6 檀家さんへの思い

僕は本当ならば、大学を出たらすぐにお寺に帰って何らかの法務を手伝うはずでした。小さなお寺ですが、檀家の人たちは一生懸命なのです。檀家さんは自分に引き換えて自分のこととしてお寺のことを考えているのです。

こういうことを言うのもはばかりますが、京都の町中のお寺の多くは門が閉まっているのでびっくりしました。僕たちのところではお寺の門が閉まったことがないのです。開けっ放しで「いつでもどうぞ」です。ところが京都のお寺は門が閉まっているので、木戸をインターホンで押さないと入れないような感じです。それに、葬儀もずいぶん違いますね。葬儀は儀式ですので喪主はじめ親族は儀式に集中するものと思っていましたが、京都での葬儀は喪主が立礼されているのを見て驚きました。ずいぶんと風習の違いを感じました。

僕はもう還暦を過ぎましたが、身体のあちこちが痛んできています。先日は父と同じ病気で手術を受けました。この歳になってくると、そういうことがいくつか出てくるのです。これもすべてが因縁です。でもこうなるまでに自分の歴史があったわけです。寺に生まれたのに、寺でじっとしていることができなかったさまざまな縁。そのおかげで絵が描けたのです。

父も亡くなり、10年前、名ばかりの住職になりました。月に2回だけですが、私が寺の用をするわけです。それでもいい経験をさせてもらえました。いい経験というのは、自分ができないところは檀家さんが助けてくれるのです。ときには京都まで来てくださるのです。私には冷たいと感じるところのある父でしたが、檀家さんにとっては頼れる父だったのでしょう。檀家さんたちは何かあれば今も助けてくださるのです。

息子がある時、「お父さん、僕がやります」と言ってくれたので住職を代りました。親も親、子も子で頼りないところもいっぱいありますが、何とかやっているようです。これもまた御縁で本当にありがたいことだと思っています。