当事者を生きるⅡ⑨

 

シリーズ「当事者を生きるⅡ」では、
前号に続いて、国の責任を問うた
「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」
勝訴判決から15年を経て語られ始めた
「家族」の被害とはなにか、
ハンセン病家族訴訟弁護団より報告をしていただきます。

 

ハンセン病家族訴訟が明らかにしたもの

<ハンセン病家族訴訟弁護団・弁護士 德田 靖之>

 

1 はじめに

 二〇一六年に二回にわたって熊本地方裁判所に提訴されたハンセン病家族訴訟は、国の誤った隔離政策によって、ハンセン病患者の家族であるという理由だけで、様々な差別を受けたとして、国に対して、謝罪広告と国家賠償法に基づく損害賠償を求める訴訟である。提訴時点での原告数は五六八名、年齢は三十代から九十代に広がっており、居住地は全国各地に及んでいる。
 提訴から二年十ヵ月を経て、昨年十二月二十一日に結審となり、本年五月三十一日には、熊本地裁で判決が言い渡されることとなっている。
 

2 家族訴訟の意義について

 私たちは、ハンセン病家族訴訟の意義を次の四点にあると考えてきた。
 第一は、家族被害をもたらした国の責任を明らかにすることである。国のハンセン病隔離政策が憲法違反であることは、既に二〇〇一年熊本地裁杉山判決において明らかにされているので、家族訴訟では、隔離政策が患者本人だけでなく、家族にまで被害を及ぼすことになった因果関係が、余すところなく明らかにされなければならない。重要なことは、国の隔離政策は当初から家族をも標的にしていたという歴史的事実を解明することである。
 第二の意義は、家族を直接に排除し、差別した社会の側の責任を明らかにすることである。「無らい県運動」に象徴されるように患者や家族を地域や学校から排除したのは、地域住民である。患者やその家族を排除し差別した社会の側の責任という問題は、この家族訴訟において、初めて問われることになる。
 つまり、この訴訟の被告は国であるが、実は、私たち社会の側が被告としての責めを問われているという点にこそ、この訴訟の特徴がある。こうした形で社会の側の責任が問われるということは、この訴訟に、社会を構成する私たち一人ひとりが、どのように関与すべきかが問われることを意味する。単なる支援者ではなく、自らが、ハンセン病問題にどのようにかかわってきたのか、あるいは、かかわろうとしてきたのか、いや、どのようにかかわろうとしなかったのかということを見つめなおす場として、この訴訟が大きな意味を有する。
 第三の意義は、原告となった家族の一人ひとりの被害からの解放を図るということである。多くの原告らにとって、語り尽くせないその被害の全貌を明らかにしようとする過程自体が、被害からの解放につながる。そうした訴訟にならない限り、この訴訟は意義を失うと言っても過言ではない。
 第四の意義は、元患者本人と家族との絆の回復を図るということである。ある原告は、父のせいで地域でも学校でもいじめぬかれたが故に、「父を恨み、憎んだことすらある」と述懐した。その父が、死ぬまで、幼い自分の写真を抱きしめるようにして暮らしていた事実を知って、どれほど自分のことを愛おしいと思いながら生きてきたのかを涙ながらに理解するに至っている。私たち弁護団の願いは、この訴訟を通して、親子、兄弟姉妹の絆が回復していくということである。
 

3 国は、家族訴訟において、どのような主張を行ったのか

 家族訴訟において、国は次のような主張を展開してきた。
 第一には、国のハンセン病隔離政策は、患者本人に向けられたものであり、家族を対象にはしていないという主張である。
 第二には、国は、隔離政策によって、家族に被害が及ぶ等とは認識していなかったし、そうした被害が及ぶと認識する可能性もなかったという主張である。
 第三には、家族に何らかの被害が生じたとしても、それは、隔離政策以前から存在していた社会の偏見にすぎず、原告らの主張する竜田寮事件等は一部の人間による例外的な事象であり、国の政策に起因するものとは言えないし、国は隔離政策からこのような被害が生じる等とは予想できなかったという主張である。
 第四には、ハンセン病に関する差別・偏見は、熊本地裁判決後の国の諸施策により、社会通念上無視しえないものとしては、除去されるに至ったという主張である。
 このような国の主張には、次のような特徴がある。第一に、それは歴史的事実を全く踏まえない机上の空論にすぎない。隔離政策が家族をも標的にしてきたこと、政府が推進した「無らい県運動」において、家族が差別され排除されるに至ったことは、何人も否定できない歴史的事実である。
 第二の特徴は、国の責任を、自らの隔離政策ではなく、心ない一部の住民の差別感情に転嫁するという姿勢である。
 第三の特徴は、熊本地裁判決後に発生した黒川温泉事件や家族原告の置かれている現状を無視して、現在では、ハンセン病についての偏見や元患者・家族に対する差別は、除去されたと主張するということである。
 国は、二〇〇三年十一月に発生した黒川温泉宿泊拒否事件の際に、菊池恵楓園に殺到した三百通もの誹謗中傷文書についても、一部の心ない国民によるものに過ぎず、このような差別・偏見は克服されたと主張している。しかしながら、あらためて誹謗中傷文書の一つ一つを読み込んでみると、共通点が認められる。
 まず、彼らの見解は、社会の大多数の共通認識だと確信している。そして、彼らは、公共機関やマスコミがタテマエを述べているにすぎず、ホンネは違うと確信している。さらに、彼らの多くは、国が広く深く植え付けた誤った認識が、たやすく消え去るはずがないと広言しているということである。
 問題は、二〇〇一年熊本判決を経ていながら、国がこのような主張を展開することを可能にしている要因はどこにあるのかという点にある。私は、ハンセン病問題の「風化」を痛感している。ハンセン病問題は、国の責任を断罪したことで結着したとの風潮が国全体に広がっているということである。
 この家族訴訟では、そのような国の主張を、歴史的な事実を踏まえて反論していくとともに、あらためて、支援の輪を築いていくことが必要とされている。この訴訟が、私たち社会の側の「加害責任」を問うているだけに、ハンセン病問題の最終的解決につながる完全勝訴判決を勝ちとるための取り組みが切実に求められている。
 

4 結びにかえて

 判決は、大きな歩みではあるものの、全面解決に向けての一歩にすぎない。二〇〇一年五月の熊本地裁判決は、世論の圧倒的な支援を得て、国の控訴を許さず一審で確定したが、今回の家族訴訟については、国会における状況やマスコミをはじめとする世論の動向等に鑑みると、同じような状況を作りだすことは容易ではない。
 しかしながら、この家族訴訟こそは、日本社会に根付くハンセン病に対する差別・偏見を最終的に克服していく使命を担った私たち一人一人にとっての課題として受けとめるべき訴訟である。その意義を可能な限り多くの人たちに知っていただくことを念じつつ、拙稿を閉じさせていただく。

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2019年3月号より