トップ地域で子どもを育てる
子どもたちを温かく見守り、機会を与える

「無縁社会」という言葉に象徴される、人のつながりの希薄化が叫ばれるなか、地域が一体となって子どもたちを温かく見守り、体験学習を通じて様々な機会を与えることで、子どもたちの力も、大人たちの力も回復していく。そのような願いをもつ取り組みが、福岡県田川郡香春町の真宗大谷派蓮臺寺を会場に展開されています。

「通学合宿」として推進されているこの取り組みは、子どもたちが親元を離れ、共同生活をしながら学校に通い、自分たちで炊事、洗濯、掃除、宿題などごく普通の生活体験をとおして、あいさつをはじめとする生活習慣を身につけてもらうということを大きな目的に掲げています。また、家庭、地域、学校とが一体となって、他人を思いやる心、我慢する力・たくましさを培っていこうとすることをねらいとしています。全国的に広がりをみせていますが、蓮臺寺のある福岡県では、昭和50年代からその先駆的な取り組みが続けられています。会場は、公民館などの社会教育施設で行われる場合が半数以上で、蓮臺寺のようにお寺での開催も数例存在します。ここでの主催は地域の通学合宿実行委員会。福岡県と香春町の教育委員会が後援する事業です。

蓮臺寺での通学合宿を牽引しているのは、住職の大場信さんと、お寺の坊守をつとめる大場由美さん。4年前から通学合宿に取り組まれてきました。由美さんは昨年まで地元の教育委員であり、中津原校区通学合宿実行委員長でもあります。毎日のお寺のお仕事や小学校への読み聞かせのボランティアをはじめ、たくさんのお寺の年中行事や催しを行いながら、夏休みの子ども勉強会など青少年育成の取組みをご夫婦で進めてこられました。

「どうせ自分なんて・・・」と言って生きるより、
「せっかく・・・なのだから」といただいて生きてほしい。

蓮臺寺での合宿の内容は、食事作り、洗濯、掃除、午後6時のお寺の鐘つき、もらい湯(ご近所のお宅でお風呂)、学習、ふりかえり(就寝前の確認)など生活の基本中の基本がゆったりと組まれていますがハードです。小学生の体力も考えつつ、共同生活の中で大切にしなくてはならないことが何であるのかをきちんと集中して伝えようと様々な工夫がこらされています。この生活を4泊5日かけて行い、お寺から徒歩で1分ほどの距離にある中津原小学校に通います。日ごとに子どもがする仕事の係りが決められ、時間厳守できびきびとした空気が流れていました。「大変やけど楽しい。家ではお手伝いもするけど、全部はさせてくれん」と子どもたち。定員10名で募集され(今年の参加は9名)、参加費は2,500円とお米5合。保護者と児童対象の事前研修も用意されています。

中津原小学校の小峠英人校長先生にお話を聞くと、「今は、どうせできないと諦めてしまっている子どもさんが本当に多いんです。頑張ったらできることを気づくようになってほしいんです」と、子どもたちを心配されていました。由美さんは、「どうせ・・・と言って生きるより、その言葉を置き換えて、せっかく・・・なのだから、といただいて生きてほしいです」と、子どもたちと地域にかける深い願いを語られました。

地域支援・ボランティア

蓮臺寺の通学合宿を支える要は、地域の方々からの温かい支援とボランティアの存在です。由美坊守さんのお仲間を中心とする地域の人たちが集まって、15名ほどの実行委員会で運営されてきました。また、ご近所の方々をはじめ、町内のお寺の若さんや役場の職員など20名ほどがボランティアとしてかかわっています。スタンスは「来れる人は、来てください」とゆったりしています。今年は近所にある福岡県立大学の学生さんも3名ボランティアとして参加され、一緒に泊りがけで通学合宿。見守りを基本として、学習の指導や、伝えることをテーマとしたアイスブレイクゲームなどを行っていました。参画するすべてのスタッフに通学合宿の「子どもがすべきことを大人が先取りしない。叱るときはきちんと叱る」などのコンセプトが伝わっていました。ボランティアの学生さんの話によると「自分で全部するけん勉強になるんよ」と。

また、子どもたちの活動が大人のネットワークを広げています。同じくボランティアで参画している元PTA会長のツクダさんは、「子どもたちが楽しんでいる一面もありますが、親が以前よりコミュニケーションを取るようになりました。不思議と地域や学校のほかの活動も円滑になったような気がします。何よりも、子どもたちによく声をかけられるんです」と、地域に起こった小さな変化を語っていただきました。また、料理担当のボランティアの方は、「子どもに任せるってことは、こっちも、辛抱がいるんよ!」とその神髄を語っていただきました。

ちなみに料理の献立は、栄養バランスを考えたバラエティに富んだものですが、ちらし寿司や筑前煮など日本や地域の伝統文化を感じさせるものを作ってもらうようにしています。お出しもいりこや昆布からとっています。テキパキやらないととても時間通りに作り上げることはできません。お聞きすると、「好き嫌いは考えていません。仕事をたくさんして食事をするので、お腹がすいているからほとんど食べてしまいます」と案外ワイルドなところもあるようですが、これも人のつながり・地域の信頼の賜物に違いありません。

お寺の合宿 仏さまも見守り支援

綺麗に掃除された広いお庭があり、四季折々の植物が枯葉を落としながら生きている。静寂な池には鯉が泳ぎ、それを見下ろすお座敷の床の間には、お花が凛と活けられ、軸がかけられている。このような環境のある一般家庭は少ないわけで、ましてやそこに寝泊まりして掃除する機会などほとんどありません。子どもたちは、言わなくても不思議と畏敬の念をもって、仏さまが見守る本堂や畳の部屋を乱暴に走ったり、物を壊すようなことはないようです。そういう意味では、子どもたちが持っている大切なちからをこの合宿が自然とひきだしているのかもしれません。

合宿最終日の子どもたちの感想は、そろって「楽しかった!また来たい!」。「テレビやゲームがないので、友だちとものすごく話すことができた」「家に帰れないので寂しい気持ちもあったけど、反面、友だちの良さが分かった」などなど。

「豊かさ」を求め、手間をかけずにお金をかけ、つながりたいのに中々つながれない。大人が、どんなに社会が変わったと言っても、子どもたちの無邪気な笑顔の源となる生きる力が変わったわけではありません。「かわいい子には合宿させよう!」。蓮臺寺住職の信さんと坊守の由美さんは、将来、町内の4校区に通学合宿の輪が広がることを願っています。