『歎異抄』は、親鸞聖人の弟子である唯円が、親鸞聖人の言葉によりながら、聖人なきあとの異説を歎き、聖人の教えの真意、真実の信心を伝えようと書き記したと言われています。 このコーナーでは、元飯田女子短期大学長の高松信英氏による『雑草の輝き 歎異抄に学ぶ』(東本願寺出版・1978年)をもとに、『歎異抄』全十八章の原文、著者による意訳、各章に関わる随想を掲載しました。『歎異抄』をより身近に感じていただくことを願い公開しております。

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総序(真宗聖典767頁)

竊かに愚案を回らして、粗古今を勘うるに…

第一章(真宗聖典767頁)

弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて…

第二章(真宗聖典767~768頁)

おのおの十余か国のさかいをこえて…

第三章(真宗聖典768~769頁)

善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや…

第四章(真宗聖典769頁)

慈悲に聖道・浄土のかわりめあり…

第五章(真宗聖典769~770頁)

親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず…

第六章(真宗聖典770頁)

専修念仏のともがらの、わが弟子ひとの弟子、という相論のそうろうらんこと…

第七章(真宗聖典770頁)

念仏者は、無碍の一道なり…

第八章(真宗聖典770頁)

念仏は行者のために、非行非善なり…

第九章(真宗聖典770~771頁)

「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころ、おろそかにそうろうこと…

第十章(真宗聖典771~772頁)

「念仏には無義をもって義とす。不可称・不可説・不可思議のゆえに」…

第十一章(真宗聖典772~773頁)

一文不通のともがらの念仏もうすにおうて…

第十二章(真宗聖典773~775頁)

経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと…

第十三章(真宗聖典775~777頁)

弥陀の本願不思議におわしませばとて、悪をおそれざるは…

十四章(真宗聖典777頁)

一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしということ…

第十五章(真宗聖典778~779頁)

煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくということ…

第十六章(真宗聖典779~781頁)

信心の行者、自然に、はらをもたて、あしざまなることをもおかし…

第十七章(真宗聖典781頁)

辺地の往生をとぐるひと、ついには地獄におつべしということ…

第十八章(真宗聖典781~782頁)

仏法のかたに、施入物の多少にしたがいて、大小仏になるべしということ…

後序(真宗聖典782~786頁)

右条々はみなもって信心のことなるよりおこりそうろうか…


『歎異抄』にかかわる書籍はこちら(東本願寺出版HP)