みほとけさまは?
みほとけさまは、何処にいるの?

当寺院は祖父の代から、幼稚園の保育にたずさわっております。真宗保育のテーマは「共に生き、共に育つ」です。先生は教える人、生徒は習っ人という常識を問い直すことではないでしょうか。

ある日、園庭で遊んでいる子どもに、「みほとけさまは、何処(どこ)にいるの?」と尋ねたら「あそこだよ」と本堂を指さして教えてくれました。また、別の子どもに同じことを尋ねてみました。今度は、自分の胸に手を当てて「ここにいるよ」と教えてくれました。私は、何の意図なく、ただ園児に声をかける気持ちで聞いたことでしたが、返ってきた答えに、胸を突かれ、立ち止まりました。

それは、私自身の日頃のお参りの姿勢が問われているような気がしたからです。日常の生活は、葬儀・法事、ご門徒の家の月参りをさせていただいています。そのお参りが、ほとけさまへのお参りになっていないだろうか?つまり「こちらから、向こうに」お願いばかりしている自分、「向こうから、こちらに」ほとけさまから願われていることを忘れてしまっていたのではないだろうか。それを気づかせてくれたのが胸に手を当てて教えてくれた子どもでした。
親鸞聖人は、「歎異抄』の第10条(真宗聖典」630頁)で

「念仏には無義をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆえに」とおおせそうらいき。

と教えてくださっています。私の計らいのおよばないのがほとけさまなのに、私のイメージのほとけさまを作り出し、自分の利益のために、お参りをしていたのです。

子どもにほとけさまを数える気でいた私が、反対に子どもに教えられたのです。ほとけに対するイメージが壊れ、願われている自分を発見したとき、親鷲聖人との出遇いがあるのではないでしょうか。

『同朋』(東本願寺出版部)から ・ 菊池円(奥羽教区専念寺)
『真宗の生活 2006年(10月)』
※『真宗の生活2006年版』掲載時のまま記載しています。

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