彼岸(ひがん)からのよびかけ

著者:藤原千佳子(金沢教区浄秀寺前坊守)


秋の彼岸も過ぎたある日、その日は、あたたかな日差しがそそぐ穏やかな天候でした。私が一人でお寺にいる時、昼過ぎにあるおじいさんが訪ねてこられました。お顔は見覚えがありますが、名前が浮かんできません。八十過ぎのお歳かと思われました。

 

「今日は私の母の命日でねぇ。お天気も良いし、思い立ってお寺までまいりました。お経にあいたいと思いまして」と言われます。

 

自転車で来られたというそのおじいさんを部屋に通し、お茶を差し上げると、想い出すように、ぽつりぽつりと話し出されました。

 

「私の母は、私が六歳のちょうど小学一年生になった年の今日、二十六歳で亡くなりました。亡くなる前、母は自分が休んでいる寝床に、私を手招いて呼びました。私が喜んで母の懐(ふところ)に飛び込むと、母は何も言わずに、私をぎゅっと抱きしめてくれたのです。その日の夕方に、母は亡くなりました。  

その母の枕元であがったお経さま『阿弥陀経』と、お葬式の後の「白骨」の御文は、意味が解らなくても、幼い私の胸にしみ込みました。「ああ、もうお母さんは居なくなったんだ」と思いました。

 

その後、私は第二の母に育てられました。その母には大変お世話になり感謝していますが、私を生んでくれた¨母¨のあの時の懐の暖かさと、抱きしめてくれた感触を、今も忘れられないのです。若い頃、道を踏みはずそうとした時も、この母の無言の願いが、私を呼び覚ましてくれました」。

 

このように言われ、昨日のことのように涙ぐまれるのです。八十余のおじいさんの胸に、今も生き続けている¨お母さん¨。死の直前、お母さんはきっと万感の思いを込めて、最後の力をふりしぼってわが子を抱きしめられたのでしょう。

 

その後、本堂で『阿弥陀経』を読経させていただきました。『阿弥陀経』には「舎利弗(しゃりほつ)、舎利弗」と、お釈迦さまが仏弟子の舎利弗を何度もお呼びになる言葉が出てまいります。このおじいさんは、そのお釈迦さまの呼びかけに、亡き母からの大切なことばを重ねて聞き取っておられたのではないかと感じました。そして今も、お母さんはこのおじいさんに、仏さまのはたらきとなって呼びかけてくださっているのです。

 

「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)…、南無阿弥陀仏…」と、お念仏を申されながら帰って行かれるおじいさんの、後姿を見送りました。

 

 

()きし人みなこのわれに(かえ)り来て 南無阿弥陀仏を(とな)えさせます

 

 

妻を亡くされた私の友人の短歌です。

 

亡くなった人は決して往ったきりではなく、必ず彼岸(浄土)から此岸(この世)への呼びかけとなり、私たちがお念仏申して生きる¨はたらき¨となってくださるのです。

 


東本願寺出版発行『お彼岸』(2017年秋版)より

『お彼岸』は、毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『お彼岸』(2017年秋版)所収の随想の一つをそのまま記載しています。

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