共同教化とは -御講に学ぶ-

共同教化について、お寺を預かる者と門徒との関わりという視点から考えてみたいと思い、江戸時代から連綿と続く「六日講」と「十七日講」を訪ねました。
206日講17年2月6日「六日講」

向拝幕が張られた光泉寺本堂、1人、2人と門徒が集まり、次第に人の声が大きくなってきました。午後2時、「仏説阿弥陀経」が勤まり、続いて「六日講御消息」の拝読。その後、法話3席を聴聞、1席目は金蔵寺住職、2席目は安乘寺住職、3席目は西信寺住職が担当でした。

「六日講」は、毎月6日(除く5月と9月)年10回開かれています。文政9(1826)年11月20日付けの「六日講御消息」を三重組1部10か寺(翠巖寺、光泉寺、乘得寺、金蔵寺、淨蓮寺、西信寺、行圓寺、敬福寺、安乘寺、淨圓寺)で巡回されてきました。

2017年2月17日「十七日講」

17日講蓮敬寺本堂、前卓に内敷きが掛けられ焼香の用意がされていました。午後2時より「仏説阿弥陀経」「嘆仏偈」が勤まり、御消息の拝読。その後、法話2席を聴聞します。1席目は圓光寺住職、2席目は傳西寺住職が担当でした。

「十七日講」は毎月17日(除く6月、8月、10月、11月、12月)年7回開催されています。こちらの御講も、天保10年4月20日付けの「十七日講御消息」を員弁組1部10ヶ寺(淨泉寺、圓光寺、善正寺、遍崇寺、来遊寺、蓮敬寺、圓授寺、厳流寺、傳西寺、教願寺)で巡回されてきました。

「お講」とは?住職の談笑から

・「経験が浅い住職には、法話、荘厳の仕方、出仕作法のみならず境内清掃に至るまで教えてもらえる学びの場」
・「近隣寺院で法話をさせていただく機会は意外と少ない。法話を通して門徒さんとの距離感が縮まり、お互い言葉を交わしやすくなる」

御講への参集は住職の大切な勤めであり、労を惜しまず協力するのは当然であるという共通の理解があるようです。御講で学びを深め、お預かりするお寺以外の門徒さんと繋がりができ、「お講で育てられたと言っても過言ではない」とおっしゃる住職もいらっしゃいました。

また、御講の後は組会が開かれ、連絡事項の確認や教化事業の協議等が行われていました。

門徒さんとの対話
「御講」とは何か?-門徒さんの様子から-

・「住職さん、聞きたいことがあるんやけど」
・「何やったかな」

法話の後で、あるご婦人が日頃の思いを打ち明けながら、質問されました。他の方も頷きながらそのやり取りに耳を傾けている様子でした。

率直に言葉を交換することを通して、法話の内容が確認され、疑問が共有され、次回も足を運びたいという気持ちに結びついていくようでした。

御講は、共に寺へ足を運びお勤めする場、共に親鸞聖人のお言葉を聴聞する場、共に生きている感覚を持てる場だと感じたことです。

開催の告知は口伝い
開催案内の伝達-門徒さん同士の口づたいで-

「藤井さんの顔が見えんけど、どうしたんや」
「昨日、買い物で会った時、来れやんと言っとった」
「来月は坂井の圓授寺さんであると言うてはったな」
「私は行こうと思っとるけど、あんたはどうやな」
「そうやな。行こかな」

「六日講」「十七日講」のスケジュールは、どのお寺も年間行事として捉え、各寺の掲示板に張り紙をしたり案内文を配布し、門徒さんに知らせているそうです。その情報から、門徒さん同士が誘い合ってお寺に集まります。

「六日講」「十七日講」にはお寺から門徒へ、門徒から門徒へと広まるネットワークが構築されていると感じました。会話からうかがえるように、生活の中に組み込まれているのです。

連綿と続く所以、それは「固定」すること

組で教化事業を実施する場合、
①原案作成
②組内寺院に協力依頼
③案内文の作成
など、事前にすべきことがいくつかあります。

また、何年も継続してきた事業は、必要性やマンネリ化し、見直しが問われることもありますし、組全体で教化事業を実施するのは容易ではありません。しかし、この2つの御講はどこ吹く風といった様子で、寺院の年間行事にとけこみ、門徒さんの生活にも定着しています。

では、どのようにすれば「六日講」と「十七日講」のように継続した事業を実施することができるのでしょうか。

 

私が開催するなら、、と気になったことを質問してみました。

この2つの御講は、事前の打ち合わせや企画会議などを行うような特別な委員会等は設けておらず、組会で年度当初に年番と会所寺院・法話担当者等を決めるだけ、とのこと。意外とシンプルな仕組みだったことに驚きです。他にも気になった点を質問してみました。

Q.土日の開催のほうが人が集まりやすいのでは?

A.曜日により参加者の多い少ないはありますが、名前の由来なので、開催日時は固定であることを大事にしています。

Q.会所や法話の講師の順番はどのように決まてますか?

A.会所の順序は固定にしています。ただ、法話の担当は年に2~3回、同じ寺院の方や会所に当たらないように配慮して決めていきます。

Q.会所の負担が軽くなるような工夫はありますか?

A.椅子や座布団の出し入れは参加者で行っています。会所寺院とその門徒にお願いしているのは、お茶の用意等や会所の最後の片付けですね。

 先にも書いたとおり、順番など毎年決めるのが大変なことはあらかじめ「固定」しておくこと。そして、曜日などは特別気負うことなく開催し、会所ごとの負担は「お互いさま」の気持ちで受けていくこと。決められたことを、決められた人が行っていくことでつながり、広がっていくものがあるということを、歴史を伴った実例から学んだように思います。

お講の御消息
取材を終えて

この取材を通し、「御講」がとけこむ日常生活が存在すると、お寺を預かる者も門徒も体全体で受け止めておられる光景が印象に残りました。そして、この受け止めがあるからこそ、人々は「参集」し、御消息の願いを「継承」できる場を受け継いで来られたのだと思います。1カ寺の聞法会では得られない多くの人々との交流にも「御講」が連綿と続いている所以を感じたことです。

江戸、明治、大正、昭和、平成と時代は移り変わり、社会情勢や生活環境が大きく変化し世代が交代しても、真宗の教えを学ぶ場を大切に受け継いできた「六日講」と「十七日講」の秘密に、少しだけ触れたように感じられる取材でした。

(三重教区通信員 伊東 幸典)