2000真宗の生活

2000(平成12)年 真宗の生活 4月 【蓮如上人】

見玉尼(けんぎょくに)

四月一日から始まつた春の法要も終り、一段落(いちだんらく)した十七日、再び東本願寺の境内(けいだい)(にぎ)やかな雰囲気(ふんいき)に包まれます。この日から一週間かけて、蓮如上人(れんにょしょうにん)御影(ごえい)が北陸吉崎(よしざき)の地に向かつて出立(しゅったつ)されます。供奉人(ぐぶにん)に囲まれて、毎年同じ日に旅立たれ、吉崎ではご門徒がご到着を心待ちにしています。と同時に、御帰山(ごきざん)の五月九日まで、しばらく蓮如上人は本願寺におられないのだなと、そんな気分にさせる雰囲気です。

蓮如上人が亡くなられ、はや五百年がたちました。しかし、いまなお、昨日までいっしょに暮らしていたかのように、蓮如上人のお出ましが心待ちにされるのはどうしてでしょう。上人は吉崎の地で「御文(おふみ)」をたくさん執筆され、多くの同行(どうぎょう)の人たちに書き渡されました。その中に、愛娘(まなむすめ)の死について語られている「御文」があります。

かつて本願寺は食べるにも事欠(ことか)き、子どもたちは他宗の寺へ出されました。四女の見玉(けんぎょく)もその一人です。その見玉が(えん)あって父の元へ身を寄せることになりました。それは、伯母(おば)を亡くし、さらに姉をも亡くしてのことです。悲しみの中「ひとかたならぬなげきによりて、その身も、やまいつきて、やすからぬ体なり。ついに、そのなげきのつもりにや、やまいとなりける」と(しる)されています。そして見玉は、二十五歳で亡くなりました。この「御文」を読むとき、愛娘の死を上人はどのように受け止められたのか、思い(めぐ)らします。

私たちは、人として生まれたときから老・病・死を共にした生活を歩み始めています。この「御文」のように蓮如上人のことばは身をもつて語られたものばかりです。「安心決定(あんじんけつじょう)」を娘の死からも(すす)めていかれた上人のことばから、生きることの意味を(たず)ねたいものです。

『真宗の生活 2000年 4月』【蓮如上人】「見玉尼」