― 京都教区の大谷大学卒業生が中心となって結成された「京都大谷クラブ」では、1956(昭和31)年から月1回、『すばる』という機関誌を発行し、2018(平成30)年9月号で第748号を数えます。京都市内外のご門徒にも届けられ、月忌参りなどで仏法を語り合うきっかけや、話題となるコラムを掲載。その『すばる』での連載のひとつである「真宗人物伝」を、京都大谷クラブのご協力のもと、読みものとして紹介していきます。近世から近代にかけて真宗の教えに生きた様々な僧侶や門徒などを紹介する「人物伝」を、ぜひご覧ください!

真宗人物伝

〈5〉 光尊院真詮
(『すばる』726号、2016年11月号)

光尊院真詮似影(本宗寺所蔵)-真宗人物伝

「光尊院真詮似影(本宗寺所蔵)※写真提供:同朋大学仏教文化研究所」

 

1、五箇寺

東本願寺教団には、歴代門跡の相伝(そうでん)を補佐する役割を担った「五箇寺(ごかじ)」の寺院が設置されていました。

 

相伝とは相承の伝授ということであり、真宗の相伝とは、祖師である親鸞聖人(1173~1262)の教えを歴代門跡が伝授することです。そのため親鸞聖人の主著である『教行信証』の伝授が根幹であり、その教学が儀式と一体となって継承されていきました。ただし、門跡から門跡への直接的な相伝が執行し得ない場合に備えて、「五箇寺」の相伝家が設けられたのです。

 

安永3年(1774)、五箇寺の1つである堺真宗寺(大阪教区第21組、大阪府堺市堺区)の実厳院真昭(超尊、1732~83)が19世乗如上人(光遍、1744~92、在職1760~92、「真宗人物伝〈33〉乗如上人」)の命で作成した『安永勘進』に、五箇寺について次のようにあります。

 

五箇寺は8世蓮如上人(1415~99、在職1457~89)期以降、「御本書御伝授ノ家」つまり『教行信証』(=「御本書」)を伝授する家と定められた寺院です。親鸞聖人による「真宗相承ノ大事」について、2世如信上人(1235~1300)から8世蓮如上人までは本山の住職ただ1人に口伝されてきましたが、蓮如上人は、口伝が相承されず、末代に本山が断絶してしまうことをおそれ、一族のうちで「法義ノ器量」を選んだのが五箇寺の始まりといいます。その役割は本山において、門跡に代わって式導師・経導師を勤め、毎年報恩講に出勤することなどです。五箇寺の寺院は時代によって異同もあるようですが、最多で10ヶ寺を数え、安永3年段階では9ヶ寺ありました。

 

 

2、達如上人を支えた光尊院真詮

五箇寺の1つである伊勢国射和(いざわ)(三重県松阪市射和町)の本宗寺(ほんしゅうじ)(三重教区南勢1組、旧寺号・真楽寺)における近世中期の住職に、光尊院(こうそんいん)真詮(しんせん)(超弘、1725~1802)がいました。

 

真詮は享保19年(1734)9月5日に称名寺(滋賀県長浜市)で得度し、17世真如上人(光性、1682~1744、在職1700~44)の1字を賜って真詮と号しました。宝暦4年(1754)11月27日、命によって真楽寺へ転住しています。そして12月2日に、18世従如上人(光超、1720~60、在職1744~60)から1字を拝領した超弘の名を賜り、翌3日姉小路公文(1713~77)の猶子となって、同月9日、正式に住職となりました。30歳の時です。同6年(1756)3月6日、寺号を真楽寺から、途絶えていた三河国土呂本宗寺の寺跡を引き継いで本宗寺と改号しました。これによって五箇寺となったのです。そして同12年(1762)3月、称名寺と兼住することとなりました。

 

寛政4年(1792)2月29日には、「幼君守護在京之命」を受けています。これは同月22日、乗如上人が49歳で没したため急遽、13歳で達如上人(光朗、1780~1865、在職1792~1846,「真宗人物伝〈6〉達如上人」)が20世を継職することとなったためです。老練な68歳の真詮が、まだ幼い達如上人の守護役を命じられたのです。

 

寛政6年(1794)3月24日、達如上人が正月13日に大僧正へ転任した御礼のため御所へ参内した際に真詮は、他の五箇寺の僧侶らと共に同行しました。天明8年(1788)の京都大火によって類焼した東本願寺の両堂(御影堂・阿弥陀堂)再建が成就した寛政10年(1798)、真詮は、ようやく仮帰国を許されました。このように隠居後の晩年、まだ幼い達如上人を補佐するため、真詮は、五箇寺の役務として長期間、京都の東本願寺に勤務しました。教学をめぐる争いや両堂再建などの課題に直面していた時代の教団を支えた存在に、五箇寺住職の光尊院真詮がいたのです。

 
■参考文献

松金直美「僧侶の教養形成―学問と蔵書の継承―」(『書物・メディアと社会』シリーズ日本人と宗教―近世から近代へ第5巻、春秋社、2015年)

 
■執筆者

松直金美(まつかね なおみ)