一冊の本が静かなブームを呼んでいる。題名は『ハチドリのひとしずく』。それは南アメリカの先住民に伝わる小さな物語から始まる。

「森が燃えていました/森の生きものたちは/われ先にと/逃げて/いきました/でもクリキンディという名の/ハチドリだけは/いったりきたり/くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは/火の上に落としていきます/動物たちがそれを見て/「そんなことをしていったい何になるんだ」/といって笑います/クリキンディは/こう答えました/「私は、私にできることをしているだけ」」

不思議なことに、これとそっくりの話がお経(仏教の聖典)にも出てくる。そこでは一羽の鸚(おう)鵡(む)が、山火事を消そうと羽を濡(ぬ)らして滴(しずく)を運んでいる。

南アメリカとインド…民族や文化、宗教は異なるが魂(たましい)を揺さぶる言い伝えが遺(のこ)されてきたのだ。そして今、この本が世代の差を超えて手に取られ読まれていることに感銘をおぼえる。

ところで「正信偈(しょうしんげ)」にも、この物語が秘められていることを知っておきたい。

それは

「法(ほう)蔵(ぞう)菩(ぼ)薩(さつ)因(いん)位(に)時(じ) 在(ざい)世(せ)自(じ)在(ざい)王(おう)仏(ぶっ)所(しょ)」

の中にある。その物語を披(ひら)いてみよう。

昔、ある国の王が、仏(ぶつ)(目覚めた人)と出遇った。その名は世界で一番自由自在な仏という。国王はその仏を師と仰ぎ、国を棄(す)てて弟子となった。そして自分も仏と成り、どこにもない清らかな国土を作りたいと願って、師に教えを乞(こ)うた。師は弟子がどこまで本気なのかを見極めてから短い説法をした。

「ある人が、大きな海の水を、一つの器(うつわ)で汲(く)みとろうと思いたった。それがどんなにとてつもない願いでも、それが真実(まこと)ならば、どんなに長い時間(とき)をかけてでも、きっとそれを成しとげるだろう」

師は弟子を「法蔵菩薩」と名づけた。ここにも、ひとしずくの心が語られている。

これらの物語には、現代の世界が抱えもつ深刻な問題へのヒントがある。それは問題に取り組む以前にぶつかる壁をのりこえる知恵である。その壁とは「あきらめ・無力感・無関心」のことだ。

ひとしずくの心は、ハチドリに鸚鵡に、法蔵菩薩に宿っている。それは、あらゆる衆(しゅ)生(じょう)(いのちあるもの)の内に、私にも、あなたにも、未知なる他者にも、ひっそりとたしかに生きている。

『親鸞の詩が聞こえる―エッセンス正信偈―』(東本願寺出版部)より