木之本・妙樂寺でのお待ち受け、そして出立

吉崎での御忌法要を終えた5月2日、再び蓮如上人の御影は御輿に納められて京都・東本願寺へ出発した。京都から北上する御下向は琵琶湖の西を歩くが、再び京都へ向かう御上洛は琵琶湖の東を歩く行程だ。
今回は、5月6日の早朝、木之本駅ちかくの明樂寺(長浜市)から参加し、2駅ほど離れた念慶寺(同市)まで歩く予定。これくらいの距離なら、トレーニングせずともついていけるだろう。加えて、御影道中と別れたあとは、最寄りの河毛駅から木之本駅まで戻り、木之本を散策することにする。

 

【前日の5月5日(旅の1日目)】~仕事帰りに思い立つ~

前日の5日、仕事が早くに終わったので、明樂寺で蓮如上人をお迎えすることにした。木之本駅へむかって車を走らせ、駅の無料駐車場(入出庫自由)で車をとめ、明樂寺まで歩く。街並みを見ていると引きつけられるような店の構えが多い。明日の午後が楽しみになる。

ときどき立ち止まりながら歩いて15分ほど。御影道中のお立ち寄り会所であることを示すポスター、そして石碑には「妙樂寺」の文字が。御影道中の到着予定の夜6時30分までしばらく時間の余裕があるので、境内を拝観させていただくことにした。

合掌への道②-1

合掌への道②-2

 

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長い参道の先には豪壮な本堂が見えてくる。中に入ると、大きいながらも歴史を経た落ち着きを感じさせる柱や梁。欄間の立派な意匠。色彩豊かな余間の絵画。この木之本が、近畿と北陸をつなぎ、本陣を街道の宿場として大いに栄えていた往時の勢いを感じる。

右余間の正面には、毎年この時だけ懸けられる蓮如上人の御絵伝四幅が懸けられ、内陣の左側には御影が納められた御櫃が据えられるのだろう。その前にたくさんの蝋燭が灯されるための燭台が置かれている。

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庫裏へ行くと、静かな本堂とはちがって、坊守さんや婦人会の方々がお迎えする準備で賑やかだ。厨房では婦人会の7、8名でおもてなしの食事の準備が進められている。会長の文室淑美さんにお話をうかがった。

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「食材は前々日に用意して、昨日から準備。私たちがしなくちゃと、高齢化しているけど、みんな協力してやっています。今まで知らなかったことが学べてありがたいと思ってます。こういうことも他のお寺ではあまりしてないけれど、妙樂寺は伝統を守ろうとしてます。出発の明日は、私たちみんな朝5時30分に集合するんですよ」

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合掌への道②-9

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合掌への道②-11

午後6時すぎ、坊守さんが慌ただしく

「あと20分ほどで到着するとご連絡がありました。お願いします」

と、外で待機している総代の男衆に伝えた。

総代さんたちは午前の花まつりのあと、提灯の設置や幕張り、本堂の掃除を済ませている。

「もうそろそろ、みんな集まってくるわ」

と仰っていた通り、あちこちから妙樂寺の前に集まりはじめた。

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様子からして、このあたりの方ではないような人がいたので声をかけてみると、福島県南相馬のご門徒だった。『同朋新聞』で御影道中の記事を見て、いてもたってもおれず、軽自動車で来たそうだ。じっとはるかを見つめているその先から、

「蓮如上人様のお通りー!」

と聞こえてきた。難所を越えてたどり着けたという御一行の安堵感と、”今年もまた会えた”という待ち受ける人々の喜びが()い交ぜになり、御輿に続く人の道が本堂へとつながった。

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その後、夜8時からの勤行に引き続き、随行教導の相馬豊さんからの法話があった。

「4月17日の御下向からはじまって吉崎での御忌法要の10日間。そして御上洛。なぜ私たちは344回も毎年行っているのか。誰かがはじめたんです。それは、会ったことも話したこともない人。このはじめの方は私に何を願ったのか。その声を聞き取っていく仏事が御影道中です。無数の人々がその声を聞き取ろうとしてきた“合掌の道”なのです。
蓮如上人は吉崎に一宇(いちう)を構えられましたが、

そもそも人界の生をうけて、あいがたき仏法にすでにあえる身が、いたずらにむなしく捺落にしずまんは、まことにもってあさましきことにはあらずや

と御文には記されています。念仏を申す人はいても大切なことを忘れている。人間界に生をうけたにも関わらず、人として生まれたことの意味を仏教に尋ねずにおろそかにしている。そのことの悲しみが記されています。同じように人としての生をうけている私への蓮如上人からのメッセージです。私たちは、その蓮如上人をお迎えして集うてきたのです。」

御影道中を支え、待ち受ける伝統には、とてつもなく深い精神世界が広がっている。だからこそ、毎年こうして遠近各地から人々が集まり、蓮如上人をお迎えし、またお見送りするのだろうと感じさせられた。合掌への道②-21

参詣者が帰った妙樂寺では、ご住職が片づけをされていた。

「今年はいろいろと問い合わせがあり、うれしかったです。こうやって皆さんが支えられ、多くのお参りの方の手を合わすお姿を見ると、熱く込み上げてくるものがあります。相馬先生のお話のように、私たちはお互いに敬い、手を合わす光景に出会わなければならないのだと思います。多くの方々に触れて、出会ってほしいし、出会うべきなんだと思います。ありがとうございました」

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わたしは、相馬さんとご住職、2人の言葉が頭のなかで行ったり来たりしながら、ホテルへと向かった。