あじゃせ写真1
開会に先立っての勤行。報恩講の時期が近付くと、会に所属する准堂衆が中心となって報恩講の次第の稽古を兼ねてお勤めすることもある。

 

【発足に至る経緯と会の概要】
「アジャセの会」は、東京5組(港区・中野区・世田谷区・中野区・多摩市)の若手僧侶が構成する学習の場である。この学習会は、約40年前に一人の住職が若手寺族の学習の場を開きたいと願ったことから始まったという。当初は無名の学習会として発足したが、後に『観無量寿経』の「阿闍世」に準えて現在の名称となった。
メンバーは、概ね20代半ばから40代半ばで、年齢制限などは設けられていない。会処(会場)は、メンバーの寺院を持ち回り、毎月開催されている。会の内容は、声明稽古、輪読、会処の僧侶による発題をもとにして座談を行っている。
メンバーのひとりは、「自分たちは、特別なことをやっているという意識はない。」という通り、その時々の関心や日常での疑問など、素朴な話題をテーマとして話し合いが進められている。着飾らない場所であるからこそ、笑顔が絶えず、誰もが時間を忘れて互いの話を聞くことに没頭している。だが時折、ふと『真宗聖典』を開いてお聖教の言葉に尋ねる様子も見られ、ごく自然にお聖教に親しんでいる様子が伺われる。

会のメンバーに発言を躊躇する様子はない。誰もが積極的に発言し、皆でそれを受けとめる。安心して表現し合える関係が自然に結ばれている。
会のメンバーに発言を躊躇する様子はない。誰もが積極的に発言し、皆でそれを受けとめる。安心して表現し合える関係が自然に結ばれている。

【組教化事業への参画と情報共有】

東京5組は、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要への団体参拝に向けて、「推進員養成講座」に続き「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」を開催した。この取り組みは、御遠忌法要団体参拝に向けた意識を高める機縁となった。スタッフとして「アジャセの会」のメンバーが多く参画したことにより、組内に若手僧侶のコミュニティとしてご門徒にも周知された。「推進員養成講座」や「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」、「御遠忌団体参拝」を通じて、ご門徒との柔軟なコミュニケーションが生まれ、組内の事業に欠かせない存在となっている。
2013年度には、「アジャセの会」のメンバー全員が東京5組の同朋会(聞法会)に出講した。早くから組の事業に参画することを通して、組内寺院間の交流も、自坊以外のご門徒との交流も盛んに行われている。そうした環境の中で、副住職の立場にありながら、組の活動に自然に馴染むことができているそうだ。

『大谷派なる宗教的精神』をテキストとして、輪読の時間が設けられている。分からないことは皆で考える。分かったフリをしなくて良いからこそ、誰でも輪の中に溶け込むことができる。
『大谷派なる宗教的精神』をテキストとして、輪読の時間が設けられている。分からないことは皆で考える。分かったフリをしなくて良いからこそ、誰でも輪の中に溶け込むことができる。

【「普通のこと」は「稀なこと」】
お寺に入り、これからの歩みを模索する中で、組内に若手の会があることはありがたいことだという。東京5組には、永きに亘って「アジャセの会」があり、あることが「当たり前」のことでのようでもある。「アジャセの会」に入り、語り合い、活動を共にすることは「普通のこと」となっている。
しかし、「アジャセの会」として活動を続けることを通して、そのことが「普通のこと」ではないのだ。メンバーは、「アジャセの会は、東京5組の先輩方が長年守ってこられた会です。たまたま東京5組の寺院に属し、たまたまアジャセの会があり、たまたまアジャセの会に身を置くご縁をいただきました。アジャセの会は普通のことではなく、とても稀なことなんです。」と語っていた。
40年もの永きに亘って「アジャセの会」が継続してきたのは、先輩方の歩んできた姿を見てきたメンバーが、自分のできることを、無理なく自然に活動してきたからではないだろうか。「普通のこと」がとても「稀なこと」であるという気付きが、メンバーの中に脈々と流れている。