伝道掲示板 

生のみが我等にあらず 

 

死もまた我等なり 

 

『清沢満之全集』(清沢満之)


 

伝道への思い

 

「昔は伝道掲示板の必要性を感じませんでした」と前住職の加藤宦(まなぶ)さんは笑ってお話しされた。昔の林西寺では冬の聞法会が開かれていて、「正月の四日からお彼岸まで毎晩五、六十人のお参りがありました。冬の山ですから猛吹雪の日もありましたが、それでもおいでになります。それくらい熱心に仏法を聞いておられましたよ」と、当時を懐かしまれた。聞法の機会がふんだんにあったからこそ、伝道掲示板の必要性を感じなかったそうだ。

01住職の彰教さん(左)、前住職の宦さん(右)
住職の彰教さん(左)、前住職の宦さん(右)

しかし昭和五十年代になりダムやスキー場などの開発が進むと、若い方々は仕事に追われるようになったという。足しげくお参りされていたご年配の方々も次第に亡くなり、やがて冬の聞法会はなくなってしまった。そんな時代の変遷を経て、蓮如上人五百回御遠忌が厳修された一九九八年頃、伝道掲示板の活用が始まった。

 

伝道の言葉は宦さんが書かれており、「曽我先生と清沢先生のお言葉を主体にして仏法を聞いてきましたので、先生方のお言葉を書くこともあれば、自分なりにお言葉を咀嚼して書いたりもします」とのこと。「わからん。と言われることもあれば、言葉の意味を聞かれたりもします。そこから会話が生まれるのが楽しいですよ」と、語る宦さんが書く言葉からは、冬の聞法会から今に続く、伝道への一貫した思いを感じた。

 

ひとつひとつが丁寧に書かれていた
ひとつひとつが丁寧に書かれていた
掲示の一部、由緒と法語と新聞記事
掲示の一部、由緒と法語と新聞記事

林西寺の掲示は伝道の言葉だけではない。お寺と白山下山仏の由緒、林西寺の行事が掲載された新聞記事など様々だ。住職の彰教さんに掲示板についてお聞きしたところ、「お寺の行事や活動、歴史を知っていただけたらと思っています。そういった情報発信も、これからの時代には必要なことではないでしょうか」とのことだ。続けて伝道への思いをお聞きすると、「最近気になるのは、わかりやすく道徳的な言葉がよく扱われていることです。仏教の言葉というと、そこに答えがあるように思われがちですが、お寺は問いが生まれ、深まる場所ではないでしょうか。一見わからない言葉でも、そこから問いをもっていただくのが、伝道という言葉の意味だと思います」と語ってくださったのが印象的だった。わかりやすい言葉で伝えるのはとても大切なことだ。しかし一見難しい言葉だとしても読み手を信頼し、問いが生まれることを願い伝えることも、同じく大切なことなのだと気づかされた。

 

林西寺の掲示板はお二人の思いと伝道意欲が様々な掲示となり、それらが同居することで形成されている。掲示板を見ていると、私自身の伝える姿勢が問われているのを感じた。

 

(小松教区通信員・松永 悠) 

 

『真宗』2021年5月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:小松教区第二組(住職 加藤彰教)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。