世の中安穏なれ  仏法ひろまれ

(出典 「親鸞聖人御消息」 『真宗聖典』)

今日のことば
わたしは単語をしらない。わたしは単語をしらない。-善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり

「世(よ)のなか安穏(あんのん)なれ」

 

-親鸞聖人(しんらんしょうにん)が開示なさったお言葉であります。

 

「安」の字は、女性が家にやすらぐ様子を現しています。「隠」は穀物の穂を揉みほぐし、収穫する人の働く姿を現しているのでした。豊かな実りと、女性が家にやすらいでおれる日々を、それこそ万人の願いでありましょう。

 

 

とはいえ、人間の世界には、常に戦争の業火(ごうか)が燃え盛っているのでした。

 

人間が人間と殺し合うのあります。第二次世界大戦の末期には、広島と長崎に原理爆弾の巨大な火柱が吹き上がりました。人間は「安穏なれ」と願いながら、その深い願いに自ら背いているのであります。親鸞聖人のご和讃(わさん)がありました。

 

 

よしあしの文字をもしらぬひとはみな

まことのこころなりけるを

善悪の字しりがおは

おおそらごとのかたちなり

 

 

人間は「よしあしの文字」を知っています。しかし、その文字の知恵が黒闇(こくあん)となり、戦争という地獄を生むのです。

 

明治の福沢諭吉(ふくざわゆきち)はその「文字」を「文明開化」の「道具」と見なす一方で、日清戦争が勃発(ぼっぱつ)すると『日本臣民(しんみん)の覚悟』を書いていました。人の種が尽きるまで戦えと呼びかけている。第二次世界大戦のときには、その文字の知恵は「鬼畜米英(きちくべいえい)」「滅私奉公(めっしほうこう)」という檄になっています。

 

 

今日のイラク戦争の地獄にも「文明対野蛮」を戦争の大義とした「善悪の字しりがお」が横たわっています。現代の地球規模の環境破壊も、同じ知恵の闇の仕業(しわざ)でありましょう。

 

人間とは「善悪の字しりがお」になったとき、深い心底の願いと真実の喜びを見失うのでした。鎌倉時代にも武家がそお「よしあしの文字」の知恵と刃をその手に握っています。

 

 

親鸞聖人は念仏一筋に生きようとした性信坊(しょうしんぼう)が、その時代の冷酷な裁(さば)きの場に立たれたとき、励ましのお手紙を書かれたのでした。

 

「性信坊ひとりの、沙汰(さた)あるべきことにはあらず」

 

と、まず告げられておられました。そして、述べられた。

 

「わが御身(おんみ)の料(りょう)は、おぼしめさずとも、朝家(ちょうか)の御(おん)ため国民(こくみん)のために、念仏(ねんぶつ)をもうしあわせたまいそうらわば、めでとうそうろうべし」

 

と。

こお「めでとうそうろう」は、まさに「善悪の字しりがお」の「おおそらごと」を生きる人に真っ直ぐ向けられています。

 

 

親鸞聖人は、人苑の自力作善(じりきさぜん)を厳しく見据えられておられたのでした。

 

「おおよそ大小聖人・一切善人、本願の嘉号(かごう)をもって己(おのれ)が善根とするがゆえに、信を生ずることあたわず、仏智(ぶっち)を了(さと)らず。かの因を建立(こんりゅう)せることを了知することあたわざるがゆえに、報土に入ることなきなり」(『真宗聖典』356頁)

 

と。

戦中の「一億玉砕(ぎょくさい)」の思想は、仏を否定する「自力」の闇にほかならなかったのであります。

 

 

明治の福沢諭吉は、まさしく「自力」の「実学」に立っていたのであります。

 

 

今日もその闇は深く行き渡っています。

 

 

戦後の焦土(しょうど)のただ中から生まれた平和への願いと憲法が、改定されようとしている。

 

 

「三願転入」を誓われた仏の真実が、いま深く願われます。

 

 

阿弥陀(あみだ)の第十八願こそが、人間の根本を開いているのであります。親鸞聖人は明示(めいじ)なさっていました。

 

「わが身(み)の往生(おうじょう)、一定(いちじょう)とおぼしめさんひとは、仏(ぶつ)の御恩(ごおん)をおぼしめさんに、御報恩(ごほうおん)のために、御念仏(おんねんぶつ)、こころにいれてもうして、世のなか安穏(あんのん)なれ、仏法(ぶっぽう)ひろまれとおぼしめずべしとぞおぼえすろう」

 

と。

「世のなか安穏なれ」とは、阿弥陀仏の大音声であります。

 

高 史明 (コ・サミョン  1932年生まれ。神奈川県在住。作家。在日朝鮮人二世。)

『今日のことば2008年表紙』

※『今日のことば2008年度版』のまま掲載しています。

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