2018年4月5日に亡くなられたアニメーション監督の高畑勲さん。映画『火垂るの墓』や『風の谷のナウシカ』、『かぐや姫の物語』をご覧になった方は、生死の問題についてのメッセージや示唆を受け取られたことと思います。そんな高畑監督の言葉を今一度確かめたいという願いから、2015年8月の月刊『同朋』誌での「特集 敗戦から70年 再び「非戦」を誓う」において、戸次公正氏(大阪教区第22組南溟寺住職)と対談された内容を、特別に掲載させていただきます。

戦争への流れを断ち切っていくために。

『月刊同朋』2015年8月高畑勲×戸次公正対談
敗戦後70 年という年でありながら、再び戦争に向かう流れが強まっている現代日本。
この流れにどう抗(あらが)っていくのか。高畑さんと戸次さんに話しあっていただきました。

 

― あの夏から70年、いま改めて思い出すこと

戸次 今日は、憧れの高畑監督とお話できるというご縁をいただきまして、たいへん緊張いたしております。
しかも「非戦」という非常に重たいテーマですが、このことは私も一人のお寺の住職として、いま語っておかなければならない大切なことと考えております。
今年は、1945年に日本が戦争に敗けてから70年という年ですが、私はその3年後の48年の生まれですので、直接の戦争体験はありません。ただ、私の父は学徒動員で中国の東北地方へ兵隊として行かされ、敗戦後に帰国してから結婚して私が生まれたということでした。
しかし、私が物心ついてから、「戦争でどんなことがあったの」と父に訊いても、戦地での体験はまったく話してくれないのです。あまりしつこく訊くと、不機嫌になって怒りだすこともありました。やはり何か、思い出したくないほど辛いことがあったのかなと思います。そういうことが、ひとつ私のなかに戦争にまつわる記憶として残っています。
高畑さんは戦争が終わったときには国民学校の4年生で、終戦の前に岡山市で空襲に遭われたそうですね。

高畑 ええ。その年の6月29日未明、僕ら家族が住んでいた岡山市は、B29からの焼夷弾(しょういだん)による大規模な空襲を受けました。僕は7人兄弟の末っ子だったんですが、すぐ上の姉と2人だけで、火の雨が降ってきて、落ちた焼夷弾が飛び跳ね、燃え上がる市街地のなかを逃げまどいました。まわりは火の海、どこへ逃げたらいいかわからない。やっと街の中央を流れる旭川にたどり着き、汚れた黒い雨に打たれながら、夜が明けるまで震えていました。そのあと家の方へ帰ったのですが、自分の家も含めて、街はすっかり焼け野原で、途中、蒸し焼きになった夥(おびただ)しい死体を目にしました。家の前の川ではたくさんの人が水に浸かったまま亡くなっているのです。この空襲とその後の体験は、いまこの歳になっても僕の人生でもっとも大きな出来事だったと思います。

 

― 『火垂るの墓』では戦争を防ぐことはできない

戸次 そういう話をお聞きしますと、誰もが高畑さんが監督されたアニメーション映画『火垂(ほた)るの墓』(88年、新潮社)を思い出しますね。あれは神戸の大空襲で幼い妹と一緒に焼け出された少年のお話で、原作者の野坂昭如(のさかあきゆき)さんが実際に体験されたことがもとになっているわけですが。

高畑 『火垂るの墓』を作った理由のひとつに、自分自身の空襲体験があったことはたしかです。しかし、これは何度も話したり書いたりしていることですが、ああいう作品が反戦映画とよばれることには異論があります。戦争に負けそうになってから人々がどんなに悲惨な目に遭ったかをいくら描いたところで、これからの戦争を防ぐ力にはならないと思うのです。戦争が悲惨だということなら、いまでもそれは世界各地で実際に起きていることです。でも、為政者は次の戦争をはじめるとき、「こんな悲惨な目に遭わないためにこそ、戦争をしなければならないのだ」と言うに決まっているからです。

戸次 そうですね。どんな戦争でも、最初は「自衛のため」とか「平和のため」という名目ではじまりますから。

高畑 だからむしろ、まず学ぶべきは、なぜ戦争がはじまってしまったのか、なぜ避けられなかったのかです。そして、負けがはっきりした時点で、政府や軍部はなぜ戦争をやめられず、ずるずると引きずり、多大の犠牲を兵士や国民に強いたのか。もう一つは、攻め込んだ国々で何をやらかしたのか、ですね。それから、戦争が始まったとき、普通の人々がどう思い、どう行動したのかを知っておくべきだと思います。僕は太平洋戦争の開戦時にはまだ6歳ぐらいですからよく覚えているわけではありませんが、ジャズやアメリカ映画が好きで、勝てっこないよ、なんて言っていた人が、「はじまってしまったからには、もう勝ってもらうしかないじゃないか」とこぞって為政者に協力しはじめた。戦勝を祝う提灯行列なんかにしても、別に強制されたわけではなく、みんな喜んで参加して旗を振ったわけです。

戸次 いまもだんだんとそんな雰囲気に近づいているような気がしますね。

高畑 よく年下の人のなかには、戦争中は強制されてずっと悲惨な状態が続いていたと思い込んでいる人がいるのですが、日常生活はいつもそんなに惨めだったわけがありません。それこそ勝ちいくさには酔ったように感動したし、負けはじめて玉砕などということになっても悲壮感に燃えたりしていたんです。日本のアニメーション映画には、『火垂るの墓』をふくめ、原爆や空襲など戦争末期の悲惨な体験を描いて、平和を願う気持ちを子どもたちに伝えるために作られた作品がたくさんあります。それはそれで有意義なアニメーションの使い方だったと思いますが、さっきも言いましたように、本当の意味での反戦を映画で訴えるのは難しい。

 

― 死者の視線をいつも感じる日本人の死生観

戸次 おっしゃる通りですね。ただ、そうはいっても、『火垂るの墓』は毎年夏になると必ず見てしまう大好きな作品ですし、とても優れた作品だと思います。思い出してみますと、あの映画が公開された88年というのは、まさに戦争の最高責任者だった昭和天皇が亡くなろうとしていたときでした。ですからよけいに、あの戦争で亡くなっていった人たちの物語が身に浸みるような感じがしたのではないかと思います。それに、あの映画は宮崎駿(はやお)監督の『となりのトトロ』と2本立てで公開されましたね。『トトロ』はお化けの映画で、『火垂る』はお墓の映画。つまり、あの2本立ては、反戦のメッセージだけでなく、日本人にとって「死」や「異界」とは何かを深く問いかけていたような気がするのです。

高畑 そうですね。あの野坂さんの原作をアニメーションにしようとした理由のひとつは、亡くなった少年が語り手になっているということです。物語のはじまりで語り手はすでに死んでいる。つまりあれは、死者が語る物語なわけですね。それは、日本人の死生観と密接に絡んでいるのです。日本では「中陰(ちゅういん)」とか「中有(ちゅうう)」といって、亡くなった人は四十九日のあいだ、あの世とこの世の中間にいるような言い方をしますね。そして、お盆やお彼岸(ひがん)には故人と再会できるといった慣習もありますし、「ご先祖さまが草葉の陰から見ている」と言ったり、クリスチャンでない人でも「天国のお父さまがお喜びでしょう」なんて言ったりするでしょう。つまり、亡くなった人が自分を見てくれているという感覚がある。そして、何か悪いことをしそうになったときに亡くなった親の顔がちらつくといったように、死者が見ているということが道徳の基盤になっているようなところがありますよね。

戸次 死者との距離が近くて、いつも死者の視線を感じているような感じがありますね。

高畑 それは非常に大事なことだと思うのです。ですから、野坂さんの小説を映画にしようと思ったのも、むしろその感覚を伝えることが大切だからと思ったからなのです。戦争のもたらす悲惨さを描くのと同時に、ですね。

 

― 常に「危機」を訴え感情をあおる為政者たち

戸次 それにしても、いま私たちがこうやって話をしているあいだにも、国会では、日本が他の国と一緒になって戦争するという「集団的自衛権」が行使できるようにと、「安全保障関連法案」が議論されています。このままいくと、戦後70年の夏は、次の戦争への扉を開いた夏だったということにもなりかねません。

高畑 例えば「重要影響事態」とか「存立危機事態」とかいう言葉まで造語して、我が国が存亡の危機にさらされているときにも黙って見ているのか、といった言い方で国民を納得させようとしていますね。しかし、「存立の危機」ということで言えば、太平洋戦争の開戦時でも同じことだったじゃないですか。あのときも日中戦争の泥沼化や満州国建国の失敗などで追い詰められ、国際的に孤立して国際連盟を脱退し、「ABCD包囲網」で国家存亡の危機に追い込まれたから、それを打破するには米英などと戦うしかないと言って無謀な戦争に突入していったわけでしょう。実際はいろんな政策や外交の失敗によって危機が生まれているのに、それを他国のせいにして愛国心をあおり、戦争へ突入していく。為政者にとって、こんな楽なやり方はないですよね。自分たちの責任を棚上げして、国民を動員することができるわけですから。

戸次 いまの政府の人も、感情をあおるような言い方をしますね。日本を守ってくれるアメリカの船艇が他国の攻撃を受けたとき、放っておいていいのか、とか。

高畑 日本人はまた、こういう騙(だま)され方に弱いと思います。戦争中のことを思い出してみても、ほとんどの人は戦争賛成に回ってしまって、自分の信念に従って態度を決めることができなかった。最後まで反対した人はみんな牢屋に入れられてしまいましたしね。「非国民」という言い方にしても、あれは別に特高警察が使うだけの言葉ではなく、ごく普通の人が戦争に懐疑的な人を「非国民」と決めつけていたわけですよね。

戸次 いままたそういう風潮が復活してきていますね。

高畑 映画でも本でも、いまは「泣ける」ということが価値基準になっているでしょう。オリンピックのようなスポーツイベントでもそうですが、主人公が勝つことを願って応援し、やたらと感動したがる。こうした精神状態は、戦争が始まった時期によく似ていると思うのです。

 

― 決断ができない「ずるずる体質」の私たち

高畑 その根底には、よく言われるように日本人の集団主義とか、「長いものには巻かれろ」といった傾向があると思います。それから、僕はよく「ずるずる体質」という言葉を使うのですが、きっぱりとした決断ができない。戦争中も、さまざまな局面でこれ以上戦禍が広がらないような決断ができたはずなのに、結局は誰もそれをしないまま沖縄戦や空襲、原爆投下といったひどい事態を招いてしまった。しかもきちんと責任を取らない。バブルのときもそうです。こんな経済のあり方を続けたらいつかはひどいことになると誰もがうすうす気がついていながら、企業が破綻するまでずるずると無茶な投資を続けてしまう。そんな我々ですから、いまの集団的自衛権をめぐる議論にしても、「武力行使の3要件」といったものを設けて、それが歯止めになるなどと政府は説明していますが、実際に何かことが起これば、歯止めをかけそこなってずるずる事態を悪化させてしまうのは目に見えています。

戸次 原発問題にしてもそうですね。3・11以後にどんな悲惨なことが起きたかをもう忘れてしまったように、ずるずると原発を続けるような方向に動いてしまっています。

高畑 原発をどうするかについても、実際に取り返しのつかない事故が起きたことを抜きにして、経済性や環境への負荷などを数字だけで議論していても結論は出ないでしょうし、このまま原発を続けたい人たちの思惑どおりになるのは目に見えています。やはりそれは、まずきっぱりと「原発をやめる」という決断をしてから、その枠組みのなかでいろんな問題をどう解決するか考えていった方がずっといいと思うんですがね。

戸次 歯止めをかけるという意味では、ずるずると戦争へ向かう流れに歯止めをかけてきたのはやはり日本国憲法の第九条だったのではないかと思うのですが。

高畑 そう思います。憲法九条があったからこそ、戦後の日本はアメリカに従属していたにもかかわらず戦争に巻き込まれずにすんできた。その事実をしっかりと認識し直すべきだと思いますね。九条が掲げる理想と現実とのあいだには確かに大きなギャップがあります。でもそのギャップがあるからこそ、多くの人は知性を眠り込ませないで、悩みながら問題を平和的に解決する道を探ってきた。このギャップを、理想を捨て去ることによって解消しようとすることほど愚かなことはありません。

 

― 「和」の精神がもたらすよい傾向と悪い傾向

戸次 原発の問題で言えば、ドイツは3・11のあと、きっぱりと原発をやめる決断をしましたね。

高畑 そうですね。ドイツでは戦争責任や戦後処理についてもそうでした。

戸次 そのあたり、ドイツと日本では精神構造も社会構造も違うからなのでしょうが、端的に言ってどこが違うと思われますか。

高畑 ひとつには、日本人の精神構造のなかにある「和」ということに問題があると思います。確かに、他人との違いや対立をとやかく言わないで、ことを荒立てず穏やかに過ごしていきたいという願望は、いい方向にはたらく場合ももちろんたくさんあるのですが、いま起きている問題の関しては悪い方向にしか働かないような気がします。

戸次 その通りですね。悪い方向へ働いた場合は、国民を一致団結させて戦争を進めようとする為政者にとって都合のいいものになってしまう。
「和」というのは難しい問題でして、仏教を日本に根づかせた聖徳太子の「十七条憲法」にも「和(やわ)らかなるをもって貴しとし」とあるように、日本人に「和」の精神をもたらしたのは仏教の影響だとも言えます。そこには確かにいい面と悪い面がありまして、「和」の精神には、いのちの調和を考えながら一切の衆生(しゅじょう)(生けとし生けるもの)と共に生きたいという仏教の大切な願いと連なる面もあるのです。

高畑 それは「和」の精神がもつ非常に積極的な側面ですね。

戸次 ええ。日本だけでなく、仏教圏ではどこでもそういう思想が広まっていると思います。一昨年に公開された高畑監督の『かぐや姫の物語』(スタジオジブリ)の劇中で、かぐや姫や子どもたちが口ずさむ「わらべ歌」も、まさにそういう歌でしたね。高畑さんご自身が作詞作曲されたそうですが、「鳥 虫 けもの 草木 花…、せんぐりいのちがよみがえる」と、まさにいのちの共生と循環が歌われていて、すごい歌だなと感心しました。今日はあまり詳しくお話しできませんが、『かぐや姫の物語』は、背景にとても深い宗教性を感じる優れた映画だと思っています。

高畑 ありがとうございます。おそらく仏教にはもともと「山川草木悉有仏性(しつうぶっしょう)」というのでしょうか、いのちあるものはすべて尊くて平等だという発想がある。それはとても大切な思想だと思うのです。ですから、意見の対立が生まれたときに、いがみあわず「和」の精神で話しあって解決するというのはよいのですが、日本人の場合に問題なのは、ともすれば「和」を尊ぶあまり、最初から異なる意見が出ることを抑制してしまう傾向があることです。全員一致主義で、一致できないものは仲間はずれにされてしまう。こんな怖いことはありません。

 

― 必ず「一人」に立ち返る親鸞の思想

戸次 そうですね、仏教にもいろんな傾向があるのですが、もともと仏教には一人ひとりの主体性を重んじる傾向が強いと思うのです。例えば中国の孔子の言葉をまとめた『論語』は「子曰(のたまわ)く」、つまり「先生はおっしゃった」という言葉ではじまるでしょう。ところが仏教のお経は、どれも「如是我聞(にょぜがもん)」とか「我聞如是」、つまり「このように私は聞いた」という言葉からはじまるのです。つまり、「私が聞いた」ということの責任において何かを語るということを大切にする。ですから『歎異抄』で親鸞が「たとい、法然聖人(ほうねんしょうにん)にすかされまいらせて、念仏して地獄(じごく)におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」と語っているのも、その伝統を踏まえての言葉です。つまりあれは、法然という先生に依存するのではなく、自分自身の責任において念仏を選び取ったということを言っているのですね。

高畑 『歎異抄』であの言葉を読んだときには本当にびっくりしました。自分の師匠である法然にだまされて地獄に堕ちても後悔しないと言っているわけでしょう。それで思い出したのは、パスカルの『パンセ』に出てくる「パスカルの賭け」と呼ばれている文章です。

戸次 パスカルは「信仰は賭け」だと言ったんですね。

高畑 ええ。神が存在することを信じるか否かというときに、神を信じても失うものは何もない、だから信じると。あの論理にどこか似ているように思いました。

戸次 親鸞の伝記を見ますと、例えば法然の弟子たちと語りあっていたときに、私の信心(しんじん)と法然上人の信心は同じだと言いだして、先輩たちから非難されるといった場面が出てきます。ですから親鸞は、周りの意見がどうであれ自分の意見をきちんと伝えるのですね。「弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞(しんらん)一人(いちにん)がためなりけり」という言葉も有名ですが、いつも「一人」に立ち返るというところが親鸞にはあるように思います。

 

― 壁を打ち破る若者たちの力に期待する

高畑 今回の対談にあたって初めて見せていただいたのですが、大谷派は95年に、過去の戦争に協力した責任を反省して「不戦決議」というのを出しておられるのですね(前頁の囲み前半参照)。これはとても画期的なことだと思います。

戸次 戦後50年にあたってこの「不戦決議」を掲げたときには、私自身も若い頃から仏教者の戦争責任に関心をもって追求してきましたから、決議文を作るのに参画したりもしました。このたびはまた、戦後70年ということで「非戦決議2015」(前頁囲み)というのが決議されたわけですが、こうした決議や声明をしっかり世のなかに伝えて、実現していく努力をすることが大切だと思っています。特に若い人たちにそれを伝えることが大切ですね。

高畑 そうですね。もしも戦争が起きたら、誰がいちばん大変な目に遭うかと言えば、若い人たちと、これから産まれてくる子どもたちに決まっているわけで、そのことがいちばん心配です。いまの若い人は、パソコンやスマホなどを使いこなして、つながり方の工夫は僕らよりも一枚うわてなわけですから、そうした力を活かしてもっと声を上げていってほしいと思いますね。
希望もあります。昨年から、学生が中心になって呼びかけて、戦争に反対する「渋谷デモ」というのが広がってきていて、僕もいちど若い人に誘われて参加しました。これまでデモと言えば、国会議事堂前や霞が関の官庁街を通るコースが主でしたから、若い人が中心になって警察と粘り強く交渉し、渋谷のあんな雑踏のなかでデモをするルートをちゃんと開発しただけでも大したものです。若者のなかからそういう壁を打ち破るような動きが出ていることに期待したいですね。

戸次 最近は20代や30代の若い知識人のなかに、憲法の問題や民主主義のルールについて斬新な本を書いたり発言をする論客も出てきていますよね。そういう人たちにもっと学ばなければと思っているぐらいですから、偉そうに説教することなどおこがましくてできませんが、若い人たちの魂に届くような言葉で、仏教や親鸞のメッセージを伝え続けていきたいなと思います。

高畑 最近の若い人には、「空気を読む」といって、いつも周りの雰囲気を気にして和を乱さないように振る舞うことがよしとされるような傾向が広まっています。その点、先ほど言われた、いつも「一人」に立ち返るという親鸞の思想はすごいですね。

戸次 私が大事にしている言葉のひとつに、『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』というお経の言葉で、「於諸衆生(おしょしゅじょう)、視若自己(しにゃくじこ)」というのがあります。「もろもろの衆生において、視(みそな)わすこと自己のごとし」、つまりあらゆるいのちある者を、自分自身を見るように見なさいということですね。実はゲーテの言葉にもよく似たのがありまして、それは「自分のことを他人のように見てごらん、他人のことを自分のように見てごらん」というのです。ですから、自己を見据えるといっても、自分のなかだけに狭く閉じこもるのではなく、自己というものを通して世界のあらゆるものを見直してみようということですね。そうすることによって、他との関わりも深まっていくし、広がってもいく。そういう思想が仏教にはあるのだということを伝えていきたいと思っています。今日は本当にありがとうございました。【終】

(出典:月刊『同朋』誌2015年8月号6-13頁)

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月刊『同朋』誌2015年8月号 / 読みま専科 TOMOブック

真宗大谷派 「非戦決議2015」

【2018.4.6掲載】高畑勲監督 訃報 – スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI