4度にわたって焼失した真宗本廟・東本願寺。親鸞聖人の御真影が安置される世界最大の木造建築物の御影堂や阿弥陀堂は、明治28年(1895)に全国の門徒のご尽力より再建されました。
新潟にある木揚場教会には、『百事日誌』と称される再建に関する業務日誌が残されており、木揚場の果たした役割を知ることのできる貴重な内容が記されています。
この度、その翻刻製本化が進められることになりましたので、木揚場教会のご紹介をいたします。

10百事日誌01

10百事日誌02

幕末の1864(元治元)年7月19日、禁門の変の兵火によって、東本願寺は4度目の火災に見舞われます。度重なる焼失にともなう再建と、幕末維新期における動乱の中で、再建事業は困難を極めました。

1879(明治12)年12月、ようやく再建発示、つまり再建に着手することが宣言され、その翌年から事業が始動します。

再建にあたり、用材が全国から京都の東本願寺へ運ばれました。船での輸送が主流の時代でしたので、日本海側を中心とする各地域の湊に「木揚場」と称する施設を設け、用材集積に関する諸事務を行いました。全国32ヶ所の湊に設けられた木揚場のうち、新潟木揚場は東本願寺直轄の説教場として、教化・聞法の場となっていきます。その場は現在も「木揚場教会」として継承されています。
【木揚場教会正面外観】

01木揚場教会正面外観

【坂井若利肖像画】

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新潟木揚場の創立者で敷地建物寄附者でもあるのが坂井若利(本名:利助、1831~98)です。

大正に再建された現存の建物は、背後が和風、表側が洋風建築の要素を取り入れた、和洋折衷の独特な外観の建物です。
【木揚場教会側面外観】

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【登録有形文化財プレート】

04登録有形文化財プレート
2000(平成12)年には、国の登録有形文化財となりました。

【焼鏝と押印木板】

05焼鏝
06押印木板
新潟港木揚場で用いられた大・小2種類の焼鏝(やきごて)と、焼鏝・大を押印した木板が残されています。焼鏝・大の印文は「大谷派本願寺/新潟港木揚場/献木之証印」で、献木された用材に押印しました。焼鏝・小の印文は「木揚場」で、説教場の備品などに押印しました。

【髪毛領収仮証】

07髪毛領収仮証
1882(明治15)年5月1日に、新潟港本山木場事務取扱所が、曽川村(新潟市江南区)の志賀八平治下女である「おりのとの」から本山の東本願寺へ「髪毛」を上納するにあたり、仮に発行した領収証です。後日、東本願寺が正式な「収標」を発行し、この「仮証」と交換することになっていました。

「髪毛」は毛綱に用いるためのものと考えられます。新潟港の木揚場にて、新潟各地から集められた毛髪を用いて毛綱を作り、本山へ寄進されたとみられます。毛綱は、毛髪を麻と一緒に編んだ綱です。用材を運び出す場合、藁縄では途中で切れてしまったため、頑丈な麻と共に編んで綱としました。老若男女を問わず、地域の門徒一同が、信仰心と本山助成の証として献上したとされ、実際に用いたと伝えています。全国各地から本山へ53本寄進されたことが知られています。

【毛綱下付状】

08毛綱下付状
1939(昭和14)年3月10日に京都本山の宗務所から、越後国新潟説教場へ毛綱1房が下付された際の下付状です。新潟県から15本の毛綱を寄進していることが知られ、数多くの毛綱寄進を仲介した越後国新潟説教場に対して後年、その功績を顕彰するため、本山から毛綱が下付されたとみられます。その毛綱は木揚場教会に現存しています。
【毛綱】

09毛綱

●木揚場教会では、『百事日誌』の翻刻に対する寄付を募集中です。木揚場教会、百事日誌に関するお問い合わせはコチラhttps://sanjobetsuin.or.jp/temple/%E6%9C%A8%E6%8F%9A%E5%A0%B4%E6%95%99%E4%BC%9A/

●木揚場教会 文化遺産オンライン

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/186310