「も差別問題に関するリーフレット 「もうひとつの原発問題」
差別問題に関するリーフレット 「もうひとつの原発問題」

1.「福島差別」がつくり出されています

「福島差別」、こんな言葉を聞かれたことはないでしょうか。原発事故の被災地住民はもとより福島県民全体に対する排除や忌避という差別の現実です。

新聞報道によると、福島県から避難してきた子どもが「放射能がうつる」と言われてイジメにあったり、ホテルの宿泊拒否やガソリンスタンドでの給油拒否、福島ナンバーの車による運送拒否など驚くような事実が紹介されています。

法務省の発表(※1)でも、「近隣住民から、福島県から避難してきたことを理由に、子どもを公園で遊ばせるのを自粛するように言われた」、「子どもを保育園に入園させようとしたところ、福島から避難してきたことが分かると、保護者から不安の声が出て対応できないなどとして入園を断られた」といった事案が取り上げられています。何とも悲しい出来事です。

こうした中で、「就職で不利になることはないのか」「結婚は大丈夫だろうか」という心配が地元の人々を襲い始めています。生活の立て直しや健康への気がかりに加えて、差別への不安が福島の人々にのしかかっています。

 

2.問われているもの

2011年3月11日に発生した震度7の大地震は、巨大な津波を発生させました。そのすさまじい破壊力は福島第一原子力発電所を襲い、深刻な放射能漏れ事故を引き起こしました。しかし「福島差別」は、そんな自然の驚異や原発事故が自動的に創りだした「自然の出来事」ではありません。「福島差別」は、こうした大災害をきっかけにして、私たち人間が創りだしてしまった社会問題なのです。

それはあたかも、ハンセン病という病気が、自動的にハンセン病患者に対する差別を創りだしたのではなく、偏見をあおりつつ推進された隔離政策が「ハンセン病問題」をつくりあげたのと同じと言えるでしょう。

事故により被災者の人々が浴びたのは放射線だけではありません。社会からの「差別のまなざし」「忌避の視線」を浴び始めているのです。そんな「福島差別」問題に第三者は存在しません。国や東京電力の責任とともに、実は私たち一人ひとりがこの問題の当事者であると言えるのではないでしょうか。

 

3.差別反対の声を真っ先に上げた人々

福島の人々に対する差別に真っ先に声を上げた人々がいます。それは広島・長崎の原爆被爆者の人々でした。胎内被爆者のNさんは、「かつての被爆者のように結婚や就職を断られる事態にならないか、不安になる。被爆者の苦しみは社会の無理解が生んだ。福島では繰り返してはならない」(※2)と語っています。原爆は広島や長崎の人々に生活や健康の被害を与えたにとどまらず、深刻な人権被害を引き起こしたのでした。「そがん思いをするのは、私たちだけで十分です」(※3)という熊本県に住む被爆者の声は、私たちに向けられた切実な訴えです。

「水俣病」をきっかけとした偏見や差別に苦しんできた水俣市の宮本市長も、「福島差別」の現実に、こんな心からのメッセージを発しています。「水俣病の被害は命や健康を奪われることにとどまらず、被害者を含め市民全てが偏見や差別を受け・・言いようのない辛さであります。・・福島県からの避難者に対する差別や偏見を知り、水俣市民はとても心を痛めています。・・水俣病のような悲しい経験を繰り返してはなりません」。

原爆被爆者や水俣の人々から、私たちに向けて、差別反対の悲痛な願いが発信されています。

 

4.胸張ってふるさとを語りたい

広島や長崎の人々は原爆をきっかけにして、水俣の人々は公害問題を契機に、ふるさとを胸張って語ることを差別の力によって押さえられてきました。自分たちには何の責任もないにもかかわらず、不当な排除や偏見を押しつけられたのです。

そんな無念の思いは、ふるさとが被差別部落であるが故に人権を奪われてきた部落の人々の怒りや悲しみにつながります。ふるさとから追い出され、社会復帰を拒まれてきたハンセン病回復者の痛恨の思いもまた同じです。

福島の人々に、もうそんな誤りを繰り返してはなりません。福島の人々が胸張ってふるさとを語る権利を誰も奪うことはできないはずです。基本的人権は一人の例外もなく全ての人々に保障されるものであり、差別はいかなる理由があっても正当化されるものではありません。そんな当たり前の人権意識が試されています。「福島差別」問題は、私たち一人ひとりの人間としての在りようを問うているのではないでしょうか。

奥田 均(おくだひとし)

近畿大学人権問題研究所教授

(※1)「平成23年中の『人権侵犯事件』の状況について」〈2012年3月2日法務省〉

(※2)朝日新聞〈2011年8月1日〉

(※3)毎日新聞〈2011年8月26日〉

 

原子力発電に依存しない社会の実現にむけて

2011年3月に起こった東京電力福島第一原子力発電所事故により、原子力を利用するかぎり、現在のみならず未来のいのちをも脅かす放射線被曝を避け得ないことが明らかになりました。すべてのいのちを摂めとって捨てない仏の本願を仰いで生きんとする私たちは、仏智によって照らし出される無明の闇と、事故の厳しい現実から目をそらしてはなりません。あらためて、これまでの豊かさの内実を見直すと同時に、国策として推進される原子力発電を傍観者的に受け容れてきた私たちの社会と、国家の在り方を問い返し、原子力に依存しない、共に生きあえる社会の実現にむけた歩みを始めたいと思っています。このリーフレットを教化活動等にご活用ください。

          解放運動推進本部長 林治

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