野々村直太郎の宗教観(1)

では何を宗教と見ているか。ここが1番大事なところかと思いますが、次のように野々村先生はおっしゃいます。

人は単にパンのみによりて生くるものではありませぬ。人間本来の面目を捕へて死生の境に処すると云ふことは。衣よりも。食よりも。また住よりも。一層大切なことであらうと思はれる。朝に道を聞て夕に死するも可なりと云ふは。即ちこの理を明かにしたものでありませふ。……中略……衣食住は貧富の階級によりて種々の差別がありますけれども。心霊上の幸福は一切の人間に平等であります。然るに又一方から世の中を見渡す時は。人間の世に処する方法が殆ど全く本末を転倒して居るといふ事が分ります。それはどういふ事かと云ふに。人間が最も得易く。最も必要なるものを棄て。最も得難く且最も必要なきものを求めつつあるといふ一事であります。(『旧信仰か新信仰か』)

西欧化が進むなかで、人間は最も得がたくて、最も必要ではない衣食住ばかりを求めている。しかも、求められた衣食住は、それによって貧富・階級の差ができあがってしまうようなものだと言うのです。野々村先生がこれを書かれたのは明治34年、30歳のときです。おそらく、野々村先生の最初の執筆だと思います。東京におられたころだと思いますが、世のなかを見渡すと衣食住ばかりを求めているが、本当に人間が求めなくてはならないものは心霊上の幸福なのだと、先生はこれを宗教と言うわけですね。清沢先生の言葉によく似ていますね。おそらくあの時代の仏教者の精神だと思います。さらに言われます。

自己といふものはどういふものであって。且どうなるものであるか。と云ふ事が落着致しませぬ間は。つまり暗黒のうちに迷て居るに外ならぬ訳でありますから。人間がもし此問題を明快に決定せずして一生を終るとすれば。所謂暗黒より始まり暗黒に終るといふ事になる訳でありませふ。この暗黒は即ち宗教上に所謂罪悪でありまして。暗黒の「余」は即ち罪悪の「余」であります。私は之を云ひかへまして。「疑問の余」と申したらよからうと存じます。……中略……凡そ宗教の要は。つまり疑問に対して明答を与ふること。即ち「暗黒の余」を一転して「光明の余」とする上に存するので。此外に宗教の面目とて別に存するものではありませぬ。(同上)

はっきりしておられます。これが宗教なのだと。これも清沢先生の言葉ではなくて、野々村先生の言葉です。自己というのはどういうものであって、どうなるのか。これは衣食住の心配ではなく、心霊上の心配、疑問ですね。自己とは何ぞや、こういう疑問を人間ははじめから持っている。この疑問・暗黒というものが光明に照らされることなく、あるいは、この疑問を持つことさえなく生まれ、死んでいったならば、人間は、暗黒にはじまって暗黒のうちに終ってしまうのだと。だから、そういうなかで衣食住を求めてもダメなのだと。その根本的問題に対して光明を与えるのが宗教なのだと言うのです。

そういう意味で、野々村先生にとっては、宗教というものは人間にとって最も求めるべきものですね。ところが世の中を見渡すと、そうはなってはいないのだとおっしゃるわけです。衣食住を求める宗教もまた、たくさん出現してくるわけです。そこでご自分が持っている宗教観を明らかにしたいということで宗教科学という方法を打ち出し、そこに浄土教思想を位置づけていきたい、それが野々村先生が語った「浄土教革新論」の背景にはあるわけです。

野々村直太郎の宗教観(2)

宗教とは何なのかということを、もう少し丁寧におさえたいと思います。心霊上の幸福、あるいは、疑問の余に対して与えられる光明とは何か。それについて野々村先生は『宗教学要論』という本を書いておられます。宗教学の専門書で、500頁ほどある大部で難しい本です。
そこで野々村先生は、宗教の本質について、こういう言い方をしています。宗教の本質とは何か、まず2つで表現します。

a. 宗教とは自立的自我の建立を理想とする実践法なり。(積極的)

b. 宗教とは他律的自我の破壊を理想とする実践法なり。(消極的)

この2つを兼ね備えたものが宗教なのだというわけです。
aは、宗教というのはまず意のごとくならざる事態に対して主体を建立し、苦悩を乗り越えようとする動きであるということです。
bは、しかしaにおいて建立された主体こそが、実は意のごとくならない他律的存在であり、そこから来る煩悶を突破しようとする動きであるというのです。こちらの方は、わかりにくいですね。

問題はやはり自己です。野々村先生は、宗教は自己とは何かという問題に対面するものなのだと理解します。例えば仏教の基点は、老・病・死です。死というものに対面する自己があるわけです。みんなその問題に対面せざるをえないわけです。

死とは、意のごとくならざる事態ですね。清沢先生が言う不如意です。宗教が持つaの側面とは、どうやってそれを乗り越える主体を確立するかという問題です。それがまず出発なのだというわけです。どういうふうにして、死を受け止める主体を確立するか、これがaです。しかし、これは宗教の入り口であって、宗教本来ではないのだと野々村先生はさらに言います。

それでbの問題に入ります。建立された主体自体が、実は意のごとくにならない他律的存在であり、そこから来る煩悶が実はより深い問題としてあると言うのです。死んでいくことの不如意ではなく、死を乗り越える主体を確立しようとするのだけれども、これが実は自分の意のままにならない、不如意な問題であるという問題ですね。こちらが本当の宗教の問題なのだと言うわけです。難しいですけれども、よくわかると言いますか、深く思索をされておられるわけです。やっぱりこれは哲学ですよね。野々村先生は哲学はだめだというふうにおっしゃるのですけれども。

何度も言いますけれども、清沢先生の10年後輩で、当時は同じ空気のなかで育っておられるわけです。東京で同じ空気のなかで勉強し、宗教とは何か、仏教とは何かを求めているわけですね。そして、それを確立しようとするなかで、bこそが宗教問題なのだと言うわけです。

今、宗教とは何かといった場合に、こういうやり方はできないのですね。今は、いろいろなものを宗教と呼んでいるわけです。ですから、たくさんの宗教をそれぞれ研究して、そのなかからこれが宗教なのだというものを言わなくてはいけない。ところが、野々村先生は逆で、これが宗教なのだというものを主張し、それを社会に表現できる可能性があった時代にいたのです。そこで、今確認してきたようなことを宗教の本質だと言うわけです。それが人間の歴史のなかで、仏教というかたちとして表現されたり、キリスト教というかたちで表現されたりする。野々村先生の中で宗教問題の基点は定まっているわけです。

野々村先生は、さまざまなものを見て宗教と言うのではなくて、宗教はこれなのだと言って、そしてそこから逆に具体的な諸現象を位置づけていこうとするわけです。だから、その本質を目指していないものは、宗教ではないのだという話になるわけです。非常に乱暴ですが、強い信念がみられます。

神話的法門としての浄土真宗

そんな野々村先生にとって、仏教は明らかに宗教であるわけです。まずこれが前提ですね。自己に光を当てるのが仏教の本来です。そんな仏教ではありますが、その内部は、さらにいくつかに分類されて理解されていきます。そして、宗教の本質的な問題について「神話的」に表現し、核心に向って進んでいこうとしたのが浄土教なのだと言うのです。神話的法門という特徴を持つものとして、浄土真宗を位置づけるわけです。それによって不如意なる自我を乗り越えていく、このことを明らかにした方が親鸞聖人であり、そういう意味で真宗も大切な宗教たり得るのだと理解されていくのです。

野々村先生は『宗教学要論』のなかでは、こういうふうに浄土真宗を位置づけていくのですが、『浄土教批判』になると、もう少し展開して、もう今の世の中だったら神話をそのままありがたく受け止める人はいないから、それを説くのを控えましょうという話をしているわけです。私はその部分についてやはり反対の意見を持っていますが、今日はそこまでは話しません。

野々村先生について言いますと、つまり、真宗にももちろん宗教的本質はあるのだから、神話にこだわってはだめなのだというふうに言うわけです。真宗の場合、阿弥陀や浄土という神話を通して宗教的な本質に触れなければならないわけです。しかし今、阿弥陀や浄土を通過して触れていくことができないような時代が到来しているのだと言うわけです。つまり、もう誰も阿弥陀や浄土の実在を認めないのならば、これを捨てようではないかと主張するのです。それらを捨てて、本質に直結したようなかたちで真宗を建設しましょう、それが再建論になるわけです。

真の「宗教的本尊」としての阿弥陀如来

『宗教学要論』を出した翌年に、立教開宗700年をひかえ、浄土教革新論がはじまったわけです。ですから、『宗教学要論』が背景にあって「浄土教批判」を出していったわけですが、『宗教学要論』では既に、自分がどんな批判を浴びるだろうかということを想定して、問答をしています。

まず、自分の主張によって信徒は「本尊の実在を無視されたかのような不快感を抱く」と予測します。本尊としての阿弥陀は宗教的な本質ではなくてただの神話なのだから、時代に相応しない、これを説くのをやめましょうと主張するわけですから、信仰者が本尊を無視されたかのような不快感を抱くというのは容易に想像されますね。たしかに、そういう批判がのちに浴びせかけられることになります。

もう1つ、「信仰の対象である本尊が宗教固有の圏内から除籍されるような不快感を抱く」ことを予測します。野々村先生は、仏教は、ある特定の時代、社会、人間関係のなかで偶然にいろんな表現のかたちを生みだしたのだと言います。そして、禅宗的なもの天台的なもの浄土教的なものが生まれたのは、偶然の産物であって、これらの表現形式は宗教としての本質とは関係がないのだとおっしゃるのです。そうなると、阿弥陀というものは時代が生み出した偶然の産物なのだと。それだとこれは、宗教にとっては本質的な問題ではなくなるわけですね。必要であるかないかという問題になってしまうわけです。そうすると、浄土教の信仰者にはご本尊がありますが、それが偶然でありただの表現だというふうに言われますと、本尊が宗教的なものから排除されて不快感を抱く、こういうふうに想定するわけです。

しかし、それについての野々村先生の応答が非常に面白いのです。

宗教的要求に応じて発達せる神話の主人公たる阿弥陀如来の信仰其者は、如何なる場に於いても必ずそれが真の宗教的信仰であると云へようか。言葉を換へてこれを云はば、阿弥陀如来は如何なる意味に於ける信仰の対象としてであらうとも、必ずそれが宗教的本尊たるの資格を具すべしと云へようか。難者の自省すべき点は実に爰に在る。(同上)

野々村先生は逆に批判します。信徒たちが大事にしている本尊は、本当の意味で宗教的な本尊になっているかどうか、逆に聞き返すわけですね。こんなことも言います。

既に眼科医としての薬師如来や、産科医としての地蔵菩薩やに毫も宗教的対象たるの資のないと云ふことを心得たる上からは阿弥陀如来と雖も、之を対象とする信仰其者の次第によりては、矢張り薬師地蔵と同様に、断じて宗教的本尊たるの資格の無いと云ふことを確認せねばならぬ。(同上)

先ほど言いましたように、野々村先生は、不如意なる事態、さらには不如意なる自己にいかに光明を与えるか、これが宗教なのだとします。そんな先生にとって、自分の病気を治してもらおうと薬師如来に祈願したり、安産祈願に地蔵菩薩に参るのは、けっして宗教ではないわけです。それらは衣食住に関わる問題、さらには人間の願望を強固にしていくような方向性にあるものであって、宗教問題ではなく迷いに属するものであるわけです。

浄土教徒として、彼らの痛切に反省すべきは、彼らこそ偶々その信念の薄弱なるが為に、自らそれとも知らずして宗教的には全く見当違いなる方面に阿弥陀如来を仰ぎ、従つて、阿弥陀如来は全く宗教的対象たるの資格を奪はれて、彼らの最も不快とする世間的神話の一主人公たるに終ることなきかの一点にある。(同上)

さらに批判者を批判します。ご本尊が大事だと言っているけれども、あなたたちは薬師さんや地藏さま同様、阿弥陀さんにさまざまな祈願をしているのではないか。それでは、宗教的本尊の資格がない。あなたたちが最も嫌う世俗的なことがらに阿弥陀仏を貶めてしまうのではないかということですね。

そういう意味で、野々村先生は本当の意味での宗教的本尊の回復というものを願って、自らの論を「真宗建設論」とおっしゃるわけです。問題の方向性ですね。人間の要求として阿弥陀さまがあったときには、これは世俗的なことがらになるのだと。そういうような偽宗教性をひっくり返し、南無阿弥陀仏の本尊が、真の意味での宗教的本尊となるような道を回復しようと、野々村先生は論じるのです。それが『宗教学要論』のなかで厳密に展開されているわけですね。

先ほど言いましたように、この『宗教学要論』というのは一般にはあまり出回らなかった本です。ですから、批判された『浄土教批判』のみでは、野々村先生が本当に何を願っておられたのか、たいへん見えにくいのです。私は野々村先生のすべてを肯定するわけではありません。しかし、先生が担われた課題は、真宗にとってたいへん大切な意味を持つものであると思います。

野々村先生が基点とした「宗教とは何か」は、これからの日本や世界にとっても大切なことなのではないでしょうか。それは、「人間が本当に求めるべきことは何であるのか」、という問題です。真宗の本尊も、自分の都合をお祈りするような本尊ではなくて、如より来生するという意味での宗教的本尊を回復しなければならない。近代化によって「生きること」が混沌としていく中にあって、人間にとってもっとも大切なものを「宗教」として明らかにしようとし、そのなかに明確に「真宗」を位置づけていきたい、それが野々村直太郎という方の志願だったのでしょう。

野々村先生は、人間の根本問題は何であり、そこに宗教の意味があるのだということをまず打ち出します。そして、打ち出された宗教のなかに、真宗をきちっと位置づけたい。自分の願望を祈願するような真宗ではなく、本当の意味での宗教としての真宗を回復しなくてはいけない、そのように考えられたのでしょう。その願いは、うまく伝わらずに、先生は教学史から退くことになるのですが、その精神は脈々と伝統してきている、そういうふうに感じるわけです。
おおいそぎで、たいへん乱暴な話となってしまいましたが、これで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。

(きごし やすし)
「ともしび2007年6月号」より
2007年1月21日 高倉会館日曜講演

※役職等は発行当時のまま、掲載しております。

【今月の予定】


▼東本願寺日曜講演▼ ※聴講無料
時間 午前9時半~11時
会場 しんらん交流館 2階 大谷ホール