01キャプションなし  伝道掲示板
   「死」は問いかけ
   「生」はそれに応えねばならない
             (金子大榮)

「まゆはきを (おもかげ)にして 紅粉(べに)の花」
 松尾芭蕉が野一面に咲く紅花を詠んだ句である。かつて山形といえば紅花の産地であった。多くが北前船の交易によって京へと運ばれた。その時、京から北陸を経て親鸞聖人流罪の地・越後より、さらに北にも浄土真宗の教えが広まった。今回はそんな山形の漆山より「お寺の掲示板」をご紹介します。

 JR漆山駅のほど近く表通りから少し奥まったところに廣善寺は門を構える。15年前、参道整備が完成した際、当時副住職の智英さんが寺の世話方さんから「通りから山門が見えず、お寺がわかりにくいので看板でも建てたらどうか」と言われ、父の住職と相談し、そのことがきっかけとなり掲示板を設けることになった。時を同じくしてそれまで教区駐在教導に頼んでいた月に1度の同朋会の講師をすることとなる。忙しい中、掲示板伝道と並んで報恩講に参られた方々に親鸞聖人のお言葉やお内仏のお給仕に関することを大きな文字でプリントした冊子を配布するという文章伝道も始めた。丁寧な仕事の裏には必ず苦労がある。大谷大学史学科を卒業して間もない智英さんは、当時、真宗学の言葉に・とっつきにくさ・を感じていたという。自分に馴染みのない言葉を伝えることは相当の苦心があったであろう。にも関わらず、「月々の掲示板にしても同朋会や文章伝道にしても振り返れば自分の意思がどうこうというより、周りに押し出され、ご門徒さんに引っ張ってもらってきた」と智英さんは笑って言う。

 掲示板への反応を尋ねると、「今は昔に比べ、お寺に日常的にお参りされる方が減ってきている。それはそのまま真宗の教えにふれてもらう機会が減っているということです。そんな中で、ご近所の方から掲示板の言葉の意味を質問されたりすることはありがたいことですが、周りの反応というよりは“自分自身に”といった意味合いが強いです」とのこと。
 自分の質問が拙かったことと伝道において大切なことを聞かせていただいたような気がした。

02キャプションなし       ~今月の言葉~
         人を見る眼で自分が見えず
         人に聞かせて我が身に聞かぬ
                 (掲示伝道集)

 「自分が思っている自分ばかりを見つめる。それは見ているつもりで見えてはこない。自分という存在が念仏においていつ何時(なんどき)でも見い出され続けていく。真宗門徒の(すがた)ではないだろうか。私自身、忘れてなまけてはいないだろうか。そんな思いがわきおこって、この言葉を選びました」(佐々木智英)

 法話や法務、お寺という仕事柄、多くの人と関わる中で感じたことを表現し、またそれに日々問い返される。他ならぬ智英さんご自身にとって15年続けた掲示板が自分への鏡になっている。

(山形教区通信員 橘 佑輝)
『真宗 2009年(12月)』
「お寺の掲示板」山形教区第4組廣善寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。

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