右から門徒総代の寺本さん、ご住職、坊守さん
右から門徒総代の寺本さん、ご住職、坊守さん

「よわりましたね。私の寺は特別なことはなんもしとらんがです」。

この取材をお願いした折に、ご住職は申し訳なさそうにそうおっしゃいました。その(たたず)まいに、日頃からどの方に対しても、言葉を大切に語られる温かなお人柄同様、余分な装飾より日々のひとつひとつの営みを尽くしていくことの大切さを教えてくださいます。

「あえて言うならば表白です。毎年、自坊での報恩講の際に読み上げているのです」

20年間続けておられるといいます。

後日、紙の色が赤茶けたものから、昨年のものまで拝読させていただいた表白は、ご住職の息づかいが伝わってくるようです。それは、時を超え、今もなお、鮮やかに何を依り処とし、何を大切にしているのかを問いかけてくださいます。報恩講を節目とし、仏法という縦糸と1年間の社会の出来事、お亡くなりになられたご門徒の方との思い出、出会いや体験といった横糸が織りなす、ご住職にしか織りようのない表白です。

セピア色の紙面から放たれる清浄な光に、“どうしても”との思いに駆られ、報恩講に押し掛けてしまいました。喚鐘が鳴り、静々と法中の方々が出仕される荘厳の中で、厳かに申される表白。その場に遇わせていただくありがたさに心が震えます。ご参詣の皆さまの手にも表白が配られています。何度でも読み返せるようにとのご住職の配慮からです。

何度でも読み返すことができるよう参詣者に配られる表白文
何度でも読み返すことができるよう参詣者に配られる表白文

「私の1年は表白に始まり表白に終わります。私が僧籍をいただいたころに同朋会運動が始まりました。ということは、常に同朋会運動と共に私があったのです。それが、この報恩講での表白という形になりました」

ご住職にとって、同朋会運動もまた特別な何かを無理やりに起こすということではなく、日々の営みの中で生まれくるはたらきということなのでしょうか。ご住職の「なんもしとらんがです」というお言葉と深く符号してくるように感じます。

今年度は、とりわけ己の都合ばかり優先する、「満つる事なき貪欲」(華厳経)という私どもに巣食う心の闇について、法のもとで、共に尋ねていきたいと申されました。

「この身に受けているいのちは、限りないつながりと限りない関わりのうえに賜っている」(宮城顗師)

つながりとは歴史であり、関わりは社会。そのいのちの相を確かめていきましょう、と。「特別」ではないというご住職が始められた「表白」だからこそ重く響いてくるのです。

豊かな田園風景に囲まれた静かな集落にある因乘寺。参詣されたお1人おひとりににこやかに声を掛けられるご住職の姿。土や風、草の匂い、人々の温もり、日常ということを疎かにしては、大事を成し遂げることはおろか、立つことすらできないのだとあらためて思いました。

(大聖寺教区通信員 加藤 千帆)
『真宗 2010年(4月)』
「今月のお寺」大聖寺教区第1組因乘寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。

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