以前、大津のホテルに泊まった時のことですが、食堂に「鬼の寒念仏」という題がついた大津絵がかけてありました。鬼が袈裟衣を着て、鉦(かね)を首からぶら下げ、左手には奉加帳、右手に鉦を打つ槌(つち)を持っていました。頭の角は片方が折れていました。絵の余白にはくずした字が書いてありました。その下に解説が張ってあったので、そこに書かれているのは「慈悲もなく 情けもなくて 念仏を となふる人の すがたとやせん」という歌だということがわかりました。慈悲も、情けもないくせに袈裟衣を着て念仏を称えながら寄付を募っているあさましい姿だと、この鬼のことを見下げたような意味でしょう。
解説には、「鬼が衣や袈裟をまとっているが、とても慈悲ある姿とは見えない。それとは裏腹な偽善者を風刺したものである。鬼の住まいは人間の心の内にあり、仏教の教えである。三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)いわゆる人々の我見、我執が角になって頭の上にある。自分の都合で考え、自分の目でものを見、自分にとってほしいもの、利用できるもの、自分によりよいものと、限りなく角を生やす。大津絵の鬼は、それを折ることを教え、鬼からの救いを示唆している」と書いてありました。

絵を描いた人と、この歌を詠んだのが同じ人かどうかわかりませんが、どちらも何らかのかたちで、浄土真宗について知識がある方だと思います。でないと、このような絵も歌もできません。この絵や歌に表されている姿は、これはまぎれもなく、私たち、袈裟衣を着た者が今現在やっていることを言い当てています。慈悲の心も情けの心もなくて、角を出して、お金を集めて歩いている姿です。「あんな人が殊勝な顔をしてお念仏しているよ」「なんという偽善者だ」と、そう言われればひと言も言い返せません。それはたしかにそうなのですが、ではそれだけで終わらせてしまっていいのかどうか。

その方たちのとらえている真宗観とはどのようなものでしょうか。私は自分の理解が正しいと言うつもりはありませんが、少なくとも、私の受けとめているところとはかなり違うと感じます。どこが一番違うのかといいますと、これらの作者は、この鬼を他人の姿とみているところなのではないかと思います。少しでも、真宗の教えを聞き込んだ人が、この鬼の姿を見たらどのように思うのだろうかと考えますと、この歌が逆になってしまうのではないかという気がするのです。鬼のようなこの私が念仏を称えている姿だと。もっといえば鬼にまで念仏させる力がこの教えにはあるのだと。鬼に衣を着せ、念仏を称えさせ、寄付も集めさせる。

私は、寺に生まれたのですけれども、跡継といわれることが嫌でしたし、継ぐつもりもありませんでした。なぜかと言えば、この絵や歌と同じ視点で浄土真宗というものを見ていた。そして、あんなふうになりたくないと思っていたからではないかと思います。ですから、これらの作者の気持ちはよくわかります。でも、いまはその見方にやはり違和感をおぼえざるをえません。

もし私が、この鬼の姿を見て歌を詠むとすれば、「慈悲もなし 情けもなきに 念仏を 称えせしめる 大悲とやせん」というような内容になります。こうすると他人のことではなく、鬼を自分自身の姿を詠った歌になりませんか。私のようなものに念仏させる、これこそが大悲と呼ばれるはたらきであると。鬼を他人と見て、揶揄したり切り捨てる対象に見る歌だったのが、自分自身のいたみを詠う歌になってくるのではないかと思います。

これを紹介したのは、私たちが持っている真宗観というようなものが、自分がすでに持っている価値観からできあがっているものにすぎないのではないかということを、いっしょに考えてみたかったからです。何かを知ったり、わかったというようなことは得手に聞いたことの結果で、それがこのような絵や歌というかたちで現れてくるわけです。これも真宗についての理解であることは否定できないのです。自分たちが真宗だと考えていることも、もしかしたら、同じようなことになってはいないか。自分の理解とか、自分の考えていることが、はたしてどんな中身なのかということは、いつもいつも問われ、確かめ続けられていかなければならないことなのではないか。1つの結論を出して、その答えが間違いなければそれでいいのだ、ということにならない。むしろ、わかったと思った瞬間に、ぽんと落とし穴に入って落ちていくことがある。わかったというところに待ちかまえている危険性に気づけるかどうかということのほうがよほど重要な問題ではないかと、私は思います。