炭鉱の町、蠣浦の説教所として始まった法恩寺
炭鉱の町、蠣浦の説教所として始まった法恩寺
伝道掲示板
ひと若し 心つつましく
善を行ずる者を 友に得ば
すべての危難にかち
よろこび深く 共に往くべし
       『法句経』
——————————-

 長崎県でも西の端に位置する崎戸町、炭鉱の町として栄え、さまざまな人間のるつぼだったこの町のお寺、法恩寺さんを訪ねました。

 元々は蠣浦(かきのうら)説教所として始まったこの寺院は、昭和27年に寺号公称を経て現在の法恩寺として始まり、現住職である益田惠真さんで3代目となります。

 掲示板に記載される法語は、お聖教や『法句経』、住職の恩師の言葉などから引用することが多いそうです。

  「法恩寺の掲示板は、定期更新していません。それにわかりやすい言葉だけでなく、難しい言葉も取り入れております」と住職さんは語ります。「掲示板に載せる言葉はその時その時の自分が1番いただきたい言葉です。掲示板を立ち止まって見た人が「あぁ、良い言葉だな」で終わってしまうのではなく、「これは何と読むのだろう、どういう意味だろう」と問いを持つような言葉を記載するのも大切です。そして28日の定例法要の時などに、掲示板の言葉をそのまま法話のテーマとしてお話しすることもあります」と、自らのいただきを表現する場所という形で、掲示板伝道を行われています。

掲示板と住職さん
掲示板と住職さん

 今回の掲示板の法語は「念仏から智慧をもらわないと 親子も夫婦も本当に出あえない」という藤代聰麿(ふじしろとしまろ)先生の講義録『「今なぜ日本に念仏なのか」─聞其名(ごう)─』から引用された言葉でした。

 「若い世代の離婚問題。親が子を殺し、子が親を殺すという世相。「好き」が結婚の理由ならば、当然「嫌い」が離婚の理由になる。自分の意にそうものだけそばに置いておきたければ、当然意にそわないものを排除していく。人間同士の出あいがそれで終わるならば、それは本当に出あっていると言えるのでしょうか。仏智というのは、人と人とをあわせるはたらき。目の前の人間は、私に念仏をすすめる浄土の縁であると受け取るとき、はじめて好き嫌いを超えて、その人と出あえる眼が開かれる。善悪で人と環境を選別してきた人間の心が流転のもとであったということを法然から教えられて、親鸞聖人はあの六角堂の夢告の意味をあらためて知らされたのだと思います。念仏がなければ、人と人とが敬い合う関係は成り立たない。複雑な人間関係が錯綜する現代にあって、今、私がいただきたい言葉です」。

 炭鉱の閉山による人口の減少に伴い、今では掲示板を見る人も段々少なくなっているとのことです。しかしそこには昔と変わらず、足を止めて掲示板の前でふと考える門徒さんと共に、自分のいただきを確かめていく法恩寺さんの歩みがありました。

(長崎教区通信員 武宮 度)

『真宗』 2010年12月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:長崎教区第2組法恩寺(住職 益田惠真)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。