「今夜はよかった、よかった」…聞法を喜べる人生をいま、歩めているだろうか。
これは、私の選んだ道ですから。

天王寺の駅に帰りついたのは、夜零時半頃であった。しかも、雨の晩で乗りかえがおっくうだったので、タクシーを拾った。それは個人タクシーで運転手さんは私ぐらいの年輩に見えた。

「ご苦労さん」と言うと、「有難うございます」と明るい返事がかえってきた。

これだけの言葉が聞けなくなったこのごろであるだけに、いい車に乗せてもらったという喜びが湧いた。

「毎晩こんな時間まで働くのですか」と問うと、「あべの方面は午前2時半ごろまでお客があり、朝の5時ごろからお客がありますので、2時頃まで働いて自分の車庫へ帰ります」とのことだ。私は同じ年ごろでもあり「毎晩大変ですね」と言うと、「有難うございます。しかし、これは私の選んだ道ですから」との返事である。

車の中が明るくなった。私の胸を打つ言葉によって。

「運転手さん、あんたいい言葉をもってるね」と言ったら、バックミラーで私を見ながら、「お客さん、商売は何です?」との問いだ。「何に見える?」と問いかえし、2、3の答が皆違っていたから、「私は東本願寺に所属する坊主です」と言ったら、彼2度びっくりのようすだったが、早速「車の中ですみませんが、私は前からわからんことがあって困っておりますが、教えていただけませんか」とのこと。「仏法のことか」と言うと「そうです。実は仏さまというのがたくさんいやはります。それがわからんのです」と言って「阿弥陀さん、お釈迦さん、大日如来さん、三十三間堂へ参るといっぱいいやはります」そのとき、私はこの人仏法を学んでいる人だと思ったので、「人間の歴史の上にあらわれた仏さんはお釈迦さまだけです」とだけ答えた。

1、2分黙っていた彼はやがて「それではあのたくさんな仏さんは、お釈迦さまが説かれたお経の中から出られた仏さんでっか」との返事だ。そうだと言ってあげたら本人の喜びようは大変なものだった。「今夜はよかった、よかった」との連発である。

大和川を渡るころだった。運転手さんの家族のことを話し、「他人さまから見ていただくと結構に見えますが、これで精いっぱいの生活でレジャーを楽しむというような事は夢です。だから、こうしてハンドルを握って走っている、これが喜びでなかったら私の人生に喜びはありません」と、彼との対話は結ばれた。

私はこの人を一生忘れることはないだろう。「これは私の選んだ道」苦しいことに出遇えば、苦しみの原因を他の人に求めて、今日の生活が怨みによって暗いものになるのが普通である。しかし、この人は一切の責任を背負って生きる広大な道に立っている。それだからこそ「ハンドルを握って走っている。これが喜びでなかったら私の人生に喜びはありません」と、今をたしかに生きて行く人となったのであろう。

『今日のことば 1975年(5月)』 「ひと筋の聞法に いのち恵まる」