『絹本著色光明本尊』と呼ばれる掛軸
『絹本著色光明本尊』と呼ばれる掛軸

福島県の西に位置する会津盆地、そのなかでも、田園地帯の中心地、「坂下」と書いて「ばんげ」と読む会津坂下町。盆地特有の寒暖の差があり、冬場には積雪も多く、四季の移り変わりをはっきりと感じることのできる、そんな場所に今回ご紹介する光照寺があります。境内には、隣寺(浄土宗)から江戸時代に譲渡されたという聖徳太子像を安置する立派な太子堂があり、また本堂には、『絹本著色光明本尊』(写真)と呼ばれる掛軸も安置されています。これは十字名号を中心とする光明本尊のなかでは現存する唯一のもので、制作は鎌倉末期にまで遡り、この様式としては、わが国最古の作とも言われる歴史的にも貴重なものだそうです。お寺の中を見せていただいた後、しんしんと雪が降り積もるなか、十六代目(寛永元年現在地に移る)になる和田至紘住職にお話を伺いました。

光照寺では、毎月のお講の他にも、「ドキュメンタリー映像連続上映会」、「戦争と平和を考える会」(写真展)、「全戦争犠牲者に思いを馳せ心に刻む法要」、太子堂を舞台にしてのさまざまな催し物などを行っているそうです。なかでも、住職は特に社会問題をとおして、地域の人たちと共に学び続けておられるそうです。その内容は、現在も世界各地で繰り返され続ける戦争について、さまざまな差別問題について、靖国問題について、憲法九条について、地域医療の縮小、弱者の切り捨てについてと多岐にわたっています。

03キャプションなし 社会問題といった時、問題に直面している人たちが声を大にして呼びかけ続けているにもかかわらず、我が身の問題としては受け止められないため、私たちは腰が重く、いわゆる傍観者としての関わり方しかしていないのが現実ではないでしょうか。「聞法していくなかで、いつも自分が眼をそらしていることに気づかされる。しかし、どんなに腰が重くても、問題のほうからいつも問いかけがくる。”ここからあなたには何が聞こえますか?”という問いかけが。こっちは身を引くのだけれど、願いは続けられ、怠惰なる私を押し出し、立ち上がらしめんとする。それなのに、また眼をそらし続ける自分に気づかされる。これの繰り返しなんです」。住職は笑いながらそう話してくれました。

光照寺の和田至紘住職
光照寺の和田至紘住職

毎月のお講や法事の場など、門徒さんにもさまざまな問題提起をなさっておられるそうですが、答えを引き出すのではなく、亡き和田稠先生のお言葉を引かれて「終わりなき歩みを共に」し続けていきたいとのことでした。

(仙台教区通信員 藤内淳心)
『真宗 2009年(3月)』
「今月のお寺」仙台教区会津組光照寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。

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