向けられている願い

「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」第5連絡会チーフ 福田了樹

 

●林力氏のお話

 2020年12月25日、教区改編に伴い発足した九州教区解放運動推進協議会の結成総会が開かれた。その記念講演として、ハンセン病家族訴訟原告団長の林力氏をお招きし、お話を伺った。林氏は1924年生まれの96歳というご高齢ではあるが、その口調は力強く、ご自身の幼少の頃を思い返しながら、これまでの生涯を凝縮してお話しいただいたように思う。

 母は、私が小学生の頃、きょうだいも連れて一緒によく沖縄愛楽園(沖縄県名護市)に行っていました。私は、「あぁ、母はここにいたんじゃないかなぁ」と次第に思うようになりました。多分、入所していた時の友だちに会いに来ていたんでしょうね。家族訴訟が始まった頃に、「心の平穏を保つためだった」と当時の思いを話してくれました。

 林氏のお話は、小学校6年生の夏休み最後の日から始まった。父親がハンセン病を発症し、家を去ることになったのだ。父からそれらの説明はなかったが、家を出ていくということは雰囲気でわかった。林氏は人前で泣いてはいけないと思い、トイレに隠れて泣いていたが、外に出た時には父の背中しか見えなかった。「お前まで見送らないのか」との父の声に、母も見送っていなかったことに気づいた。その数日後、何の前触れもなく6人ほどの白装束の男たちがやって来て、無言のまま屋根を剥ぎ、床を剥ぎ、植木や池にまで白い粉を撒いた。翌日からは学校で「くされ」と罵られ、なぶりものにされた。その後、林氏は九州大学病院に連れて行かれ、医師が集まる中で裸にされ、全身に針を刺された。全ての診察が終わり、医師から「大丈夫でしょう、恐らく感染していません」と言われて、初めて父が病気であることがわかった。

 林氏は、父から死ぬまでずっと手紙をもらったそうだ。手紙は広告の裏といった粗末なものに書かれていたが、すべて消毒液のきつい臭いがして怖かった。感染するかもしれないという恐怖から、読んだら燃やすか捨ててしまったが、手紙には「縁を切っていい」「名前を変えていい」「父を隠せ」との言葉が並べられていた。当時はそれを当然のことだと受け取っていた。林氏の父が入所した星塚敬愛園(鹿児島県)では、当時は園長が警察権をもっていた。そのため、有無を言わさず懲罰や投獄をされることもあり、医師や職員に理不尽なことを言われても従うほかなかったという。戦後になると園の自治を自治会が担うようになったが、人間関係はいびつなままであった。林氏の父は、園に心の依りどころが必要であるという思いから、お寺の建立を思い立ち、曲がった手で何千通も手紙を書いて募財を募り、1957年、ついに星塚寺院を建立することとなった。

 父親の死後も、林氏は父のことを隠したまま教員生活を続けていた。しかしあることから被差別部落の方々に出会い触れ合っていく中で、林氏はなぜ父を隠すのかと気づかされる。そして1974年6月、自著『解放を問われつづけて』にて父のことをカミングアウトした。林氏の「恥でないことを恥とする時、それは本当の恥となる」との言葉がとても印象深い。林氏の人間観、教育観、その背景にはいつも父がいた。父を憎み、この人の子に生まれてこなければと思うこともあったが、今では「父ありてこそ」の人生であったと思う、とお話しいただいた。

 

●終わらないハンセン病問題

 私自身、林氏の話を聞くのは3度目だったが、聞くたびにハンセン病に対する偏見の異常さと、差別を受けてこられた方々の痛みの一端を垣間見ることである。特に父親についての話は、思い出しながら話されるためか毎回違うエピソードを聞くことができ、当時の思いや心境の変化などが伺えた。しかし、今もなお苦しみを打ち明けることができず、隠し続けたまま暮らしている方も多くいる。その痛みや悲しみは、私たちでは推し量ることができない。

 ハンセン病問題は過去のこととして受け取られがちだが、決して終わったわけではない。かつて大谷派も「療養所へ隔離されることがあなたたちの救いになる」と謳い、無らい県運動に無自覚に加担し、その被害を拡大させた責任がある。「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」で勝訴判決が出た後、ある僧侶が退所者の方に「あれから何か変わりましたか」と尋ねると、「変わらなきゃいけないのはあなたたちでしょう」と問い返されたという。私たちは被害者の側に身を置き、心に寄り添うという言葉を答えのようにして、あたかも痛みを分かち合えているような錯覚を生んでいた。ハンセン病問題を過去のものにしてしまっているのは私たち自身ではないか。過去の過ちを繰り返さぬよういかに歩んでいくのか、今まさに問われている。

 

●私たちに向けられている願い

 今日の新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、「感染症法」などが改正され、その中に罰則規定が盛り込まれた。これに対し、1月29日に宗派より声明が出されている(本誌3月号4頁掲載)。宗派声明は、感染拡大の防止自体に反対するものではないが、罰則を伴う改正はかえって治療の拒否や病歴を隠すなどの恐れがあり、さらなる感染拡大の可能性や、排除や分断の思想・感情の増幅に繋がりかねない、と危惧している。ハンセン病における強制隔離政策によって患者やその家族にまで病とは別の苦しみを与えてきた歴史が、また繰り返されようとしている。

 林氏は講演の最後に、「差別をしようと思ってしている人間はあまりいない。差別になっている、しようと思っていないけどなってしまっている。・おれは差別していない者・、そうかもしれないが、・差別になっているのではないか・という問いかけによって、差別認識が一歩深まっていくのではないかと思います(取意)」と述べられた。私たちに抜けている視点ではないかと思う。差別をしないということは大前提であるが、私たちの中にある差別心は時としてふと現れる。それは言葉を通して、表現を通して、行動を通して、意図せずに現れることがある。その時に差別ではなかったかと立ち止まることができるか否かは大きな違いであるだろう。私たちは他者に対して厳しい目をもっているが、自分に対しては目を瞑(つむ)り曖昧にしてしまう。自分が発した言葉や取った行動によって、痛みを感じる人がいる。その人たちに気づき、一歩踏みとどまり、振り返れるかどうか。「差別になっているのではないか」という問いかけを自分自身に向けることができるかどうか。そのことを忘れることのない歩みが願われている。

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2021年4月号より