第11回全国交流集会に向けて①
交流集会は出あいの場でもあり学びの場
「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」 

<交流集会部会チーフ(富山教区) 見義 智証>

 

道場樹としての交流集会

 二〇一九年九月十三日から十四日にかけて、「第十一回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」が北陸の富山で開催されます。テーマは「富山から考えるハンセン病問題〜病そのものとは別の苦しみ〜」です。
 真宗大谷派は、一九九六年の「らい予防法」の廃止とともに、「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」を発し、国の人権侵害を見抜けなかったこと、教団が隔離政策を支える社会意識を助長したこと、さらに隔離政策に宗教的意味を与えたことを謝罪しました。同時に今後、念仏の教えが人間回復・解放の力となり得る教化の推進を課題としていくと約束しました(開催趣旨より)。
 「交流集会は出あいの場でもあり学びの場」とは、富山教区で開催された教区同朋総会での講師から、あらためて教えられた言葉でした。さらに続けて、交流集会を「仏事であります」とおさえてくださいました。そこには社会問題としてのハンセン病問題を学ぶということにとどまらないものを感じます。
 ハンセン病問題に私の生きる姿を知らされ、課題をいただき、教えからの呼びかけに耳をすましながら歩んでいく。そういう一人ひとりの歩みが、らい予防法廃止から途切れることなく続けられて、今回富山での開催をお迎えさせていただくのだと感じ、あらためて身の引き締まる思いをしています。
 そういう意味では、私はこの交流集会が、一里塚のような、どこかへ向かっていくときの目印ではなく、それぞれどの方向に歩んでいたとしても、「ここに大切な人、聞くべき声、私の課題がありますよ」と教えてくれる道場樹のようなはたらきとして感じています。
 

富山らしさ

 今回、富山で全国交流集会を開かせていただくときに、スタッフから「富山らしさ」を出していこうという声が出ました。富山らしさって何だろう。富山に住んでいると、その「らしさ」というものに特別目を向けることがなく、いろいろと考えさせられました。自然が豊かで、食べ物がおいしい。保守的な地域とも言われますし、真宗の歴史に深いご縁もあります。そういう地域で聞いていくべきことは何なのか。
 当時、「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」に関わっておられた方の、「ハンセン病回復者である原告の方々と一緒に裁判を闘ってきているが、間違ってはいけないのは私たちは「原告の側」ではなく、「被告の側」にいるということを忘れてはいけない」というような言葉が印象に残っています。そのことから言うと、富山に生活しながら見忘れてきたこと、知っていることにしてきたことは何かと考えたときに、社会が生み出した公害病である「イタイイタイ病」の被害と歴史がすぐ近くにあることに気づきました。
 その中で障がい者殺傷事件を契機として、私たち一人ひとりが障がい者としている存在をどう見ているのか。セクシャルマイノリティーと呼ばれる性の多様性に対して、それを認められない多数派の価値観。私たちが「当たり前」にし、「普通」と呼び、それにあてはまらない存在を「異質」として排除してきた私たちのあり方を問うときに、一つの柱として「イタイイタイ病」の患者やその家族の存在が見えてきました。たまたま公害認定五十年の節目の年を迎え、ニュースなどでよく耳にする時期でもありました。
 

イタイイタイ病とハンセン病

 一般財団法人神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会・イタイイタイ病対策協議会の事務所のある清流会館で代表理事と会長を務めておられる髙木氏のお話の中で、「イタイイタイ病で今もなお苦しんでいる人がいる。環境や川や水田はよみがえることができるが、病の中、亡くなっていった人の命はよみがえらない」という言葉が印象に残りました。別の研修会でハンセン病回復者の方からこぼれた、「謝罪をされても人生は返らない」という厳しい言葉と重なって聞こえてきました。
 また、東日本大震災後の原発事故を契機に、各地で保養活動が始まったときに、ある教区の方が、「福島の子どもたちや家族を助けてあげるというのが入口じゃない。まずは子どもたちに原発を存在させてきた者の責任として「ごめんなさい」から始めることが大切じゃないのか」と言われた言葉とも重なります。
 この身を自覚せしめられてようやく一歩が踏み出せる。浄土真宗の言葉として聞こえてくるような気がします。
 イタイイタイ病とハンセン病問題はどう関わるのかということだけではなく、あらわれてくるかたちは違いますが、底にある悲しみと苦しみ、そしてそれを生み出すもとが私の中にあるということを、まずは教えてくれているように思います。
 

2分の1ではなく、1+1=2

 今回の中心であるハンセン病問題がイタイイタイ病や差別問題、その他の様々な問題の中の一つというとらえられ方をされてしまうのではないかという言葉が企画段階で出ました。ハンセン病問題ということが薄まってしまうのではないかと。
 これは今回準備する側の姿勢が問われることでもあると思います。交流集会が大切にしてきた「出あい」ということがそのことを乗りこえてくれるポイントではないでしょうか。
 一人の人と出あい、その人の言葉を直接聞くということ。その出あった人の数が多くなればなるほど、一人ひとりの存在が薄くなるかというとそうでもないと思います。むしろ、別の一人と出あうことで薄れていたものが再びよみがえるということがあるのではないでしょうか。それが出あいの大切さですし、学びの原点だと思うのです。いつも大切なスタート地点に呼び戻され歩み直すという聞法の姿にも思えます。
 一人と出あい、その出あいがまた一人と出あわせてくれる。イタイイタイ病を大切な課題として生きる一人に出あい、ハンセン病問題を大切な課題として生きる一人と出あえる。
 何もしなければ私の中で、2分の1、3分の1と、どんどん薄れていったであろうことが、1+1=2、1+1+1=3と、私の中で大きく育ててくださっていました。あらためてずいぶん大切な出あいをいただいてきたなと思わされます。
 今回の富山での交流集会でも、「出あい」と「学び」を大切なこととして開催させていただきます。一人との出あい、生きている人とも、亡き人とも共に出あっていける、そこからまた始まっていく、そういうことを願いとして開催させていただきます。丁寧に、楽しんで準備していきますので、皆さんも楽しみにお越しください。待っています。
※交流集会の開催趣旨文や日程等は次号にてお知らせいたします。

 
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2019年4月号より