五 ラベリングの世界―家庭内紛争と現代の社会―

確かに私はその通りだと思います。なぜなら、それは、保護司を長年していて思うことがあるからです。例えば、私が、シンナーを止められない少年に、「もうきみ、シンナーはやめよう」と言っても、聞いてもらえないということがある。もちろん、シンナーをやめたいに決まっている。でもシンナーを吸わざるをえない事情が本人にはある。問題はそこなのですね。刑務所や少年院へ行って、これはしてはだめだとさんざん矯正されてきた。さらに、保護司が同じように言っても効果があるはずがない。むしろ保護司は、その少年の気持ちになってサポートしてあげる。すると、その少年は自分で自分の道を見つけていくことができる。それが大事なことであると思うのです。
このように相手を決めつけてしまうことが、司法福祉や様々な社会福祉の現場にはある。クライアントには、身分帳のようなものがあり、性格や経歴について、様々に書かれている。その内容をカウンセラーが参考に判断して、対応していく。これが、いわゆるラベリングです。しかし、仏教ではラベリングを否定するわけです。
ある男性の事例を挙げましょう。少年のころから非行少年で、少年院や刑務所に出たり入ったりだった。何とか、あるクレジット会社に就職したものの、カードを次々に作って借金を重ねた。その借金の尻ぬぐいを両親がする。この悪循環を、親はとうとう定年になるまでしていた。これでは退職金も何もかも失う。それで、その両親は、その少年に相続をしないように家庭裁判所に申請をした。それを調査官が調査をして、結局のところ母親の甘やかせすぎが要因としてあったことにその調査官は気がついた。
小此木啓吾氏が書いた『日本人の阿闍世コンプレックス』といういう本があります。これは、『王舎城の悲劇』を主題にした阿闍世コンプレックスという、母子の関係が主題の本です。その調査官が、それを母親に読ませた。本を読んだあと、母親がやってきて、「親子の縁は切れぬもの。私はこの子と真摯に付き合ってやることにいたします」と言って、事件を取り下げました。これを、親の金を盗む子としてラベリングして固定化しては、それ以上進んでいかない。彼女は、その論文に、人間関係は変化していくものだから、ラベリングはだめだ。絶えず、カウンセラーとクライアントの関係も変化しつつあるのだ。だから、その変化を向上させるように、さまざまな工夫をすることが大事だと書いたのでした。

六 王舎城の悲劇と韋提希夫人及び阿闍世王の救い
(一)頻婆娑羅王の幽閉と韋提希の救い

実は、『王舎城の悲劇』が、仏教福祉の視点から見ても、大変参考になるのです。善導大師の『観経疏』と『涅槃経』に基づいて、その内容を私なりにまとめて少し紹介しますと、頻婆娑羅王というマガダ国の王様が、世継ぎがなかった。世継ぎ欲しさに、ある仙人を殺させた。するとその仙人が、「私が生まれ変わったら、父親を殺してやる」と言い残して死んだ。そのような宿命を背負って生まれてきたのが、阿闍世太子であった。阿闍世太子は、そのことを釈尊の従兄弟である提婆達多に明かされた。そのため、父親憎さにクーデターを起こした。父親の頻婆娑羅王を七重の牢獄に幽閉し、そして阿闍世が王になった。韋提希夫人が、父親の閉じ込められた牢獄にひそかに通って、生き永らえさせた。それを知り怒った阿闍世王が、母親の韋提希夫人さえ殺そうとした。しかし、大臣に止められて、何とか母親は殺さなかったが、父親は死んでしまう。

(二)阿闍世の病

その後、阿闍世が父親殺しを非常に反省する。反省がノイローゼになり、さらに皮膚病になり身体中が臭くて人が近づけない程になってしまう。まず、殺されそうになって何とか逃れた韋提希夫人が、釈尊に助けを求める。「どうか、お弟子さんを私のところに遣わしてください」と。しかし、何と釈尊も、弟子と一緒に空を飛んで夫人の前にやって来られた。それを見た韋提希夫人は、いきなり「お釈迦さま、あなたはなぜあの悪い提婆達多と親戚なのですか。なぜ私は、あのような阿闍世という悪い子を産まなければならなかったのでしょうか」と、無理難題を問いかける。そして、身体の瓔珞、耳飾り、首飾りを引きちぎって、のたうち回った。
そのときに、釈尊は、じっと黙っていました。ひと言もしゃべっていない。これは、仏教カウンセリングの、いわゆる受容という大事なところです。韋提希夫人の言うがまま、まず聞く。そして、すべてをさらけ出した途端に、ふっと釈尊が、にこりと微笑む。韋提希夫人は、「どうか極楽浄土に私を行かしてください」と願う。そうすると、釈尊は韋提希夫人に、神通力で極楽浄土の世界を見せる。まさにこれも、釈尊の仏教カウンセリングだと思います。
実は、韋提希夫人が救われた後、先ほどふれたように、阿闍世が病気になります。病気になり、どうにもならない状況になったときに、今度は、韋提希夫人は釈放されていて、一所懸命、阿闍世を介抱するそうです。そのあたりのところが、阿闍世コンプレックスという心理学的な問題と関わってくるのですが、今日は、省略いたします。

(三)六師外道のカウンセリング

さて、そうして悩んでいる阿闍世王に対して、6人の大臣が次々とやってきて、いわゆるカウンセリングをします。6人の大臣は、六師外道という当時の有名な宗教家の信者でした。『教行信証』(聖典251頁~259頁)に引用されていますが、簡単に紹介します。
6人の大臣はいずれも「王様、そんな青い顔で、今にも死にそうな状態になって、いったいどうしたのですか」と、王様の外見的な状況から尋ねた。すると王様は、「自分は罪のない父を殺した。どうして悩まずにおれようか」と答えた。すると大臣たちは、「心配なさるな。クーデターで、政治のために父親を殺したとて、そんな例は世の中にたくさんあります。気にすることはありません」と。阿闍世王は、人殺しをしたら地獄に落ちるという、そのことに悩んでいるのでした。そのような悩みにも、大臣たちは「地獄など誰が作ったのですか。地獄を見たり、行って帰ってきた人がいるでしょうか」と言うわけです。しかし、人殺しは地獄に落ちるのだと悩んでいる阿闍世王にとっては、悩みの解決にはなりませんでした。

(四)耆婆のカウンセリング

そして、最後に耆婆という非常に熱心な仏教徒で有名な外科医である大臣が、阿闍世王の所に来るなり、「王様、あなたは眠れないのではないですか」という言い方をした。外見を言わずに王の心の中に入っていきます。その時に、阿闍世王の懺悔の内容が、偈として長く書かれています。恐らく韋提希夫人と同じように、思いの丈を耆婆大臣に申し上げたのでしょう。耆婆大臣は、やはりその王の言葉をじっと聞いていた。そして、「王様、あなたは素晴らしい」と言った。しかし王は、信じられなくて驚く。すると大臣は、「あなたには、慙愧があります」と。こう言って王様がまず悩んでいることを認めるわけです。受容しているわけです。大臣はその後、「王様、お釈迦様の所に行きなさい。あの方なら、その悩みを救っていただけるでしょう」と言うわけです。悩むのですが、行きたいけども行けない、そういう心情で王がいた。すると空から、「阿闍世王よ、釈尊のところに行け。釈尊以外に助けてくれるものはいない」という声が聞こえてきた。それは父親である頻婆娑羅王の声だというのです。先ほどは韋提希から介抱され、今度は死んだ父親が、天から声をかけた。それでやっと決心をして、釈尊の所に行く。

(五)入滅直前の釈尊の言葉

ここで非常に劇的な場面があります。釈尊はもうそのとき、娑羅双樹の下で入滅の瞬間でした。釈尊は、阿闍世王が悩み苦しんでいることを神通力で知ります。そして、傍らの弟子たちに、私は「阿闍世の「為」に涅槃に入らず」(聖典259頁)と言った。釈尊のもとに阿闍世王が来ます。すると入滅前の釈尊を多くの人が取り囲んで見守っている。阿闍世王が傍らにそっと座ると、釈尊が小声で「大王」と声をかけた。しかし、王は、他の王様だと思い黙っていた。すると、釈尊は、「阿闍世大王」と大きい声で言った。王が「はい」と、釈尊の前によると今度は、釈尊のカウンセリングが展開していきます。

(六)如来の罪

その1番大事なのは、釈尊が「大王よ、あなたに罪があるとすれば、実は如来である私にも罪がある。なぜか。それは、頻婆娑羅王は私の熱心な信者であった。そのために政治をした。頻婆娑羅王が仏教徒で、私の信者でなければ、このような悲劇も起こらなかったかもしれない。すなわち、阿闍世、おまえが悩んでいるのは、私にも罪があるのだよ」(取意,聖典262頁)と述べた箇所です。これは非常に大事なことで、釈尊が阿闍世の側まで降りてきてくれているわけです。まさに仏教カウンセリングです。

(七)更生

それで阿闍世は、そのことによって、「伊蘭である私が栴檀樹に」、伊蘭は悪臭のある木で、栴檀というのは香りのいい木ですが、言い換えれば、もう救われるはずのない私が、「香りのいい栴檀の樹になったように救われました」(取意,聖典265頁)と、大変感激をしたのでした。要するに、如来の罪ということによって、阿闍世は、自分は生まれ変わること(更生)が大事なのだということを覚り、救われていくのです。

七 凶賊アングリマーラの物語

同じように、釈尊が非常にカウンセリングが上手であったことがわかる物語があります。アングリマーラという凶賊がいました。アングリマーラの師匠はバラモンで、その師匠がお付きのバラモンたちとともに出かけたときに、師匠の妻が彼を誘惑した。アングリマーラは断る。それで、彼女は恨みを抱き、アングリマーラに犯されたように見せかけた。師匠は、計略をめぐらしてアングリマーラに、バラモンとなるための最後の修行として、1,000人の人を殺すようにと言い付ける。
アングリマーラは、999人を殺して、その指を串刺しにして華輪のようにして首にかけた。そして、1,000人目に釈尊が現われた。釈尊に「止まれ」と言うのですが、釈尊は止まらない。アングリマーラは追い付けない。釈尊は、「アングリマーラよ、私は、人を害する心から止まっている。おまえは害する心から止まっていない」と。その釈尊の言葉によって、アングリマーラは、はっと気がついて、その場で七つ道具を放棄し仏弟子になったのです。
ある日、仏弟子になったアングリマーラが、托鉢に出かけた。すると難産に苦しむ婦人がいた。難産の人の前で真実の言葉を唱えると安産するという俗信があり、真実の言葉を求められた。けれどもアングリマーラは、私は殺人鬼でしたと言う。真実の言葉は、とても言えない。そして、釈尊の所に行って対応を相談した。すると釈尊は、「アングリマーラよ、それならば、私が聖なる生を得て以来、人を殺めたことはありませんと言いなさい」と。聖なる生を得て以来とは、出家して以来ということです。言われた通りにすると安産したという話です。すなわち、真の更生とは、過去のしがらみを全く捨てて生まれ変わることであると、アングリマーラに、釈尊は教えたのです。犯罪者を更生させる手段を考える手立てとして、釈尊の言動は素晴らしく参考になります。

八 ある非行少年の死をめぐって

保護観察が上手くいったケースもあれば、しかし失敗もあります。ある時、私は2人の兄弟を保護観察していました。兄が高校生、弟は中学生。兄は、暴走族でどうにもならない。弟もいつの間にか不登校になり、学校に行っては先生を殴るものだから、とうとう先生から登校しなくてもいいと言われた。しかし、私が話を聞いているうちに段々と慣れて、その弟本人の言葉がよくわかるようになってきた。親も夫婦喧嘩が絶えず、家にも居られない。学校にも、行けなくなった。しかたがないから、うろうろしているのだなと。それから卒業して何とか就職をして、1カ月間ほど勤めて、最初の給料で両親と兄におみやげを買ったりして、大変よくなったと両親は喜んでいました。
ところが、それから本人が来なくなってきた。家に電話をすると、母親の「最近は、まじめにやっています」との返事。私も鵜呑みにして、ほっとしていた。しかし、明くる日の朝、新聞を見ると、何とその子が電車にはねられて死んだとある。バイクに3人乗りして踏切で待っていたら、後ろから警官が来たので逃げた。その子だけが、踏切の中に逃げ込んで即死したと。取るものも取らずこの子の家に私が行ったら、母親は、「すみませんでした。この子が悪いと言ったら、また少年院に行かんならんと思って隠していました」と、泣き崩れていました。
告別式には同級生たちが高校の制服を着て参列していました。出棺のアナウンスがあると、友だちであった少年や少女たちがわっと泣きながら、お棺に花を手向けていたのを見て、私は大変びっくりいたしました。この子は学校では、友だちとは上手くいっていた。でも、先生と上手くいかなかったばかりに、学校に行けなかったのかもしれない。私は、そう思いました。その後も、その子の兄との保護観察が続きました。いつも死んだ弟の話ばかりでした。ある時、彼は「先生、弟が死んだのは、僕のために死んだようなものです」と、ぽつりと涙をこぼしました。それからしばらくして、家に行ったら仏壇がちゃんとありました。いつもお灯明が灯っている。私がお参りすると、ご両親もお参りされました。非常に仲睦まじい状況になっていました。その子の死がきっかけとなり、ご両親の夫婦仲が直り、兄も良好解除となり、まじめになっていきました。
実は、私は、この子の死を、なかなか容認できなかったのです。しかし、やっとわかったのです。この少年の非行は、実は大人に対するSOS信号なのです。社会がもっと自分たちを大事にしてほしい。夫婦仲よくなってほしい。兄もまじめになってほしい。そういう気持ちがあるのにそうならないから、自分もいつの間にか非行化してしまった。この少年は、本当はまじめになりたいけれど、なれないと言ってむずかっている姿なのです。非行少年は、逆に言えば、自己を犠牲にして世間がよくなって欲しいと願っているとも言える。それが非行なのではないか。そう思うようになりました。思えば、自己を犠牲にしてまで世間のためにというのは、まさに菩薩行です。私はその後、非行少年とは菩薩であるという気持ちで処遇しましたら、全く違った視点から対応できるようになりました。その少年は、その家族にとって、まさに菩薩様であったのです。むずかっているのは、法蔵菩薩がそうでしょう。法蔵菩薩は、あらゆる一切衆生が幸せにならねば自分は覚れないと、48の願いを立てたのですから。
そのことを思いますと、この少年だけでなく、私たちの人間関係が上手くいくためには、必ずある意味で、自己犠牲が必要であると思います。日常生活の中での人々との出会いを、菩薩との出会いという関係にして捉えなおすこと、私は、これが必要だと思います。

九 聖道の慈悲と浄土の慈悲

『歎異抄』に、「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり」(聖典628頁)と。しかも、「しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」(同前)とあります。これは、先ほどのイギリス人のソーシャルワーカーの彼女が感じた矛盾と同じだと思います。その続きには、「浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり」(同前)とあります。しかし、私は「いそぎ仏になりて」の意味が、なかなかわかりませんでした。いろいろ勉強してみますと、結局、仏になりたいと願う利他の願心、菩提心の内容が実は、この「いそぎ仏になりて」だと。私なりに言えば、それは、カウンセラーの立場に立とうとする私の価値観を180度転換して、対象者の側に立つということではないかと思います。ここに親鸞の『正像末和讃』があります。

自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず
常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべき

浄土の大菩薩心は 願作仏心をすすめしむ
すなわち願作仏心を 度衆生心となづけたり

如来の回向に帰入して 願作仏心をうるひとは
自力の回向をすてはてて 利益有情はきわもなし
(聖典501~502頁)

「願作仏心」と、仏になりたいと願う気持ちが実は、「いそぎ仏になりて」ということであり、大菩提心ではないかと思うのです。

十 浄土の慈悲

そういう意味で見ますと、まだ「聖道の慈悲、浄土の慈悲のかわりめ」という思想のない頃に成立したと推測される『涅槃経』の1節に、先ほどの『王舎城の悲劇』が引用され、そこに次のようにあります。これがイコール浄土の慈悲とは申しません。ただ、いままで話してきた中では、1番近いのではないかと思うのです。
阿闍世が最後に、こう言います。「世尊、もし我審かによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、我常に阿鼻地獄に在りて、無量劫の中にもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせず」(『教行信証』聖典265頁)と。これは、衆生の利益のためならばどんな自己犠牲を伴っても構わないということでしょう。阿闍世はずっと永遠に地獄にあっても、衆生の苦を破壊することができたならば、私はもうそれを苦にしませんと述べて、この『王舎城の悲劇』の引用は終わるのです。
ですから私は、このように価値観が180度転換する、これが浄土の慈悲であると思っています。それは、阿闍世に言わせれば、今ほどの表現になるでしょう。私は、これまで述べてきたような立場から、仏教は福祉であるということをつくづく思いながら、学び歩んで参りました。今日はその一端を申し上げた次第です。

吉元 信行(よしもと しんぎょう)
「ともしび 2007年2月号」より
高倉会館日曜講演(2006年10月22日)抄録
※役職等は当時のまま記載しております。

【今月の予定】


▼東本願寺日曜講演▼ ※聴講無料
時間 午前9時半~11時
会場 しんらん交流館 1階 すみれの間
講話
6日「二つの坂東曲伝承」御手洗 隆明さん(教学研究所研究員)
13日 「看取り・看取られ・救われて」田宮 仁さん(日本仏教看護・ビハーラ学会名誉会長)

▼高倉同朋の会▼
・11月は東本願寺報恩講のためお休み。
日時 12月14日(水)午後6時~8時半
場所 しんらん交流館 1階 すみれの間
講師 安冨 信哉(教学研究所所長)
内容 『唯信鈔』
会費 5,000円(9月~翌年7月・全10回)
   ※1回500円

▼親鸞聖人讃仰講演会▼ ※聴講無料、事前予約不要
期  日 11月26日(土)、27日(日)、28日(月)
時  間 午後6時~9時(午後5時開場)
会  場 しんらん交流館 2階 大谷ホール
講  話
26日「穢土の救済に立ち上れ(真宗老人村作りを提案する)」内田 桂太氏(新潟県かもしか病院医師)
「智慧の念佛」小川 一乘氏(大谷大学名誉教授)
27日「難度海を度する大船」藤原 千佳子氏(金沢教区浄秀寺前坊守)
「如来回向による往生-欲生心成就の生活転換-」本多 弘之氏(親鸞仏教センター所長)
28日「世界人類安心の源泉」亀井 鑛氏(珉光院同朋会員)
「他力の信と自力の信」池田 勇諦氏(同朋大学名誉教授)
お問い合わせ先
『ともしび』の内容、「高倉同朋の会」について 教学研究所 075―371―8750