2019年6月28日、ハンセン病家族訴訟において、ハンセン病問題において家族にまでおよぶ被害を隔離政策による国の責任として認める勝訴判決が言い渡されました。まもなく2年が経とうとしていますが、被害回復の歩みは十分とは言えません。今なお残るハンセン病問題の課題を聞きたいと思います。

 

家族補償請求の現状と課題

ハンセン病家族訴訟弁護団弁護士  内藤 雅義さん

 

●家族訴訟判決・補償法制定の意義と補償請求の状況

 2001年の「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」判決では、病歴者への隔離政策の誤りが中心であった。2019年6月28日のハンセン病家族訴訟判決では、ハンセン病歴者を超えてその家族に対する偏見・差別が国の責任によることが明確にされ、隔離政策を担った厚生(労働)省のみならず、文部(科学)省と法務省にも偏見差別を解消する責任が認められたことに意義がある。さらに判決は、隔離と偏見差別による家族関係の形成阻害を国の政策による被害として認めた。

 家族は病歴者の存在故に偏見差別に晒されたと思いつつ、病歴者を十分に思いやることができたのかという、罪の意識を抱いてきた。社会には、家族を・病歴者を見捨てた冷たい人間・とする見方が存在し、家族訴訟原告を、・加害者でありながら被害を主張する人々・とする議論さえ存在した。

 家族訴訟原告の尋問や陳述書での訴えは、家族が社会から受けた偏見差別のみならず、家族関係の形成阻害をも国の責任による被害として裁判所に認めさせ、家族補償法制定にもつながった。家族が補償を請求し、被害回復と、病歴者と家族との関係回復につながればと思う。しかし、報道では補償請求者数が予想の四分の一程度にとどまるという。

 

●補償請求の障害要因と促進要因

 欧米では、排除するのではなく社会の一員として早期の治療を受けられるようにすることが患者のみならず、公衆衛生上も重要だとされた。これに対し我が国ではハンセン病歴者を国の誇りを傷つける国辱である恐い病気にかかった者として、官民挙げて社会から排除の対象とした。加えて、誤りを認めない医療と政策当事者のため、らい予防法の廃止が遅れ、病歴者や家族は排除されてもやむを得ないと思わされてきた。その結果、他の家族を守るため、子が療養所に入所したことを家族にさえ語らない親、病歴者である子に「関係を切る」と言う親、病歴を配偶者や子どもに語らない病歴者、結婚に際して病歴者であるきょうだいの存在故に破談となり関係が悪化したきょうだい、未感染児童保育所で保育士から病歴者である親に「接触するな」と言われた子どもたちなどがいた。このようにして家族関係が破壊された家族は補償請求をしないし、病歴者が声をかけても自らの家族への偏見・差別を含む不安のために補償請求をためらう。さらに一度、請求の意思を示しながら、コロナ報道と感染症への周囲の恐怖感から、請求を取りやめた家族もいた。また、結婚に際し、配偶者に病歴者の存在を秘した人は、病気が怖くないと理解した後も、配偶者を信じていなかったととられることを恐れ、話をためらう、といったことが多々ある。

 家族訴訟原告となり補償請求をするのはどのようなきっかけだろうか。一つは、病歴者と家族との関係がある程度維持された場合である。病歴者の声かけにより原告となった家族がとても多い。病歴者との関係が難しかった家族の場合、請求のきっかけになったものに病歴者以外の家族への思いがある。病歴者の父の存在に苦労の末、亡くなった母に代わって請求するという子や、夫の苦しみを知り請求するように促す妻などがいた。さらに未感染児童保育所で共に暮らした人の呼びかけで、一緒に請求に至る人もいる。

 このように立ち上がるきっかけは、人々の結び付きである。ところが、病歴者の家族は病歴者同士と違ってお互いのつながりがない。そのため自分の被害を全体の中で位置づけることもできない。家族が自分の被害に気づき、その被害は国の誤った政策のせいであることを知ってもらうことがとても大切である。

 

●偏見差別と私たち

 偏見差別は、国によって作られたとしても、その偏見を持ち、差別を行うのは社会、つまり、その構成員である私たち一人ひとりである。社会に作られた偏見・差別を、判決は「社会構造」と述べた。これをどうするかが、私たちに問われる。

 ハンセン病は、恐れる必要のない・普通の・病気とされる必要がある。しかし、私も小さいとき映画『ベン・ハー』を見た影響で、長い間恐い病気と思い続けてきた。感染症は歴史的にも社会防衛による排除に結びつきやすい。それを超えるのは知識、排除された人の思いへの理解、そして誤りを乗り越える意思と経験だと思う。HIV訴訟の原告が私の事務所に来て帰った後、私は彼が口をつけた湯飲みを一生懸命洗った。でも二回目からはなんともなくなった。ハンセン病後遺症が重かった全生園医療過誤訴訟の原告が私の事務所に来たとき、最初は周囲からどう見られるかが気になった。でも、原告の生き様から私自身が励まされた。誤っているという知識はとても大切だが、その人の思いを理解し、正しいと思うことをする意思と経験が、より大切だと思う。彼らが立ち上がるには、私たちが経験するよりも遙かに勇気がいるのだ。

 原告は、法廷や国会に集まる人々に励まされたという。でも、人々は原告の勇気に励まされているのだ。家族は、社会に対する不安を持ちながらも、支えてくれる人々を信じようとしている。人間を信じて、人とのつながりを作ることが最も大切なことであり、社会構造を変える勇気ある自立した人間を作るのも、人とのつながりだと思う。

 

《ことば》
「名前、覚えたよ。また来年ね」

 

 ある回復者の方はそう言って、私の手を握り、笑顔で見送ってくれた。あれから二年が経とうとしている。

 岐阜と高山、大垣教区は、合同で毎年春に邑久光明園・長島愛生園(岡山県)を訪問し、特に岐阜県出身の回復者の方との交流を続けてきた。冒頭の言葉は、一昨年の時のものだ。しかし、昨年は新型コロナウイルスの感染拡大のために中止となった。今年も難しいだろう。現在、療養所は回復者の方がコロナウイルスに感染しないよう、外部の人が入ることを制限しているからだ。

 思えば、国によるハンセン病患者への隔離政策は、人と人とを分断し続けた。それは、家族のつながりさえも奪った。療養所の納骨堂には、亡くなっても故郷に帰れない人たちが眠っている。

 一方で今、国や自治体、マスコミ、専門家はコロナウイルスの感染拡大を防ぐため、三密回避やソーシャルディスタンスを連日呼び掛けている。このため、人が同じ場に集い、語り合うことが困難になっている。しかし、人と人との分断を許してはならない。かつての過ちを繰り返してはならないのだ。療養所に行けなくても、どのような交流ができるのか。その方法を模索したい。

(「ハンセン懇」広報部会 稲葉亮道) 

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2021年2月号より