DSC01694

地域に親しまれる蓮如さん

この日、吉崎別院は報恩講が勤められていた福井県あわら市の吉崎別院は、本願寺第8代の蓮如上人が北陸での教化の拠点として建てられた歴史ある別院です。隣には西御坊といわれる本願寺派の別院もあり、広く吉崎御坊として親しまれてきました。蓮如上人が人びとに念仏の教えをわかりやすく説くために書かれた文章は、今も「御文」として仏事の際に親しまれています。

また、毎年4月17日に京都・東本願寺を出発し6日間かけて別院までの240㌔を踏破する蓮如上人御影道中が知られています。随行教導や宰領をはじめとする供奉人方が御影と共に、上人が歩んだとされる道程を歩む御仏事として300年以上続けられています。時には峠を越え、各地の会所に立ち寄って教導の法話を聴聞する姿は、上人が布教して歩いた当時の姿を思い起こさせるもので、4月22日に別院に到着する時には吉崎の地域全体で迎え、5月2日まで御忌法要を別院で勤め、また京都に帰っていくのです。

この御影道中には毎年、地元の吉崎小学校の児童もほおずき提灯・高張り提灯を持って参加します。吉崎小学校は別院の目と鼻の先にある学校です。今回、その子どもたちが地元吉崎の夏祭りに蓮如上人の演劇(オペレッタ)をやるというので取材に伺いました。

 

蓮如さまものがたりの一幕
蓮如さまものがたりの一幕

夏祭りで蓮如上人の生涯を演じる

同校による上演はすでに7年目。オペレッタを上演するきっかけは、「少ない人数の子どもたちに、たくさんの人の前で発表する機会を作ろう」と前々校長が始めたそうです。

出演者は吉崎小学校の全校児童14名に加え、金津こども園吉崎分園に通う園児も2人参加し、6人の教員とともに2ヵ月前から練習を重ねてきました。過去には「吉崎の七不思議」と、地元に伝えられる民話「吉崎の赤手ガニ」「嫁おどしの面」「腹ごもりの聖教」といった題材を取り上げてきましたが、今年の題目は「蓮如さまものがたり」としました。それは、今年は1415年に生まれた蓮如上人が生誕600年を迎えるので、上人の生涯そのものを取り上げようと、子どもたちとも話し合って決めたのだそうです。脚本は吉崎別院の協力を得て校長が制作し、上演時間が過去最長の50分にもなる大作となりました。

演劇は蓮如上人誕生から始まり、吉崎御坊建立までの上人の半生を描いたものでした。布袋丸(幼少期の名)が成長していくなかで母との別れ、継母如円尼との確執、また比叡山の僧兵に追われる場面等が演じられました。御開山親鸞聖人の教えを必ず人びとに伝えなければならない、という使命を蓮如上人が背負っていく姿が終始描かれています。物語の最後は「吉崎にたどり着いた上人の、苦難に負けず一心に人々を救うことを願った心が、今も吉崎の人びとに受け継がれている」という言葉で締めくくられています。

舞台は地域の人たち、背景や小道具は教員たちによるもの。衣装は吉崎の寺院や保護者から借りる等、手作りの温かな演劇でした。児童数が年々減少していく中で、児童・園児全員が舞台に立ち演じ切りました。

 

如円尼を演じた辰巳真心君
如円尼を演じた辰巳真心君

聞法の姿勢は真宗の生活から

今回如円尼役を演じた6年生の辰巳真心君は

「セリフが長くて覚えるのが難しかった」

と上演後、安堵の表情を見せてくれました。

「蓮如上人のことは知っていたの?」

との質問に、

「いつのまにか蓮如上人や親鸞聖人のことは当たり前のように耳にしていた」

と辰巳君。

今回の舞台の脚本を手がけた同校長の中屋早苗先生は

「学校では道徳の時間に『吉崎の語り部』の方に来ていただき、お話を聞かせてもらう授業を年に1度くらいしますが、ほとんど家や地域の人からお話を聞いているのだと思います。また、蓮如忌(御影道中)は子どもたちにとっても一番の楽しみなので、小さいころから蓮如さまには親しんでいると思います」

と話してくださいました。誰に教わるのでもなく、生活の中に仏さまの教えを聞く姿が親しまれてきたのでしょう。

また、中屋校長は

「私が3年前にこの学校に赴任した時、子どもたちがあまりにも礼儀正しいのに驚きました。児童の登校の列の横を職員の車が通ったりすると、一斉に車の方を向き直ってお辞儀をするのです。びっくりです。このごろはちょっと言葉づかいも乱れて反省していますが、感謝の心や思いやりの心はずっと大切にしています。困っている人に手を差し伸べるということも、蓮如の里に生まれた者として、当然のことと考えているようです」

とも話してくださいました。

舞台を見ていた時、隣にいた70代くらいの方から掛けていただいた言葉が地元愛に溢れて印象的でした。

「私たちが子どもの頃は、御坊に日曜学校があって、いつもお寺に通っていたし、生活の中に教えを聞くということが当たり前のようにありました。現代ではもはや真宗の生活というのは失われているんじゃないだろうか。これは大人の責任として何とかしなければならないと思っている。御坊に人がまた集まるようにしなければ。それが子どもたちに残してやれることだから」

 

以上