01キャプションなし伝道掲示板
世の中は
悪人の懺悔の涙によって
うるおされ
善人の驕りによって
乾いてくる

 開基である先々代は、現在地からそれほど離れていない地に説教所を開かれました。そして、地域の方々への布教活動として、掲示伝道を始められました。時は流れ、現在の地に移ってからも、掲示伝道は続けられています。

 信光寺の掲示板は、先々代当初から黒板を使っています。今の黒板は2代目になります。近所で学習塾を経営されていた方が、塾をやめるときに提供してくださったものです。

 掲示することばは、先代のときから前坊守の松永宏子さんが書かれています。黒板は吹きさらしで、自然に文字も薄らいでいきますし、雨が降れば文字は流れてしまいます。また、道行く人が手で消してしまうこともあります。そのたびに、ことばは書き直されます。

02キャプションなし 多くのお寺の場合、ことばを掲示している期間は決まっています。半月・1カ月・2カ月…。しかし、信光寺の場合そうはいきません。ことばが消えるたびに、書き直します。2週間・1週間・1日…。書いたばかりの場合は、また同じことばを書くこともありますが、しばらく経っている場合、新たなことばに書き直します。

 お寺の玄関を出て、掲示板の前に立ち、チョークを手にことばを書く。外の空気に触れながらことばを書いていると、ことばが人々に発する力と、ことばを読む人々のこころを、直接的に感じることになります。寺の中で、机の上でことばを書いていては感じられない緊張感があります。安易な励ましのことばなど、とても書くことができません。

 自分を省みることなく書いたことばは、読む人々の記憶からすぐに消えてしまいます。まるで雨で文字が流れてしまうように…。しかし、こころの苦しみを通して湧いてきたことばは、人のこころに沁み込みます。

 前坊守さんは打ち明けてくださいました。「おしえをいただいて、頭では理解したつもりでも、そのことと日常生活がつながらないものです。“その通りだなぁ”ってうなずいても、現実にぶつかると眠れないほど苦しくて。仏智に照らされて、そんな自分に気づかされて、そしてまた迷って、また気づかされて…。迷い続けることが仏道なのですね。ことばを書き直すときは、私自身に対する“おしえをいただきなさい”という催促だと思っています。黒板のおかげで、私が育てられています」。

 信光寺のそばを通るとき、掲示板を見るために、お寺の前を通っていました。前坊守さんの字で書かれたことばに、生きた力を感じていたからです。お話をお伺いして、その力の源を見たような気がします。

(東京教区通信員 白山勝久)

 

『真宗』2009年11月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:東京教区東京8組信光寺(住職 松永光司)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。