ここ山陽教区でも近年、僧侶の年齢も30代、20代へと若返りをみせている。今回取材させていただいた得藏寺、髙橋仁誓さんも若くして住職になられたおひとりです。

01キャプションなし 得藏寺は、広島県呉市、周りを海に囲まれた島、倉橋島の倉橋町に位置しています。島ならではの特徴についてご住職におうかがいしたところ、「すべてがお西(浄土真宗本願寺派)のスタイル。また、10代の時に前住職が亡くなったこともあり、そういう意味では、ゼロからのスタートでした。私の寺のご門徒の方でも赤本(『真宗大谷派勤行集』)は持っているけれど、普段持ち歩くものはお西の持ちもの。お内仏から声明本などの持ちものすべてがお西スタイルでした」と、当時住職として地元に戻ってこられた時の様子を語られました。そのような状況の中で、今日までいろいろと模索されながらこられたそうです。「広島は、安芸門徒と言われるだけあって、お西の色が濃いんです。今の住職になって大谷派、お東の色を濃くしたんです」と、前坊守さんが話されました。「大谷派らしくなったからいいとか、悪いとかではないけど、一生懸命やっていたら信頼関係が生まれてくる」と住職。また各村には説教所があり、彼岸やお盆の折に法座が行われているそうですが、ここ近年、法座の回数自体が減ったり、まったく辞めてしまった村もあるそうです。しかし、そういう状況に立っての思いを「こういう時代だからこそ遠慮なしの関係が大事だと思うんです。島ということもあって閉鎖的な所もあるが、人と人とのつながりが濃い。いいことも悪いこともだいたいわかってしまう。時には煩わしさもあるが、大切なことだと思います。せっかくの島の、門徒の風習の良さを次につなげるような“今”作りがしたい」と、語ってくださいました。

近年、過疎化などの影響で信頼関係のあり方も少しずつ変わってきているのも事実なようです。「生活密着型で、信頼関係の回復をしないといけないし、まだできる状況だと思う。寺のあり方を思うに、生活の中にお寺が組み込まれていた70代、80代の人との関わりを道しるべにしたいと同時に、将来が危ういのではないかという思いもあるが、それが逆に可能性をたくさん秘めているんじゃないか。何か一つでも、“これは”というものを持った住職でありたい」と語られ、住職としての姿勢を、若手の僧侶に対しては、「時に振り返ることが大事。そうすることで変な力が抜けるし、自分にとっても力になる。自分ひとりでできたつもりでも、みんなが引き受けてくれていたと知ることができる」と語ってくださいました。

私事ですが、筆者も20代で住職になり、いろいろと模索しながらきました。今回の取材で住職の語られた「みんなが引き受けてくれていたと知ることができる」という言葉。その言葉の持つ深さを考えさせられる取材でした。

(山陽教区通信員 佐用教弘)
『真宗 2009年(4月)』
「今月のお寺」山陽教区安芸南組得藏寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。

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