第11回全国交流集会に向けて③

 

本年9月13日〜14日、富山・高岡教区の共催で、
「第11回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」を開催いたします。
今号では、基調講演の講師であり、長らくハンセン病の家族の声を
聞いてこられた黒坂愛衣氏(東北学院大学准教授)にご執筆いただきます。

 

ハンセン病家族訴訟の判決を前に(上)

<東北学院大学准教授 黒坂 愛衣>

 

声をあげるプロセスとしての「ハンセン病家族訴訟」

熊本地裁で係争中の「ハンセン病家族訴訟」が、この六月二十八日にいよいよ判決を迎える(当初指定された判決期日よりも一ヵ月延期された)。ハンセン病であった人を肉親にもつ「家族」の立場の人々が、患者だけでなく家族もまた「らい予防法」による被害を受けてきたとし、国に謝罪と賠償を求めている集団訴訟だ。原告は現在、北海道から沖縄までの全国五六一名である(二〇一六年二月第一次提訴、同年三月第二次提訴)。
「らい予防法」が憲法違反であったことは、すでに二〇〇一年五月の熊本地裁「ハンセン病国賠訴訟」原告勝訴(確定判決)で認定されている。今回の「家族訴訟」は、その後も各地で孤立し沈黙せざるをえなかった家族の人々が、「わたしたちもその被害を受けたのだ」と声をあげるプロセスとなったといえる。
国内では長年、ハンセン病の家族の人々の集まりは存在せず、前述の「ハンセン病国賠訴訟」勝訴を契機として二〇〇三年に「れんげ草の会(ハンセン病遺族・家族の会)」ができたのが最初だ。わたしはその翌年に「れんげ草」のみなさんと出会い、毎年の集まりにオブザーバーとして参加してきた。「れんげ草」の集まりに来る家族の人たちは、きまった顔ぶれの十名ほどで、熊本、宮崎、奄美大島、沖縄、兵庫、大阪、新潟などからそれぞれ来られていた。「普段の生活ではハンセン病の話は絶対に誰にも言えない。れんげ草の会でなら隠しごとをしなくていい」と、遠方からでも足を運ぶ理由を彼らは教えてくれた。初期の頃は、「れんげ草」の集まりで自分の名前を呼ばれるのを嫌がる人もおり、〝肉親がハンセン病であった〟事実を、よそに知られることへの恐れが強く感じられた。十年以上のつきあいを経て、ハンセン病家族の十二の人生体験を本にまとめることができた(拙著『ハンセン病家族たちの物語』二〇一五年、世織書房)。こうした経過を見てきたわたしにとって、「ハンセン病家族訴訟」の提訴は、それ自体が驚きであったし、ましてや原告が五六一名にも広がることになるとは夢にも思わなかった。
〝肉親がハンセン病であった〟事実を知られることを家族が恐れざるをえない厳しい状況は、現在まで続いている。原告の大多数は匿名で裁判を闘っており、この裁判の原告になっていることを──もっと言えば、親やきょうだいがハンセン病であった事実を──自分の配偶者や子どもに伏せている原告はとても多い。また、たいへん痛ましいことだが、提訴時点で三十代前半のある姉妹の原告が、父親がハンセン病であったことを理由に、姉妹ともが夫から離婚されていた事例もある。それが差別による離婚であったことを、姉も妹も、今回の家族訴訟が起きるまで、親きょうだいにも誰にも言わずにいたという。

「被害」に向き合う

裁判の過程では、裁判所に提出する陳述書を作成するため、原告の一人ひとりが、ハンセン病であった肉親をもつ家族としての自分の人生を──それまで言葉にされることがほとんどなかったストーリーを──弁護士に語っている。さらに、証拠調べとして指名を受けた原告二十九名は、裁判の後半、法廷の場において、裁判官や国側代理人を目の前に、それをやりとげたのである(原告本人尋問)。そうしたプロセスを辿るうちに〝自身の身に起きていたのはなんだったのか〟認識を深めていく家族の人々の姿があった。
ある四十代男性は、療養所退所者である母親に勧められ、家族訴訟の原告になった。当初は〝自分は差別されたこともないし、被害と呼べるものがない〟と考え、裁判への参加も躊躇するほどだった。その気持ちが陳述書にも表れており、国側からの指名で、原告本人尋問に立つことになった。
法廷での彼の証言は、大きく変化していた。幼い頃から目の当たりにしてきた両親のな関係。父親の激しい暴言と暴力、母親の強い自己卑下。家の貧しさ。男性は子どもの頃から、こうしたい現実を意識的に〝遮断〟する術を身につけ、やりすごしてきたのだった。男性の母親は、ハンセン病であったことを隠したまま結婚。のちに病歴を打ち明けた頃から、父親はまったく働かなくなっていた。母親には〝自分のような人間が家庭をつくることができたことへの感謝〟の念があり、父親はそれを逆手にとったと男性はみる。「ハンセン病への偏見が助長されたなかで、母親も〝自分は完治していない、自分は人間以下だ〟と思い込まされた状況があった」と男性は述べ、その子どもとして自身が置かれた状況を「被害」として語ったのだった。──以前は〝自分には被害はない〟と考えていたことについて尋ねると、「現実逃避として、蓋をしていた。自分で制限をかけていた」との答えであった。
家族訴訟では、原告の一人ひとりが、ハンセン病家族としての自分の人生に向き合い、「被害」を言葉にする作業を重ねてきた。この家族たちの声を、司法は聞き届けてほしい。六月二十八日の判決をぜひ注目されたい。

ハンセン病家族訴訟判決
六月二十八日(金)午後二時
熊本地方裁判所

◆黒坂愛衣さんプロフィール◆
埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程修了、
博士(学術)。東北学院大学経済学部准教授。
「黙して語らぬひとが語り始めるとき
─ハンセン病問題聞き取りから」
(『解放社会学研究』第26号)で
2011年度日本解放社会学会大会
「優秀報告賞」を受賞。
著書に『ハンセン病家族たちの物語』
(世織書房・2015年)。

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[著書の紹介]
『ハンセン病家族たちの物語』
(世織書房・2015年)
「家族を語る」から「家族が語る」。
これまでハンセン病回復者が体験を綴った書籍は数多く出版されてきたが、その家族が体験を綴ったものは数えるほどしかない。家族は「ハンセン病回復の関係者」ではけっしてなく、自身が「家族」という当事者である、と筆者は語られる。
家族というつながりを社会に奪われてきた、12人の家族たちの人生物語(ライフストーリー)。
家族訴訟への大きな原動力になった一冊。
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2019年6月号より