第11回全国交流集会に向けて⑥
世紀に及ぶ苦難から
─イタイイタイ病、カドミウム被害の今─

<イタイイタイ病対策協議会会長・一般財団法人神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会代表理事 髙木 勲寛>
一、はじめに

 各位ご周知の通り、イタイイタイ病(イ病)は四大公害病の一つであります。戦後復興の高度経済成長による負の遺産との位置付けがされているかと思います。
 しかし、一九一一(明治四十四)年、当時の厚生省は「最初のイ病患者発生」と推定しており、水俣病、第二水俣病、四日市ぜんそくとは発生の時期が違うことになります。
 イ病の原因が分かるまで、「業病」とも「祟り」とも「地方病」とも言われました。患者救済に多大な尽力をされた故・萩野昇医師への誹謗中傷、そして患者や家族にもさらに家族崩壊へと、地域は「豊かな稲穂のるは汚染されの地」と化しました。
 裁判提起前に神岡鉱業へ救済を求めた際、当時、大企業の三井金属鉱業は「現在、国が調査しており、その結果多少なりとも我が社が関係あるということであれば我が社が出向いてお詫びします。逃げも隠れもいたしません天下の三井でございます」と公言し、鉱山開発によるの垂れ流しによる被害を認めようとはしませんでした。
 公言の背景には戦前という時代からの国情に深くかかわっていたことが推測され、戦争の歴史と鉱山開発による重金属生産量は比例していると言われています。
 昨年はイ病裁判を提起して五十年、国が「イ病は公害病である」と公式認定(厚生省見解)して五十年でもありました。
 

二、 裁判で企業の罪を問う

 一九六八(昭和四十三)年 三月九日、大企業の三井金属鉱業を相手に裁判を提起したことは、当時では無謀だと言われたことでした。しかし、被害地域の開業医だった故・萩野昇医師の人望と熊野公民館の館長であった故・笹井久作氏の教育者としての人望が重なり、被害地域を動かしたことが今日の原点であると考えます。
 富山県弁護士会の重鎮であった故・正力喜之助弁護士を団長とするイ病訴訟弁護団が結成され、故・近藤忠孝弁護士が東京から富山に居を移され富山中央法律事務所に腰を据えて、イ病裁判を闘う体制が大きく前進しました。
 三十七回の裁判期日を経て、公害裁判では初の「勝訴」判決が一九七一(昭和四十六)年六月三十日、富山地裁で得られました。控訴審は約十四ヵ月後の一九七二(昭和四十七)年八月九日、名古屋高裁金沢支部において完全勝訴が確定し、翌日三井金属鉱業本社にて十一時間の直接交渉によって勝ち取った患者救済の「イ病の賠償に関する誓約書」、汚染農地復元の「土壌汚染問題に関する誓約書」、そして立入調査権のある「公害防止協定書」を締結し、この三つの柱を基に今日まで活動を続けてきました。
 

三、 三つの柱を軸にして

 一つ目の患者救済については、毎年「神通川流域住民健康調査(住健)」を富山県が実施し、その結果を審議する認定審査会が年一回開催され、他に「申請」があればそれも含めて認定審査が行われており、一定のルールになっています。ただ、これまで「死亡後の認定」が多々あったことから、ご存命中の認定が患者救済にとって重要であるととらえて訴えております。
 二つ目の汚染農地の復元は、これに要する費用の企業負担39.39%を含む四〇七億円と三十三年間の歳月により863haが美田に甦りました。富山県農業の主力である「米」のクリーン宣言も成されました。
 なお、復元事業は社会資本整備に大きく貢献しており、の運搬道路は今日の生活に欠かせないアクセス道路として利用されています。
 三つ目の「公害防止協定書」に基づく立入調査は、今年四十八回目を迎えます。立入調査権のあるこの調査は類例のないものであり、それによって「神通川に清流が甦った」成果もまた類例の無いものであります。再汚染をさせないために企業と被害住民による「緊張感のある信頼関係」が構築され、この関係が末永く続くことは神通川の清流を守ることでもあり、それは富山平野の安全安心に資するものであると確信し調査を継続することとしています。この立入調査はまもなく節目となる五十回目を迎えますが、それも通過点と考えています。
 以上の三つの柱の成果は、多岐にわたる語り尽くせぬ方々のご理解とご協力、ご支援をいただいてのものであります。
 

四、謝罪からはじまる未来

 二〇一三(平成二十五)年十二月、石井隆一富山県知事ら立会のもと、遺族と被害団体を代表し、髙木他六名は三井金属鉱業仙田貞雄社長(当時)と全面解決に調印しました。仙田貞雄社長は「過去に皆様にご迷惑をかけたことは消すことはできません。今後そのことを踏まえ皆様と向き合っていきます」と言明されました。公害は人災です。仙田社長の言葉は「企業の社会的責任」を鑑みてのものであり、日本の全ての企業の責任者に願望するものです。全面解決は終わりではなく三つの柱を継続すること。そしていわゆる「カドミ症」を救済する制度を作ったこと。さらに四十五年前に当時の社長が患者さんに謝罪したいと申し入れがあったが、三つの柱の履行を見きわめるまではと受けていなかった「謝罪」を受けたことで全面解決としたものです。その際、神通川清流環境基金を創設し今年三年目を迎え、神通川清流環境賞三部門の募集を行っています。
 今後引き続き、患者救済と公害根絶に向け努力を重ねていく所存です。

*高木勲寛氏には、9月13日(木)〜14日(金)開催の、第11回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会in富山のショートレクチャーにて、発言をしていただきます。
 

イタイイタイ病とは
イタイイタイ病は、富山県の神通川流域で起きた日本の四大公害病の一つで、 患者が「イタイ、イタイ」と泣き叫ぶことからこの名が付いたと言われる。大正時代頃から発生し、神岡鉱山(岐阜県飛騨市)から排出されたカドミウムが神通川の水や流域を汚染し、 この川水や汚染された農地に実った米などを通じて体内に入ることで引き起こされた。一九六八年に公害病と
して認定。

 
詳しく知ろう!
富山県立イタイイタイ病資料館
◆住所:富山県富山市友杉151番地
(とやま健康パーク内)
TEL:076(428)0830
 
・資料館スタッフ(10名以上の団体が対象)や解説ボランティアによる展示解説を行っています。
・患者のご家族などで、イタイイタイ病の恐ろしさを実感し、多くの問題を乗り越えてきた「語り部」の方から、貴重な体験を聴くことができます。(原則10名以上の団体が対象)
 

 
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2019年9月号より