「ハンセン病問題を知るために」リーフレット
「ハンセン病問題を知るために」リーフレット

私は本名を名告る
本名を名告って「らい」の現実を訴える   伊奈 教勝(藤井善)

表紙の言葉は、ハンセン病回復者の伊奈教勝さんの言葉です。
日本のハンセン病隔離政策は単にハンセン病患者を空間的に隔てるだけでなく、時間をも断ち切るものだったのです。それを象徴するのがいわゆる「園名」です。
かつてハンセン病療養所に入所、隔離させられた人たちは、それまで使っていた本名とは別の名前を使わされるということがありました。また患者の方々も、自分が病気になったせいで家族を大変な目に合わせたくないという思いで、それまでの本名を捨て園名を使わざるを得なかったのです。
しかし、それまで使っていた本名を捨てる・捨てさせるということは、それまで生きてきた人生そのものを捨てる・捨てさせるということに他なりません。それは入所者に自らが療養所以外では存在をゆるされない者としての自己認識を強いることでした。
伊奈教勝さんは大谷派僧侶です。長島愛生園での四十年以上の隔離を経た一九八九年に、園名藤井善から本名伊奈教勝を名告りました。この名告りによって、自分自身と、自分を隔離してきた社会そのものを問うたのです。それは人間回復という大きな願いとともに、私たちに向かって発せられた魂の叫びでありました。そして伊奈さんはこう言います。
「本当の人間回復とは、私を園に送り込んだ側、差別した側も共に回復することです。 私を隔離することを容認している間は、本当の喜びはないのであって、私が人間回復し、家族を始めとする親戚の人々と一緒になった時が、はじめて本当に自他共に人間回復する時です。」
この言葉は私たちのハンセン病問題への向き合い方を厳しく問うものです。伊奈教勝さんの本名の名告りは、伊奈さん一人ではなく、すべての人にとっての人間回復への願いなのです。

 

ハンセン病問題とは

差別の原因は隔離政策である
ハンセン病を発病した人やその家族が差別 と偏見を受けてきたのは、かつて「らい病」と呼ばれた病気そのものが主な原因ではありませんでした。
かつて明治政府は欧米列強の仲間入りを目指し、ハンセン病患者を国の恥とみなして、ハンセン病絶対隔離政策を開始しました。この政策は、全ての患者を強制的に家族から引き離し、終生療養所に隔離するという世界的にも異例なものでした。ハンセン病患者を捜し出し、時には警察や軍が立ち会い、専用の特別な車両に乗せられ、隔離施設に収容されました。これらのことによって、人々にハンセン病に対する恐怖心が植えつけられ、患者・家族らは厳しい差別と偏見にさらされることになりました。
すなわちハンセン病問題とは、絶対隔離政策を定めた「らい予防法」に基づく、国の政策によってもたらされた被害の回復に取り組む問題なのです。

ハンセン病とは ・・・ハンセン病は18 7 3年にノルウェーの医師ハンセンにより、原因となる菌が発見され感染症であることがわかりました。 しかし現在の日本の生活環境では、疫学的に見て多くの人に免疫があると考えられ、新たな患者の発生はありません。回復者の方々の外見上の特徴は、治療が遅れたことの後遺症によるもので、病気は完治しています。

 

隔離政策の被害
いま求められている被害回復への取り組み

国の誤った隔離政策のもとで療養所入所者は、本名を奪われ、所内労働を強いられ、退所も外出も許されず、断種や堕胎が強要されるなど、人間としての根幹が否定されてきました。さらに亡くなった後も遺骨は家族に引き 取られることなく、所内の納骨堂に収められました。
また、その家族は就職や結婚が困難になるなど、厳しい差別を受けました。例外的に退所した人や非入所者も、隔離と差別を怖れ、身をひそめて暮らさざるを得ませんでした。
19 9 6年に「らい予防法」は廃止されましたが、療養所は社会から切り離された状態が続き、今もふるさとや家族との関係が絶たれたままの人がたくさんおられます。
また、退所者は周囲の人にハンセン病であったことを知られることに不安を感じています。
これらの問題の根本的な解決を目指して、19 9 8年、国の責任を問うハンセン病国賠訴訟が起こされ、2 0 0 1年に画期的な勝訴判決を得ました。さらに2 0 0 9年には「ハンセン病問題基本法」が施行され、問題の真の解決に向けた一歩が踏み出されました。

 

大谷派とハンセン病問題
これまでとこれから
真宗大谷派は19 0 7年の隔離政策の開始から、他の仏教教団に比べて突出した国との密接な連携のもと、大谷派光明会を設立するなど、その政策に加担してきました。入所者を憐れむべき「慰安」「救済」の対象とし、人間扱いされない隔離の場で、国のために不満を言わずに感謝して隔離を受け入れることが「信心」「救済」であると説いてきたのです。「病そのものとは別の、もうーつの苦しみをもたらした」ということになります。そして戦後もこのような関わりを継続してきました。
19 9 6年、遅きに失したとはいえ、私たちは被害を受けた方々に対して、「謝罪声明」を社会に公表し、あわせて、国の今後の取り組みに対する要望書を提出するなど、新たな一歩を踏み出しました。
私たちはハンセン病問題から、あらためて「信心とは」「救済とは」そして隔離された者、隔離した者が「共に解放される」とはどういう
ことなのかと問われています。
また、この過ちを繰り返さないためにも、療養所を訪ねだり、身近に生活しているハンセン病回復者の方々と水平に出会う交流がはじまることが願われています。

(真宗大谷派解放運動推進本部)

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