【秋講の歴史と1日の流れ】
秋講写真2高島秋講は、滋賀県の琵琶湖西側(湖西地区)の地域で開催されてきた秋安居である。その起源は江戸時代後期(寛政年間)にさかのぼり、真宗が盛んな北陸から多くの僧侶たちが京都で宗学を学ぶために湖西路を往復する間、マキノ周辺を宿場としたことから、その宿場を利用した布教の場が開かれたことを契機として、「講」が組織されることになったという。
具体的には、湖西の2ヶ組(近江第25西組・近江第26組)を北部・中部・南部の3地区に分け、3年に一度、各地区に所属する寺院1ヶ寺ずつを持ちまわる形で開催されており、北部の寺院は60年に1回の頻度で会所を担当する。このローテーションは、1946(昭和21)年に改められたものであるとのことであり、それ以前は、比較的規模の大きな寺院を中心に持ち回ってきたという経緯がある。
現在は、全5日間の日程で開催されており、朝9時から夜9時までの12時間に亘る日程が組まれている。午前中は地区の僧侶を対象とした講義、昼と夜にはご門徒を対象とした法話(1日合計3席)があり、その間の食事も会所寺院が用意せねばならないため、会所を経験したご住職は、ご門徒の役員や婦人会の方々、地区内寺院のご住職や坊守の皆様の協力なくしては、成し遂げられない事業であるという。

【乘如上人と高島秋講】
秋講写真4また、5日間の中日には、乘如上人の御祥月法要が厳修される。乘如上人の法要が厳修されることになった背景は、1778(天明8)年1月の「天明の大火」によって東本願寺が焼失したことに端を発する。乘如上人は、東本願寺の再建を果たすために病弱な体をおして全国を巡ってその願いを呼びかけられていたと伝えられており、高島秋講にもお出ましになられ、布教とともに再建の願いを語られたという。そして、その上人の願いを受けて、湖西の寺院や門徒衆が再建に尽力されてきた。
しかしながら、1789年(寛政元年)に東本願寺の再建が成し遂げられた時には、既に乘如上人は遷化されており、上人が再び湖西へ足を運ぶことは叶わなかった。そこで、乘如上人の後を受けた達如上人は、東本願寺の再建に尽力された湖西の寺院や門徒衆の功績を讃えるとともに、乘如上人のご遺徳を偲んで教学研鑽の場を開き続けていってほしいという願いから、高島秋講へ乘如上人の御影を下付されたとのことであり、以降、高島秋講で乘如上人の御祥月法要が厳修されるようになったという。秋講写真9
法要厳修の前には、前年度に高島秋講を開催した会所寺院から乘如上人の御影と闡如上人から下付された御消息が届く。この御影と御消息は、前年度の会所寺院の住職が付き添い、当該年度の会所寺院の総代が御輿に入れて恭しく運ばれ、当該年度の会所寺院の住職とともに「宝物検め」を行った後、御影は御代前に奉掛される。
法要の準備が整うと一斉に総勢200人以上のご門徒が参拝に訪れ、僅か数分のうちに本堂は満堂となり、法中が出仕する頃には、本堂に入り切れないご門徒が境内に設置されたテントにまで溢れていた。御祥月法要の厳修後は、1953(昭和28)年に闡如上人から下付された御消息を京都教務所長が拝読することが伝統となっている。

【事業へのご門徒の参画】
スタッフは、会所寺院及び担当地区の寺院、会所 寺院の門徒(主に責任役員・総代等の役員、婦人会員)を中心に構成。ただし、懇志受付については、当該組の組門徒会員及び組推進員協議会員から選出された門徒が担当。特に門徒スタッフの構成については、近年は、徐々に宗教行事に対する理解も得がたくなってきた面もあるが、若手の門徒の方々にもこの機会をとおして理解を深めていただき、参画していただいている。秋講写真1
なお、数年前より若手の門徒からの提案を受け、高島秋講に対する懇志の受付事務を簡素化する取り組みが進められ、特に2014年からはコンピュータを導入。若手の門徒が受付システム(入金管理と領収書や懇志札の自動発行を一括して作業できるもの)を開発し、使用方法を組門徒会員や組推進員協議会員にレクチャーして高齢の方中心でスタッフ構成している平日でも十分に運用できる体制を整えている。
また、当該地区が、公共交通機関が手薄な地域であることから、自家用車が主たる交通手段になるが、免許を有しない高齢の方も多いため、組が2台の送迎バス(1日3便)を用意してできるだけ多くのご門徒にご参拝いただけるような配慮をしている。

【寺院への負担】
ただし、高島秋講をお迎えするために、寺院によっては境内建物全てを新築することもあり、寺院の経済的負担が多く、会所を受けられた寺院は、数年前から高島秋講の計画をすることも珍しくはない。今回の会所寺院については、本堂が約20年前に新築されたこともあり、台所の水回りやトイレの整備、畳の表替え等の設備投資が行われたそうであるが、実に1000万円以上の費用負担をしており、会所寺院の負担も少なくはない。それでも、高島秋講に参拝される方々へ不便があってはならないという意気込みから、寺院も門徒も一丸となって1年以上の時間をかけて準備を進めてこられたという。
高島秋講の運営は、門徒からの懇志によって賄われているが、慢性的な資金不足にある。そのため、本堂満堂時に参拝者にお座りいただくためのテントや音響設備、送迎バスの車両などは寺院や門徒が関係している業者から格安でレンタルするなど、地元の繋がりを活用して費用軽減に努めている。

【高島秋講を継続する想い】
秋講写真8現状として資金的な厳しさはあるが、スタッフとして関わられたご門徒からは、「社会の変化もあるので、永久不変に現在の形を維持するのは難しい。現に、若い方々は高島秋講を理由に休みをとることも難しくなってきたため、数年前から1週間だった期間を5日間に短縮した。これからは、経済的負担を強いることも難しくなっていくだろう。それでも、乘如上人御在生の頃から伝承されてきた歴史を通じて、若い方々にお寺に親しんでほしいという気持ちだけは変わらない。規模が縮小したり形が変わったりすることは仕方がないかもしれないが、高島秋講を湖西で実施することだけは若い方々に受け継いでいってほしい。」という声が寄せられた。