高島(たかしま)秋講(しゅうこう)」は滋賀県高島地方で行われる「秋安居」(注1)である。その実際は驚くことばかりであった。

01キャプションなし その歴史(注2)、規模(注3)にも驚かされたが、何よりも驚いたのは、門徒方から感じる「熱」だった。今年の会所である浄立寺の保木住職が、「門徒さん全員が関わってくださって初めて成り立つ仏事なんです」と言われるとおり、境内の至る所で門徒方がいろいろなお世話をされていた。門徒さんにお話を聞くと、「高島秋講の間(注4)は総出です。みんな夫婦で出とります。私らは8月18日から、役員さんはその前から…。若いもんは仕事が無くなるかもしれませんな」と、笑いながら話してくださった。

会場の近くの漁業会館で昼・夜といただいたお弁当には、松茸と銀杏のお吸い物がついていた。食卓には(ごり)(川魚)の佃煮が載っていて、手作りの深い味わいがする。炊事場で聞くと、「今年は浄立寺でするから、去年から冷凍して準備しておいた」とのこと。100人近い人の食事の準備が大変でないわけがない。それでも、「33年前は弁当でなくて、ありとあらゆるものを作った。もっとうまいもん食わせたろうと思てたのにな」と、悔しげな顔をされる。「法話は聞きに行かれますか」と尋ねると、「片付けが終わってから、夜の御座に行かせてもらうんです」と嬉しそうに話された。もう脱帽である。

02キャプションなし 高島秋講中部発起頭主事の木谷齊氏は、「秋講は単なる聞法会ではなく、先師への報謝の情念が法要相続の核心になっていると思う。門徒同朋の教化聞法の場となっていること。準備期間も含め伝統が醸す雰囲気が法の財産」と示される。

200有余年の月日を超えて高島秋講を支え続けてきたのは、生活に渇き、法に飢えた人々が、法に出遇えた「喜び」なのだと思った。そして、喜びを持って()(らい)(げん)の「同朋」と出会い続ける場が高島秋講なのだと感じた。

逮夜勤めが終わり、疲労感を感じる頃。今年の講師、一楽真氏は、「南無阿弥陀仏と称えるところにその南無阿弥陀仏に生きていかれたたくさんの先人が思い出されるわけです。南無阿弥陀仏というたった一言ですけども、阿弥陀仏が照らし出す世界で、ありとあらゆるものが私に対するはたらきかけである、私に対するお励ましであるような中身を持っているという事なんですね。南無阿弥陀仏と称えるところに無数の諸仏を思い出していくような世界が開けてくると思います」と締めくくられた。

03キャプションなし※注1 上山することの困難な地方の人々が、本山の夏安居の後にその講師を招き講義を受けた。夏安居の後に開くので秋安居という。当初は全国各地にあったが、現存するのは高島地方を含めわずかである。

※注2 江戸時代、1700年代に始まり、およそ250年以上、毎年開筵されてきた。

※注3 京都教区近江第25西組・近江第26組の全52カ寺で組織。北部・南部・中部に分け、各部では3年に1度、部内の寺院数が異なるため、北部で60年に1度、中・南部は33年に1度の開催。各部が順番に発起頭となり、会所をつとめる。

※注4 今年は8月21日~25日。初期は1カ月程度、明治以降に10日間、戦後から7日間となり、さらに3年前から5日間となる。午前は講義、午後は逮夜と、初夜の法要と法話がある。

(京都教区通信員 藤枝良太)
『真宗 2009年(11月)』
「今月のお寺」高島秋講 中部発起頭会所京都教区近江第26組浄立寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。

shupan東本願寺出版の書籍はこちらから
読みま専科TOMOブック / 東本願寺電子BOOKストア