『お盆』2014年版 表紙思いがけないことでした。久しぶりに父が、法蔵菩薩と一緒に還ってきてくれたのです。来年が二十七回忌であり、お盆の季節だからでしょうか。

父は無口で忍耐強い人でした。その父が直接教えてくれたのは、『阿弥陀経』の読み方と落語にある「じゅげむ・じゅげむ・ごこうのすりきれ…」の暗記でした。ですから、今でも最後の「…長久命の長助」まで言うことができます。父の残してくれた書物といえば、落語全集と、曽我量深先生の御講義の口述筆記で出版された数冊でした。

私が、曽我先生の示された問題の重要さに気づかされたのは、ここ数年のことに過ぎません。中でも特に驚かされたのは、『大無量寿経』に説かれる物語を超え、生き生きと私の中ではたらく「法蔵菩 」を発見されたことでした。阿弥陀如来になられる前が法蔵菩薩ですから、種子の位置にある仏様となります。つまり因位です。どんな大木でも、その種子ならば私の手の平にのせることができます。したがって、広大で底知れない大智大悲の如来の世界そのものへの手がかりは、法蔵菩薩なのです。

「如来我となりて我を救ひ給ふ」、「如来我となるとは法蔵菩薩降誕のことなり」(「地上の救主」)との曽我先生の御己証はよく知られていますが、如来の方から私のところへ来てくださって、私たちが見失っている自分の心のもっとも奥深いところを気づかせてくださるというのでしょう。

また、「法蔵菩薩こそは如来の生死廻入の還相の願心に外ならぬ」(「浄土荘厳の願心と願力」)という御言葉もあります。私たちの流転的な日常生活においては、どうしても迷いに陥ってしまう状況があります。そのまっただ中へ、如来の方から飛び込んできて、私たちの本来の心を呼びさましてくださるというのです。

父が残してくれた書物の中に、曽我先生の『本願の佛地』という宝物がありました。その中に「昭和十二年三月二十九日」、「釧路・厚岸」の日付のある郵便振替がはさまっていました。その当時私は四才。北海道の根室別院の一室で生まれた私が、次の住まいの縁をいただいたのが、厚岸の端にある漁村の説教所です。本堂は二・三十畳ほどの粗末な広間でした。庫裡の反対側にあった手洗いに夜中に行く時の、何ともいえない暗闇への恐怖心。あまりの恐ろしさに布団にたれ流すことになって、私の夜尿症の習慣は中学一年まで続きました。

恥ずかしいかぎりの自分の業のどうにもならない情けなさを身をもって感じたのです。幼な心のままで味わった、その当時の何ともいえない自分の闇の恐ろしさを昨日のことのように想い出します。

落語の「じゅげむ」の「じゅ」は無量寿如来の「寿(いのち)」、「げむ」は無碍光如来の「無碍(さまたげられない)」を逆にしたもの、そして「ごこうのすりきれ」の「五劫」とは、法蔵菩薩の御修行の期間です。四十里四方の立方体の岩(私の業と煩悩)を、天人が羽衣で一撫でする。それをくり返すことによって岩がすり切れて無くなる時がくる。そんな気の遠くなるような時間が一劫です。

父の遺訓の落語、曽我先生の書物から「助からないものなればこそ、如来が助けようと行願なされる」(「本願の仏地」)ということが願われていたのだと思うのです。父の願いでもあるこの言葉に出遇うために、私は七十七年を必要としました。

 

真宗大谷派講師・大谷大学名誉教授・北海道教区聖光寺前住職 鍵主良敬(かぎぬし りょうけい)

『お盆』2014年版より