「ともに生きる」とは、こうして、いのちからの問いかけを聴きつづけ、自分を深く見つめるあり方のようです。
「ともに生きる」とは、こうして、いのちからの問いかけを聴きつづけ、自分を深く見つめるあり方のようです。

人間関係の希薄(きはく)さが問題になっている今日、「ともに生きる」という表現を、報道関係でも、よく使われるようになりました。この場合の「ともに」は、「お互いに」「みんなと一緒に」という意味合いですから、とてもわかりやすいことです。

ところが、真宗での「ともに」は、それと少し違うのです。
「ともに生きる」の「とも」は、「仏さまと、ともに」だと聞いています。
さて「仏さまと、ともに」とは、どんなことを言っているのでしょうか。

私たちは仏さまというと、すぐに仏像を考えがちですが、「仏とは、仏像のことではない。(はたら)きを仏という」と言われます。それでは、用きとはいったい何でしょうか。

私たちの日常は、「こうなるはず。こういうつもり。というように、はずとつもりで生きている。また、誰もが自分は正しいと思い込んでいる」と言われます。それが、悩みやトラブルを生み出すのですが、それもまた、他人のせいにしてお互いを傷つけ合い、心の(やみ)を深めるばかりです。そんな私たちを悲しみ、心配して「あなたは、それでよいのですか」「間違ってはいませんか」という、いのちからの問いかけを用きというのだと聞きました。「ともに生きる」とは、こうして、いのちからの問いかけを()きつづけ、自分を深く見つめるあり方のようです。

『Q&Aから考える保育と子育て』(東本願寺出版)から・靏見美智子(東京教区西敎寺)
『真宗の生活 2007年(7月)』
※『真宗の生活2007年版』掲載時のまま記載しています。

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