第11回全国交流集会に向けて⑤
親鸞さんの眼差し、生き様、言葉に帰る道あり
─第11回ハンセン病問題全国交流集会・富山大会に向けて─
<「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」交流集会部会(高山教区)   旭野 康裕>

 

「療養所のない教区」での開催の意義

「富山から考えるハンセン病問題─病そのものとは別の苦しみ─」をテーマに、第十一回目となるハンセン病問題全国交流集会・富山大会が九月十三日・十四日に開催される。真宗大谷派が「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」(一九九六年)で、「生きた教えの構築と教化を宗門の課題」とし「具体的な歩み」として始まった交流集会も十一回目、四半世紀の歴史を刻んだ。
しかし、療養所のない富山・高岡両教区では、「なぜ今、療養所のない富山なのか」という戸惑いが当初はあった。富山には「病そのものとは別の苦しみ」を強いられた日本初の公害病のイタイイタイ病の歴史がある。明治以降推進された「殖産興業・富国強兵」の国策のもと、ハンセン病と同様に患者だけでなくその家族をも「病気以外の苦しみ」を与えてしまった歴史だ。かつて富山県にもハンセン病を患った方たちが生活をされ、そして療養所に強制隔離されて、再び故郷の地に立つことができなかった方たちがおられる。
お骨になっても里帰りがかなわず、今も療養所の納骨堂に残る多くのご遺骨。一九三五年のハンセン病患者の全国調査で全国最低だった富山県は、患者が少なかったが故に「無らい県」を実現すべく、官民一体となった執拗で熾烈な「無らい県運動」が展開されたという歴史を持つ(『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書』日弁連)。ハンセン病問題は療養所の存在の有無に関係なく、関心がある特別な人だけが取り組む課題ではない。

「真宗の課題なのか」の発想を越える願い

病そのものではなく、病気になった〝人〟を社会から抹殺するような「らい撲滅」のスローガンに象徴されるように、そこには不都合なものを排除することで、排除した側だけの「安全な社会」ができるとする社会体質が背景として存在していました。(「謝罪声明」)
真宗大谷派は無批判に国策に追従し隔離に積極的に協力していった。教えに依って「盲冥なる世」を問う視点を見失い、善意で隔離に宗教的意味を与え受容させる「救済」を説いていった。そこには、自身の眼のさで世のさを深めていく私たちの相があった。私たちは「真宗の課題」を立て、真宗の課題と了解してから具体的な行動を考え、動こうとする傾向があるのではないか。しかし、多くは課題の了解の上に泰然として自らの身が問われることも、生きる世を問うこともなく通り過ぎていくことがある。私たちにとってハンセン病問題は、過去の過ちを反省し改心してから問題に向き合い、共に歩もうと誓うものではない。ハンセン病問題に苦難の人生を強いられた患者自身・家族の方々の怒りの声、
悲しみの涙に出会って初めて、私たちの本当の罪深さ愚かさを教えられ慚愧を呼び起こされる。そして共に歩みましょう、と促された時、真宗の課題であった、と気づくのではないか。自分たちの安心安全にとって不都合な人を社会の片隅に追いやり、無関心に放置し平気で忘れていく私たち。いつでもどこにでも誰にでも起こりうる普遍的な問題なのだ。そして、富山と同じ療養所のない高山教区開催の第七回交流集会(二〇〇八年)では、「ハンセン病問題への取り組みは同朋会運動である」と明確に宣言されている。

「もう終わった問題」か? —世間の常識を問う

ハンセン病問題は終わっていない。決して過去の問題ではなく現在進行形である。国の隔離政策により、ハンセン病患者の家族である/あったという理由だけで差別を受け、元患者同様に人生全般にわたる被害を被ったと、国を相手に争われた「ハンセン病家族訴訟」。原告は北海道から沖縄の離島までの五六〇名余、そのほとんどの方が本名を伏せて闘わなければならなかった事実。原告が三十代〜九十代という世代の幅の広さ。患者の親を恨み、兄弟姉妹の存在をかき消して生きる、という歪められた家族関係。嘘に嘘を重ねることで保とうとした人間関係。絶対の秘密を背負うことを強いられる人生。裁判で語られた事実は、現在もなお差別偏見に晒される家族の存在を私たちに知らしめた。

「お坊さんは闘ってください」 —世間と闘う

今回の家族訴訟でも原告弁護団の中心になられた德田靖之弁護士は、今回の家族訴訟の意義を私たちに訴えられる。
「この家族訴訟こそは、日本社会に根付くハンセン病に対する差別・偏見を最終的に克服していく使命を担った私たち一人一人にとっての課題として受けとめるべき訴訟である」(『真宗』二〇一九年三月号)。
第八回交流集会(二〇一一年)の時、分科会のパネリストのお一人だった德田弁護士に相談した。ハンセン病問題の活動をする私を快く思わない地元のご門徒さんが、「おまえがハンセン病問題のことでウロウロするとビクビクする者がいることを解っているのか」と非難されたことを打ち明けた。すると德田さんは「お坊さんにはお坊さんの現場があるでしょう。その現場で自分にできる表現で闘ってください」と答えてくださった。私たち真宗の僧侶は、善人の発想が作った世間の常識を問い、その常識から弾き出されるものへ眼差しを向け、弾き出す世間と対峙する、と教えられたと思っている。
謝罪から始まった具体的な歩みはまだまだ続いていく。
富山でのハンセン病問題全国交流集会でお会いしましょう。待っとっちゃ!

《ことば》
「やっと母との距離も縮まった」
奥 春海

この言葉は、一番身近な母親と、誤った病への恐怖心から親しくふれあう時をもてなかった奥春海さん(ハンセン病家族訴訟原告)の言葉です。
去る六月二十八日、熊本地方裁判所はハンセン病家族訴訟において、ハンセン病家族の苦しみを「人生被害」と指摘し、原告側の実質勝訴、国に賠償を命じる判決をしました。
判決文では、原告らの「人格形成や自己実現の機会が失われ、家族関係の形成が阻害された」ことと同時に、「大多数の国民らによる偏見・差別を受ける社会構造をつくり、差別被害を発生させ、家族関係の形成を阻害した」とし、長年にわたり国が差別を放置してきたと断罪しました。
この判決をハンセン病家族への差別を解き放つ一歩としていくためにも、国はその罪を認め謝罪すると同時に、私たち自身も差別と偏見の解消への取り組みが願われています。
(解放運動推進本部 山内小夜子)

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2019年8月号より