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伝道掲示板
仏教では
「福は内 鬼は外」でなく
「福も内 鬼も内」です

 愛知県甚目寺町の圓周寺というと、今日では、ハンセン病の強制隔離政策に反対した小笠原登医師の生まれたお寺として知られています。「尾張四観音」の一つに数えられる甚目寺観音の塔頭の一つであったと伝えられ、親鸞聖人帰洛の際に直接その教えを受けて転派されたという歴史の古いお寺です。今も門前町の賑わいが残る、住宅が密集して小路の入り組んだ地に同寺は建っています。

 現住職は、約20年前に養子としてお寺に入られ、10年程前に住職を継職されたのを機に伝道掲示板を始められたということです。仏教・真宗の法語にこだわらず、普段から心に残った言葉を手帳に書き留めておいてそれを掲示しておられるそうで、私が訪れた時にはドストエフスキーの言葉が掲げられていました。

 掲示板の立つ門前は決して人通りの多い場所ではないのですが、それでも時に立ち止まってじっと見つめておられる方もいるそうです。「何もなければただ通り過ぎて行ってしまうだけですが、ちょっと立ち止まって、普段考えないようなこと、あっそうなのかと感じてもらえること、そういうものがそこにあれば」というご住職の願いがこの場所には込められています。

小笠原登氏書
小笠原登氏書

 昨今では、小笠原登氏が甚目寺町の名誉町民の称号を受けられ、また名古屋教区でも、親鸞聖人七百五十回御遠忌のお待ち受け大会に向けて同氏の顕彰を行おうという動きがあります。さらに、地元地域や宗派内にとどまらず、氏の業績に学ぼうという動きは広がりをみせているというお話です。

 今でこそ、こうして小笠原登氏に学ぶ様々な催しが持たれるようになったのですが、ご住職によれば、状況が大きく変化したのは、2001年の「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」の判決が出てからだということです。その判決の出た年に、地元の小学校からご住職に郷土の偉人として小笠原登氏のことを話してほしいという依頼が入り、以降、ご住職も機会あるごとに同氏の貫かれた仏教的信念を伝えておられます。

 実はご住職自身も、20年前には小笠原登氏のことを何も知らないままにお寺に入られたそうですが、「たまたまこういうお寺に来させてもらわなければ、何も考えることのないまま過ぎてしまっていたかもしれません。ただ世間に流されていくのではなく、立ち止まって、社会を見る目、世間を見る目をいただけました」とそのご縁を喜ばれる姿には、そこに立ち止まって、何かに出遇ってほしいと願われる掲示板設立への思いが重なって見えました。

(名古屋教区通信員 植田智行)

 

『真宗』2010年1月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:名古屋教区第14組圓周寺(住職 小笠原英司)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。