自死者追悼法要いのちの日 いのちの時間・名古屋別院を会場に―自死で大切な人を亡くしたら…思いがけない状況で、遺族は通夜・葬儀、法事の準備を進める中で、死因に対する偏見により、親族や知人による誹謗中傷を受けることも少なくありません。こうした亡くなった方の死因により、悲しみに向き合うことのできない状況にある遺された方が、遠慮することなく胸の内を語ることができる場を開こうという動きが広まり、名古屋教区教化センターでも2009年からこうした取り組みに関わるようになりました。その様子をご紹介します。

◆「いのち」について問うことができる場

宗派を超えた僧侶・宗教者の集まる「いのちに向き合う宗教者の会」は、年に3回、「いっぷく処」という名のわかちあいの会を開催し、12月には「自死者追悼法要 いのちの日 いのちの時間」を勤めています。わかちあいの会とは、大切な人を亡くした人同士で、今まで日常では話すことなく胸にしまいこんできた思いや、今感じていること、亡くなった人への感情を、ありのままに吐露する場です。互いに尊重しながらも遠慮なく話していくことができるように、話すときのルールがあり、その進行役を宗教者が担います。

 

参加される遺族には、大切な人を亡くしたばかりという方もいます。こうした心理面を考慮した配慮や、緊急時の対応が必要となる場合もあるため、会では「茶話会班」が置かれ、対応に必要な知識の研鑽や、ロールプレイの実施を開催しているそうです。

 

この茶話会班には、名古屋教区教化センターの大河内真慈研究員が関わり、こうした現場に則した対応を学ぶだけでなく、「現代社会と真宗教化の接点」という研究課題のもと、「弔い」「悼む」ということに関する人々の声を直接聞き取っています。

いのちに向き合う宗教者の会・全国交流会の様子

いのちに向き合う宗教者の会・全国交流会

なぜ宗教者がこうした場を開く必要があるのでしょうか。

 

名古屋教区教化センターでは、金融危機で倒産や失業が増えた1998年から14年連続で3万人を超えていた「自殺」という問題に対し、自死・自殺が死因である場合の葬儀・通夜・法事を確認したところ、遺された人、とくに故人と近い関係であった人は安心して悼むことができないという状況に置かれているということを知りました。

 

そこで、まずは悼むための場を必要とする人のために、安心して悼むことのできる場をつくりたいという願いから、宗派を超えて僧侶・宗教者が集まり、教化センターが後援するというかたちで取り組むことになったそうです。現在では、東海地域の自助グループや、名古屋市の精神福祉課と連携しながら、その活動は周知されるに至っています。

 

もう1つ、大事な理由があります。大切な人を亡くしたことをきっかけに、苦悩し続ける人々とともに宗教者自身が現代社会が抱える「いのちへの向い方」を問い、各々が所属する教団・寺院の在り方を見つめ直すということを目的としています。

 

筆者がこの場に加わったとき(※取材前の事前研修に参加済み)も、

「毎日家に来る虫が、子どもの生まれ変わりのような気がするんです。いのちが連綿とつながるものだというのなら、そんな可能性はあるのでしょうか。こんなこと、変に思われてしまうので普通の人には聞けません。教えてください」

とお子さんを亡くされた方から答えを求められ、応答に窮したという経験をしました。みなさんならどのようにお答えになるでしょうか。

 

こうした問いは、進行役である宗教者に、決してごまかしてはならない雰囲気の中で度々投げかけられてきます。

 

◆超宗派で勤める「法要」とは

年に1度の「自死者追悼法要 いのちの日 いのちの時間」では、超宗派の宗教者が集まり、それぞれの儀式を組み合わせながら法要の次第を作り上げます。

 

儀式の構成は、「御詠歌(ごえいか)」の厳かな空気を整える力や、宗教者・参加者ともに法要前には緊張をほぐす「座禅」や「瞑想」、「阿字観(あじかん)」について、そして、「念仏」を称える意味についてなどを確認しながら組み立てられていきます。今まで「他宗派のこと」として捉えていた儀式が、立体的に感じられます。

 

例えば、表白も毎年作成されており、この法要が安心して亡くなった大切な人と向き合うための場であるという意味が伝えられています。

自死者追悼法要・法要には御詠歌も取り入れられる。

自死者追悼法要のリハーサルの様子・名古屋別院にて

会の代表である根本紹徹さん(臨済宗妙心寺派神宮山大禅寺住職)は、「かたちは違えど、願いはひとつ」と呼びかけます。

 

それぞれが平時お勤めしてきた儀式は教義に基づくもの。それは宗教者としての願いが込められたものであるということ再認識する場ともなります。

 

このように構成された自死者追悼法要の当日、参加者は何かを噛みしめるような表情でうなずいたり涙を流したり、普段の生活では出すことのない感情に従いひと時を過ごします。大切な人を亡くし何十年という時を経た方も、この時だけはたくさんの涙を流し、ご自身の胸の内と向き合うことができるとおっしゃいます。「安心して悼むことができる」という場が、何年も続いていく遺された人の人生に影響する。儀式の成り立ちと意義を感じさせる空間でした。

 

また、超宗派であることについて参加者からは、

「家の宗教や自身の信仰における儀式作法に気をとらわれることなく故人を偲ぶことができる」

「宗教者に弔いを頼むことによって、布施がどれだけなのか、そもそもお願いしても良いのかという不安があったが、宗派が特定されていない法要なので足を運びやすかった」

という声が見られました。

 

普段の門徒さんとの関係において、通夜・葬儀・法事が弔いの場としてはたらいているのか、と問いかけられているようです。さまざまな宗派との交わりにより、儀式の意味、そして受け継いできた環境を見直す視点を、参加する宗教者自身が受け取る場でもあると感じました。

自死者追悼法要いのちの日いのちの時間では木魚も用いられる

自死者追悼法要いのちの日いのちの時間のお焚き上げの準備をする真言宗の僧侶ら

 

 

◆自死遺族の存在が問いかけるもの

実際に会員として関わる服部あずささんに、活動を通して見えてきたことをお話いただきました。


服部あずさ氏

「いのちに向き合う宗教者の会」では東海地域の超宗派の宗教者が教義の違いを認め合い、志を一つに、自死遺族の皆さんと交流しています。

関わる宗教者ですが、宗派の違いからか一人ひとりの雰囲気の違いが際立ち、きりっと威儀のある方、包容力の中に型破りなパワーを感じる方など様々です。そういう宗教者と参加されるご遺族の方が、その都度の巡りあわせで出遇い、何かが生まれていると感じています。

 

自死遺族の方々の苦悩は繊細、複雑です。
死別の悲しみにとどまらず、「なぜ自死という選択に至ったのか」という答えをもらえない問いの中で生きておられます。周りの目を意識する苦しさ。家族との微妙な温度差。

 

そもそも自死とはどういうことなのかを模索されたり、苦しみは多岐にわたります。葬儀・法事の際の宗教者の接し方を指摘されることもあります。

 

「心の寄り添い」とよく言われますが、話をする側、聴く側の間に垣根や距離を感じていました。

 

しかし活動を通じて、「同じ時代に生きるということは、表層は違えども根本は繋がっていて、タイミングや縁で実は誰にでも起こりうる問題をこの方が肩代わりして見せて下さっているのではないか」、そう感じることがありました。

 

私にも起こりうる出来事を聴かせていただく。感じておられることを表出していただき、外に出てきたものを一緒に観る。一緒に味わう。傍らに問いを携えながら生きていきましょう、と思うようになり、垣根の違和感が消えました。

 

また、ご遺族の方々のとことん苦しむ真摯なお姿は、決して見放された人生というようなものではなく、むしろ温かい大きなものに包まれておられるように感じます。「見えなくなってしまっているもの、忘れてしまっているものは何?」というような呼びかけを受けてみえるようにも見えるのです。

 

その問いは誰でもないその方のもので、取って代わってはいけない、邪魔をしてはいけないという思いも抱くようになりました。

 

相手を尊び、関わりの中から私自身も問いをいただき、お互いが自立する関係をめざしていこうと考えています。また、相手の話を静かに聞くということが「傾聴」に関する私の課題だとも感じています。

 

こうして活動に参加させていただくことで、私自身も変化しています。温かい会に参加させていただいています。

 

(プロフィール)
服部あずさ
真宗大谷派僧侶、法敬寺(名古屋教区第20組)坊守で、認定臨床宗教師(※)として活動。名古屋別院「老いと病のための心の相談室」の相談員に加わるなど、地域や病院での傾聴・グリーフケアの活動に携わる。「いのちに向き合う宗教者の会」では、茶話会班として参加者が胸の内を語る場である「わかちあい」の運営を担当し、対応の研鑽を目的とする研修会の企画等も行う。


◆現代社会との接点

現代の日本は科学的な根拠を足場にしながらも、自身の信仰を自覚することはなくとも慣習的に宗教行事に関わる風土から、精神的・霊的な“スピリチュアル”への関心は高いといわれます。しかし、突然大切な人を亡くすことにより、単なる関心としてではなく、自身の生き方に関わるものとして、葬儀などの儀式に向き合うことになります。

 

今回取材した「いのちに向き合う宗教者の会」の活動を通じ、こうした社会背景の中から生まれてくる率直な問いに、宗門で受け継がれてきた教義に基づく理解が対応し得るのかという課題が突きつけられているように感じました。ここに、現代社会と真宗教化の接点を見ることができるのではないでしょうか。

 

今年の「自死者追悼法要 いのちの日 いのちの時間」は、2018年12月 に開催されるとのこと。11月には、専門家を招いての事前の学習会や法要のリハーサルも行われるため、初参加の人でも遺族の方との接し方を学んだり、法要の流れを把握することができるそうです。

 

宗教者としてこの時代を生き、何ができるのか。その問いをもった宗教者が集まることのできるこの求められた場が、今後も続けられていくことを願うばかりです。

(文:企画調整局)

名古屋教区教化センター

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日本臨床宗教師会

※一般社団法人日本臨床宗教師会認定臨床宗教師の略称

名古屋別院「老いと病のための心の相談室」

東京都福祉保健局の自死遺族向けリーフレット「大切な人を突然亡くされた方へ」
※必要な手続きや相談窓口がまとめられている