―医師であり、真宗大谷派の僧侶である沼口諭さんは、患者さん、宗教者、街の人が接することができるカフェを医院に開設、臨床宗教師の実習の受け入れを行うなど、人と人との接点を大切にする活動を続けておられます。今回、医療の現場で沼口さんが宗教者に求められていると感じられたことについて、教化とグリーフケアという視点からお話しいただきました。

仏事における教化とグリーフケア

~生から死へと移ろう現場から~

文 : 沼口 諭(医療法人徳養会沼口医院院長)

 

沼口諭グリーフケア①-1

沼口 諭(ぬまぐち さとし):医療法人徳養会沼口医院院長、中部臨床宗教師会顧問
♣はじめに

 

近年、日本社会は超高齢多死社会を迎えて地域包括ケアシステム(※)が構築され、医療制度も病院や診療所、介護施設、行政等が連携して多職種で地域を支える仕組みに変わってきました。

 

普段、私は開業医として診療をしていますが、その仕事の内容は、来院される患者さんの診察や、患者さんのご自宅やグループホーム、有料老人ホームなどの施設に出向く訪問診療です。とくに訪問診療では、人生の最終段階の方をみる機会が多く、がん末期の方や誤嚥(ごえん)性肺炎、老衰など年間に60~70人のお看取りをしています。

 

一方、真宗大谷派の僧侶として数は少ないですがご門徒さんの通夜・葬儀、法事にも関わる機会があります。そのような二足の草鞋を履き、生から死へ移ろう(死の前後の)現場に携わる私の経験から思い浮かぶ言葉を、教化とグリーフケアの視点から考えてみました。通夜・葬儀、法事などの仏事にこれから関わる僧侶の方々へのメッセージとして参考になれば幸いです。

 

♣仏事における教化とグリーフケア

通夜・葬儀、法事などの仏事における教化は、僧侶にとって非常に大切な使命です。しかし、それらの教化はあくまでも僧侶の視点に立ったものであり、遺族の視点に立ったときグリーフケアの必要性が見えてきます。

 

現代社会においては個が重視され、葬儀も家族葬が中心となり儀式が簡略化されて、都会では直葬も珍しくない状況の中で、教化が難しくなると同時にグリーフケアの視点なしにご遺族と関わることは難しい場面も多くなりました。そういう点では僧侶にとってもグリーフケアは必要なスキルになりつつあるのかもしれません。

 

しかし、言葉だけのテクニックとしてのグリーフケアではメッキが剥がれるばかりか教化にとってもマイナスになりかねません。また、ご遺族は故人と別れて辛い感情に覆われたとしても全ての人が必ずしもケアを受けたいと思う訳ではありません。

 

では、僧侶にとって教化やグリーフケアを考えるときに一番大切なことは何でしょうか?

 

 

♣老・病と向き合う

世間では、病気で人が亡くなるとき、生きている間は医療者が関わり息を引き取ってからは僧侶が関わるという認識が一般的だと思います。つまり、僧侶は、ご遺族から訃報の連絡を受けて枕経から始まり、通夜、葬儀、中陰、法事という流れで仏事を行うことが仕事であり役目であると思われており、僧侶の皆さんも思っておられるかもしれません。

 

しかし、当たり前のことですが、生前から故人やそのご家族の方々との信頼関係の構築が一番大切です。訃報の連絡を受けてから関係が始まるわけではないのです。

 

医療者の立場から言えば、病気を患っておられたとしても生前から関われるような関係を持っていただきたいと思います。つまり、生老病死の死だけではなく、老や病ともしっかりと関わってもらいたいのです。

 

沼口諭グリーフケア⑦これはまさにビハーラ活動の原点だと思いますが、ご門徒さんから病気になったからこそ来てもらいたい、相談に乗ってもらいたいというような関係性を持つことが重要だと考えます。

 

とにかく生きている患者さんに関わることが大切で、そこでは教えを説くのではなく、まずは人として寄り添い患者さんのこころの叫びに耳を傾けてもらいたいと思います。つまり傾聴ということです。

 

ただ聞くのではありません。聞く、聴く、訊く、効く、利く、これをスピリチュアルケアと言います。

 

傾聴には経験も重要ですが、僧侶のみなさんはご門徒さんのお話しを聴く機会も多いと思いますので、普段から傾聴のスキルを磨かれるといいでしょう。

 

また、死を前にした人に対して、何か話さなくてはと焦る必要は全くありませんし、むしろ求めもないのに教えを説くことは避けるべきで、ただ傍で真摯にその方が生きてこられた人生の最後の語りに耳を傾けるだけで十分です。

 

傾聴によってしっかりといのちのバトンを受け取り、ご遺族にお伝えすることも僧侶として大切な役目だと思います。もちろん、患者さんやご家族との信頼関係が築けていたら、自然な形で教えをお伝えすることも十分できますし、現場を踏んで経験することによって誰でもできることだと思います。

 

沼口諭グリーフケア④

沼口諭グリーフケア②

蛇足になりますが、私が今取り組んでいる活動は、「いのちのケアをすべての人に!」を理念として、人生の最終段階で医療が必要となった現場でも僧侶など宗教者が関われるような環境作りであり、社会においてそのような状況が当たり前と思えるようなまちづくりです。

 

そのために、現在は臨床宗教師など臨床の現場に関わる宗教者の活躍を医療現場で支援しています。具体的には、宗教者が医療現場でどのように活動するとより患者さんの生き方を尊重した(人生を生ききってもらえるような)医療が提供できるかを模索し、活動しています。

 

また、当医療法人では、宗教との関わりがない方でも参加できる「偲ぶ会」(年2回、当法人のご遺族を対象とした会)や「語る会」(毎月有志のご遺族が集まり語り合う会)を、宗教者がファシリテーターとなって行っています。

 

さらには、このような考えに共鳴してくれる医療・介護従事者、市民を一人でも多く作ることを目的にビハーラ大垣を5年前に立ち上げました。生と死を考える連続講座を宗教者や医療・介護従事者、一般市民を対象として開催し、如何に人生を生き切るか?をテーマに学びを深めています。

 

 

♣通夜・葬儀までの準備

では、生前に十分な関係性を築くことができず亡くなられ方に対して、通夜・葬儀でご遺族にお声掛けをするときや、遺族を含めた関係者にご法話をするときは、どうしたらよいか?どのような亡くなり方をされたのか?を、それとなくご遺族にお聞きするか、葬儀に関わられるどなたかにお聞きすることは当然として、無理強いではなく傾聴からできる限り多くの生前の情報を知ることが大切です。

 

多くの方の死因は病気です。

しかし、不慮の事故あるいは自死が死因かもしれません。

 

また、病気であってもがんでつらい最後を送られたのか、誤嚥性肺炎で最後は食事が取れなかったのか、老衰で亡くなられたのかもしれません。

 

あるいは闘病期間には長かったのか短かったのか、どのような闘病生活を送られたのか、どのような介護サービスを受けておられたのか。あるいは認知症に罹患しておられたか、その場合どこで過ごされていたのか。

 

また、最近は孤独死で死体検案として看取りをされることもあります。

 

亡くなった場所も、統計的には70%強は病院ですが、最近はご自宅や特に施設での看取りが増えています。

 

人生の最終段階の状況は人によってさまざまですが、それこそが故人の人生の一部分として大切な部分です。

 

このような死に関わる情報以外にも、故人がどのような人生を歩まれたのかを知ることも大切です。そのような情報を知った上で、それに合った法話を組み立てることが重要だと思います。

 

 

♣応病与薬・対機説法

最後に、教化とグリーフケアについてお話ししたいと思います。

 

葬儀や法事という僧侶のホームグラウンドで、信心獲得、救済を目的に法話をすることは僧侶の使命として重要なことではありますが、こころに深い悲しみを抱えたご遺族には癒しが必要です。

 

そう言う意味で癒しを目的としたグリーフケアは重要であり、グリーフケアなくしていきなり相手のこころに土足で踏み込むような法話をするなんてことは、もってのほかです。

 

教化はあくまでも僧侶が主体となる営みであり、生前からの関係性を含めた信頼関係の上に成り立つものであることを十分わきまえ、ご遺族のこころの回復の状況、場の雰囲気などタイミングを計って行うことが大切です。

 

ですから、どんな法語や法話もタイミングによってはご遺族を傷つけ、害となる可能性もありますし、素晴らしい教化・救済にもなります。

 

葬儀や法事という仏事の場は、まさに応病与薬が求められ対機説法が必要な臨床の現場ということでしょう。

 

僧侶の皆さんには、ご門徒さんが亡くなられてからの葬儀、法事などの仏事だけでなく、日頃より生前から死後のすべての場面でご門徒さんと伴走することにより信頼関係を築くことによって、いのちのパートナーとしての活躍(いのちのケア)を期待しています。

 

(おしまい)

(※)地域包括ケアシステム … 団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供されるシステム。各自治体の自主性や主体性に基づき、地域の資源を生かし特性に応じて作り上げていくことが求められている。お寺も地域の資源としていかに関わるかが課題である。

 

沼口諭グリーフケア⑨
カフェには、ひとりで静かに過ごすことのできる空間が設けられている。いのちに向き合うのか、こころに向き合うのか。しずかに過ごされる方が多いという。

 


■執筆者プロフィール
沼口 諭(ぬまぐち さとし)

医療法人徳養会院長。中部臨床宗教師会顧問。2013年秋開催の第4回臨床宗教師研修より実習の受け入れ、2015年11月より国内で初めて医療現場に「臨床宗教師」が常駐する医療法人が運営する在宅型ホスピス「メディカルシェアハウス  アミターバ」を開設。同時に、施設の利用者と宗教者、そして地域の人との交流の場となる「Cafe de Monk(カフェ デ モンク)」も併設。また、宗教者としてのターミナルケア(終末期ケア)の研鑽・実践の場として、2014年に「ビハーラ大垣」を設立し、副代表を務める。

 

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