伝道掲示板
報ずべき
身を粉にもせず
親鸞忌   (小芳)

 12月の金沢は本山の報恩講が終わった後も、各家庭での報恩講のお勤めがまだまだ続いている。今回、そんなお忙しいなか、本誓寺の松本純住職に取材させていただいた。
 今月の掲示板は2文。向かって左には「報ずべき 身を粉にもせず 親鸞忌(小芳)」と書かれていた。報恩講の最後の最後にいただく「恩徳讃」。我々は何の気なくお勤めしていることが多いが、この著者の「恩徳讃」をいただく時の心構えが伝わってくる。決して驕ることないよう、自己を問いただすかのように書かれたこの句は、時も場所も越え、私に痛烈に問いかけてきた。福井県鯖江市在住の助田小芳さんの句である。昨年亡くなられた梶丸前住職のころから、この報恩講の時期になると掲げられてきた。是非、その意思を引き継いでいきたいということで、今年は住職ご自身で掲示板の筆を執られた。
 掲示板の言葉選びには非常に苦労なされている。最初、ここ本誓寺の掲示板のある正門は、大通りから一本中に入った道にあるので、一見、人通りは少ないように見える。しかし、この取材のためのほんのわずかな時間でもわかるほど、予想以上に人通りが多い。なかでも高校生が多く、通学路として利用している道のようだ。そのため、特に高校生を見据えて若い人に少しでもお寺に興味を持ってもらえるように書くのが苦労しているところとのこと。
 松本住職は、時には仏教用語だけでなく、自分の好きな音楽の歌詞などからも引用する。ただし、歌は全体で意味を伝えようとしていることが多いことを十分承知されていて、歌詞の一部分だけ抜き出してしまうことで言葉の意味が変わっていないだろうか、誤解を招いてはいないだろうかと配慮されている。今後もそれらの問題を克服しながら、他に小説やマンガなどからも載せていきたいとの意気込みを語られた。
 取材の最後に住職が強く言われていたことは、「結局は、人のために書いているわけではなく、自分の勉強になっている」ということだ。掲示板の言葉は、先述のとおり、吟味を重ねた末に載せられたものだ。しかし、掲示されている間は、住職にとっては、ずっと「私」を問いかける言葉になっているのだと言う。そのご自身を問いかける言葉が、今度は私の心に問いかけ、胸に響くものとなった。
                         (金沢教区通信員 鳥越 巌)

 

『真宗』2009年1月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:金沢教区第4上組本誓寺(住職 松本 純)

※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。