2016年、国のハンセン病隔離政策のため、患者の家族も差別や偏見の被害を受けたとして、家族らが国に謝罪と損害賠償を求めた「ハンセン病家族訴訟」。裁判の本人尋問で証言した、沖縄本島中部在住の原告女性に話を聞きました。女性は30代。「同じ世代にも残る偏見や差別を少しでもなくしたい」と訴えています。

 

私がいま伝えたいこと

ハンセン病家族訴訟原告

 

●幼いころの記憶、そしてハンセン病問題との出会い

 私は4人きょうだいです。母は私たちへの差別を心配して、自分自身の病気や経歴を全く話しませんでした。でも、地元の人たちは母の病気を知っていたんですね。私が近所の友だちと遊ぼうとすると、その友だちの親に、「一緒に遊んだら駄目」と引き離されたんです。それ以来、その子からは「ばい菌」「近づくな」と、きつい言葉が投げつけられました。ですから、子どもの頃は一緒に遊ぶ友だちがいませんでしたね。「なんで私たちだけ仲間外れにされるの?」と母に聞いても答えてくれるはずもなく、理由はずっとわからないままでした。

 母は、私が小学生の頃、きょうだいも連れて一緒によく沖縄愛楽園(沖縄県名護市)に行っていました。私は、「あぁ、母はここにいたんじゃないかなぁ」と次第に思うようになりました。多分、入所していた時の友だちに会いに来ていたんでしょうね。家族訴訟が始まった頃に、「心の平穏を保つためだった」と当時の思いを話してくれました。

 ハンセン病のことを知ったのは中学一年生の頃でした。愛楽園のことをインターネットで検索してようやくわかりました。これまでの謎が解けたような気がしましたけど、いままで口を閉ざしてきた母の思いを考えると、直接聞くことなんてできませんでしたね。

 高校では放送部に入ったんですが、そこは毎年、NHKの放送コンテストに作品を出品していたんです。ちょうど2002年頃で、「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」で原告が勝訴した後でした。私は母の病気のことを薄々気づいていたということもあって、作品のテーマを「ハンセン病」で提案したんです。同級生は「ハンセン病って何?」っていう感じでしたが…。結果として、ラジオとテレビのドキュメンタリー部門で賞をいただきました。入所者や退所者の方からのインタビューを収録した映像は90分テープが20本くらいになりましたね。その活動を通して初めてハンセン病の回復者の方の思いや実際の生活を知ったんです。

 

●家族訴訟の原告になって

 母が病気のことを打ち明けてくれたのは、「ハンセン病家族訴訟」が提訴される直前でした。弁護団が原告を募っているということを聞かされました。母からは、「原告になってほしい」と言われ、「今も残る差別をはねのける力をつけてほしい」と言われました。母は私たちが病気のことを全く知らないと思っていたようですから、打ち明けるのもずいぶん迷ったみたいで、勇気を振り絞ったんだと思います。私が「ずっと前から病気のことは知っていたよ」と言ったら、母は拍子抜けしたというか、肩の力がすっと抜けたようでした。母と病気の話も含めていろいろな話ができるようになったのは、この頃からです。母と話をしているうちに、今も残っている偏見や差別を少しでもなくしたいという気持ちが強くなって、原告になる決意をしました。ですから、裁判が始まって弁護士さんに「本人尋問で話しませんか?」と言われた時、すぐに引き受けましたね。

 私は30代ですが、若い世代はハンセン病について知らない人が多いんです。知らないからこそ、偏見や差別が根深く残ってしまっていると思うんです。裁判を通して、私たち原告一人ひとりが壮絶な差別の被害を語ってきました。このことが勝訴につながったと思います。

 

●裁判から一年以上経って思うこと

 でも勝訴したから終わりではありません。原告団、弁護団ともに家族関係の回復を大きな目標にしてきましたが、そのことが一番難しいと最近は感じています。私の母も含め、配偶者に言えなかったり、周りに知られて今の生活が壊されてしまうかもしれないという恐怖から、補償金の請求をためらう方が大勢いらっしゃいます。最近では、母との間に感じていた壁が少し低くなった印象はありますが、話す言葉を選んだり、言いよどむ姿を見ていると、家族の関係を本当の意味で回復させるのはまだまだ時間がかかるのかなと思います。回復者の家族として、いまだに残るハンセン病への偏見や差別をどのように世の中の人々へ伝えられるかを日々考えています。

 

(聞き取り:「ハンセン懇」第六連絡会)

 

《ことば》
「差別は決して過去のものになっていない」
黒坂愛衣さん
(東北学院大学准教授)

 

 2019年9月に富山で開催された第11回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会の基調講演に『ハンセン病家族たちの物語』の著者、黒坂愛衣氏が登壇された。ハンセン病にかかった家族を持つ人たちもまた、肉親を奪われ差別を受けてきた。ハンセン病元患者の家族に対して国が謝罪してもなお、家族だとは名のれないという方が多くいるという。そこには未だに根強く残っている差別偏見の実態がある。そして「実際に差別をしてきたのは私たち市民の側だという事実を真摯に受けとめなければならない」という言葉が私に突き刺さってくる。

 今、新型コロナウイルス感染拡大の不安が、人々を分断と差別の行動に駆り立てている。「病」そのものとは別の苦しみを引き起こしてしまう痛ましい現実が浮き彫りになっている。差別は決して過去のものでも他人事でもないのだ。

(大聖寺教区第一組燈明寺 冨樫誓子)

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2021年3月号より