本年9月13日~14日に行われた富山・高岡教区共催「第11回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」に先立つ6月28日、熊本地方裁判所において、ハンセン病回復者の家族らによる国に対する謝罪と損害賠償を求める裁判で、国の責任と賠償を認める判決が出されました。この回では、弁護団長の德田靖之氏より判決の意義と今後の課題についてご報告いただきます。

第11回全国交流集会に向けて⑥
ハンセン病家族訴訟と私たちの責任
<ハンセン病家族訴訟共同代表・弁護士 德田 靖之>
一、熊本地裁判決の意義とその限界

 去る六月二十八日、熊本地裁は、原告ら勝訴の画期的な判決を行った。その意義は、以下の五点に要約することができる。  第一は、国の隔離政策により病歴者本人だけでなく、家族にも被害が及んだということを正面から認めたということである。
 第二は、家族に対して、差別・偏見が及んだ原因が、国の誤った隔離政策によって国民の大多数が、ハンセン病の病歴者や家族は差別されても仕方がないとの認識を抱いてしまう社会構造が作られてしまったことにあることを明らかにしたことである。
 第三は、ハンセン病についての差別・偏見を除去し、そうした社会構造を解消していくためには、厚生労働省だけでなく、法務省・文部科学省を含めた国の総力を挙げての取り組みが必要であるとして、法務大臣、文部科学大臣の責任を認めたことである。
 この点は、国会議員と厚生労働大臣の責任のみを認めていた二〇〇一年熊本地裁判決を超える画期的な判決であるということができる。
 第四は、家族の受けた被害としてあるべき家族関係の形成を妨げられた被害を認めたということである。こうした被害を正面から認めたのは、恐らく、日本の裁判史上初めてのことではないかと思われる。
 第五は、今もなお、ハンセン病に対する差別偏見は根強く残っているとし、そのことを理由に、国の時効の主張を排斥したことである。
 しかしながら、この判決には、以下のような限界もあり、これが私たちが「苦い勝訴判決」と呼ぶ所以となっている。
 第一の限界は、国の違法を二〇〇二年以降は認めなかったということである。
 その理由とするところは、二〇〇一年の熊本地裁判決や国の啓発活動により、ハンセン病に対する差別・偏見は、一定程度改善しているという誤った認識にある。その結果として、二十名の原告の請求が棄却されるに至った。
 第二の限界は、米国施政権下の沖縄についての被害を認めず、沖縄原告についての損害を減額したことである。
 この点は、二〇〇一年熊本地裁判決と同じ過ちを犯していると指摘せざるをえない。
 第三の限界は、損害額の認定が、余りに低額だったということである。差別・偏見を受ける地位に置かれた被害は、わずか三十万円という認定になっており、家族関係の形成を妨げられた被害についても、療養所からの何回かの帰宅があるとゼロ査定されてしまっている。
 こうした低額の認定をもたらしたのは、私たちが訴訟の早期解決のために、共通損害論という論法を採ったことにも起因しているが、それにしても三十万円というのは、余りに低額であって、判決の画期的意義を大きく減殺している(注1)。

 

「ハンセン病家族訴訟」判決後の報告集会
「ハンセン病家族訴訟」判決後の報告集会
二、控訴阻止に至る経過とその意義

 以上に述べたような限界のある判決でありながら、私たちは、国に対して控訴断念を求める活動を全力で行い、七月十二日、安倍晋三首相は「総理大臣談話」と「政府声明」を出したうえで、控訴しないことを表明し、これを受けて、私たちも二十名についても控訴を見送った。
 私たちが、こうした形で控訴阻止に死力を尽くしたのは、この判決を確定させることによって、国の法的責任が争いえないものとなり、早期に差別・偏見の解消という私たちの終局的な目標への取り組みが開始されるとともに、国との間で、判決の限界を超えた一律の補償措置を作り上げることが可能になるとの判断によるものである。
 二〇〇一年に続いて今回も国の控訴を阻止した要因を正確に分析するには、多少の時間が必要であるが、思いつくままに挙げるとすれば、以下の四点である。
 第一は、原告たちの切実な被害の訴えが報道を通じて、多くの国民の支持を得たということである。直後の世論調査によれば、七十%以上が控訴しないとの政府の決定を評価している。
 第二は、原告たちを支えた市民の活動が二〇〇一年当時を上回るような形で展開されたことである。
 第三は、こうした原告らと市民の活動が「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」(森山裕会長)を大きく動かし、官邸への働きかけを生んだということである。
 第四は、二〇〇一年の控訴断念という歴史的成果をもたらした影響である。安倍首相は、二〇〇一年当時の官房副長官、衛藤晟一首相補佐官は、二〇〇一年当時の自民党厚労部会長であり、控訴断念した当時の当事者の一員であった。
 いずれにしても、控訴阻止とその後に実現した総理面談によって、家族被害の回復と差別・偏見の克服に向けての私たちのたたかいは新たな段階に入ったことだけは明らかである。

三、今後の運動のあり方と私たちの責任

今後は、当面の課題としての家族被害の回復のための立法による補償措置の確定と、差別・偏見解消のための政策的課題の明確化という長期的な課題への取り組みが開始される。
 これらの経過については、いずれ報告させていただくとして、以下においては、今回の熊本地裁判決が、社会を構成する私たち一人一人に対して投げかけた課題について、私見を申し述べておきたい。
 そもそも、今回の家族訴訟が提起された趣旨(目的)の一つは、家族を差別し、偏見にさらし続けてきた社会の側の加害責任を明らかにすることにあった。
 この点について判決は、「内務省及び厚生省等が実施してきたハンセン病隔離政策等により、ハンセン病患者の家族が、大多数の国民らによる偏見差別を受ける一種の社会構造を形成し、差別被害を発生させた」と判示している。この判決の意味するところは、差別・偏見の根本原因は、国による隔離政策にあるが、現実に差別偏見してきた直接の加害者は、大多数の国民らであることにある。
 判決を受けて、私たち一人一人には、その大多数の国民に属するのではないかということを自らに問いかけることが何よりも求められる。
 そのような形で、自らに問うことが、私たちがハンセン病問題を私の課題として把握し直すという第一歩になるのではないか。
 ハンセン病問題の当事者とは、誰のことを意味するのかということが問われて久しいが、その難しい問いへの答えを今回の熊本地裁判決は、用意してくれていると私には思われる。

 

(注1)この裁判は、五六八名の原告によって提訴されたため、一人一人の損害を個別に審査していたら、十年を超える長期裁判になる。そこで、これを回避するために五六八名全員に共通する最小限度の損害という構成を採用せざるを得なかった。これが共通損害論である。このために、全員の認容額が最低レベルに抑えられるという結果を生じたものであり、今後検討を要する課題となる。

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2019年10月号より