを聞くとき。こんなことになるまで原発の恐ろしさに気がつけなかったのかと、その愚かさを悔やむとき。子どもたちの穏やかな寝顔を見つめるとき。その将来がどうか幸せであってほしいと願うとき。

原発事故が吹き飛ばしたもの。それは、私たちが紡いできた歴史や文化、そしてそれぞれが思い描いてきた未来への希望と誇りでした。「これでよかった」と心から思える日はもう来ないのかもしれません。でも、せめて残された自分の人生は「原発はいらない」と精一杯声を上げ続けたいのです。原発に怯えなくてもよい生活が一日も早く実現すること、いのちがいきいきと輝ける未来がくることを強く強く願っています。

 

ひとりとわれら 東京教区・存明寺 酒井義一

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなりけり(親鸞 歎異抄)

よろずの煩悩にしばられたるわれらなり(親鸞 唯信鈔文意)

安倍首相は原発再稼働について、2013年5月中旬に「できるだけ早く実現していきたい」と語りました。しかし、今も福島の原発事故によって悲しみ苦しむ人々がおられます。国家の成長戦略のためという正義が立てば、福島で起こったことは忘れ去り、放射能被ばくに苦しむ人々のことは見ないようにする、ということなのでしょうか。この国は、国家のためには少数の人間を見捨ててしまうという、闇を抱えています。

親鸞聖人は、「ひとり」という言葉を大事にされました。阿弥陀さまはすべての人を救うと誓いましたが、その誓いを聞いた親鸞聖人は、「ひとえに私一人のためであった」というのです。この言葉は、私さえよければそれでいい、ということではありません。親鸞聖人という一人の人間の中に、万人に通じる課題が宿っているということを表現した言葉なのです。人間が感じる不安や孤独・空しさや悲しみは、すでに私親鸞の中に標準装備されている、その一人である私が救われれば万人の救いが成就するのだ。そんな世界を生きた親鸞聖人が、ここにおられます。

また親鸞聖人は、「われら」という言葉も大事にされました。「よろずの煩悩にしばられたるわれらなり」。これは様々なことに煩らい悩んでいる人々を、外に見た言葉ではありません。「われらなり」と呼ぶほどに、人々の苦しみや悲しみの現実をしっかりと見て、なおかつその人々の中に自分自身を見いだしていかれた親鸞聖人が、ここにおられます。

全体のために少数の人間を見捨ててしまうような国に身を置きつつ、いま私たちが回復すべき世界は、この「ひとり」と「われら」という世界なのではないでしょうか。

ひとり。それは、一人の人間を忘れ去ることなくじっと見つめていく世界です。そして、その一人の中に万人に通じる課題や願いが宿っていることを発見していく世界です。

われら。それは、苦悩を抱えて今を一生懸命に生きる人々をけっして外に見ない世界です。人々の中に脈々と息づくいのりや願いを聞き、その中に自分自身をも見いだしていく世界、つまり「われら」であることを発見していく世界です。

親鸞聖人のように、「ひとり」の人間を倦くことなく見つめ続ける世界を発見し、苦悩を抱えながら生きる人々を「われら」として見いだしていけるような生き方がしたいものです。

ひとりとわれら。そのような正反対の世界を同時に生きていける人間の誕生が、いま時代社会そのものから、求められているのではないでしょうか。

(真宗大谷派解放運動推進本部)

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