寺に託された願い(楠 信生)

日常を失う

昨年の正月に、新たな感染症が見つかったというニュースがありました。それが結果的に、世界中の人々にとって脅威のものとなるとは、一部の専門家は予期したかもしれませんが、だれも想像しなかったのではないでしょうか。日常が変わり、真夏の炎天下で日本中の人がマスクを着けて街を行き来することなど、考えてもみなかったことです。新型コロナウイルス感染症のため、大切な人を亡くした方、罹患し退院後も体調不良で苦しんでおられる人、感染症流行の影響で職を失い経済的に困窮しておられる人、多くの方々がいろいろな場で思いもよらぬ現実に苦しんでおられます。

そして、東日本大震災から今年で十年になります。二〇一一年三月十一日が、大勢の人にとって家族を失い、職場をなくし、故郷を奪われるという、悲しみの始まりの日となりました。被災された方々にとって、失われた日常という言葉で一括りにすることもできない、苛酷な現実を生きざるを得ない十年の歳月であったことは想像を超えるものです。

震災と原発事故の直後に、私たちは宗祖の七百五十回御遠忌法要をお勤めしました。御遠忌は、生涯に一度会えるかどうかという法要です。震災以前は、一人でも多くのご門徒にとって、親鸞聖人とのさらなる出会いのご縁となることを願うという心持ちでした。しかし、ニュースで幾度も見る津波は、このようなことが起きるのか、という驚きを心に焼きつけるものでした。同時に、報道されていない悲惨な現場を現地で直接かかわった方々から聞いたことは、想像を絶する被災地の厳しい状況でした。改めて、自然の厳しさと人間が作った原発の安全神話の危うさを知らされました。震災後の凄惨な光景が脳裏を去来する中での法要は、何を考え何を願って勤めるのかという、法要の意味を考えさせられるものとなりました。

震災で掛けがえのない人と場を失われた方々にとって、戸惑いながらも懸命に生きてこられた十年。今はまた、新型コロナウイルス感染症で、マスクをして人との距離を取ることが必要となり、これまで大切にしてきた人と人とのかかわりの日常を大きく変えて生活せざるを得ない状況に置かれています。このような中で私たちは、二〇二三年に宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年の法要を迎えることになります。環境が厳しくなればなるほど問うことが多くなる中で、私たち自身がどこに立って何を願って生活しているのかを教えに尋ねながら明確にしなければなりません。

同朋会運動の伝承の中から

昨年は、曽我量深先生五十回忌、蓬茨祖運先生・仲野良俊先生の三十三回忌の年に当たりました。申すまでもなく御三方は、同朋会運動を教学・教化の面で導き支え、労をいとわず出講してくださった先生方です。曽我先生が病に伏せられる前年であったと思いますが、高倉会館の日曜講演を拝聴することができました。満席で、後ろに大勢立って聞いているという様子です。講演の内容は理解することができませんでした。ただ、先生と聴衆が一つになったその場の空気や自分が立っていた場所まで、五十年経った今も忘れることはできません。それは当時の先生方がご出講くださった場における、先生と聴衆との呼応関係の中で、念仏の教えに生きる人の力が伝えられたのであると、今にして思うことです。

同朋会運動は、いろいろな場や形で展開されてきました。私の所属寺の地域(組)で一昨年、九十三歳の前住職が亡くなられました。その方は、教区内でも組内でも特別目立った活動をされた方ではありません。もっぱらご門徒宅での法務を勤めながら、頼まれては立花や法話に出向くという方でした。しかし特筆すべきは、住職を勤められていた四十年ほどの間、年四回ハガキで寺報を出し続けられていたということ、そのお寺の報恩講では、ご門徒が担当の場で活き活きと動いておられるということです。ご門徒にとって、寺が大切な場になっているのです。そしてその関係性をこそ、その前住職さんは大切に生活しておられることを感じさせていただきました。

私たちは何事も対策を先に考えがちですが、常日頃、何を願い何を伝えようとして寺院での生活をしているのかが重要です。同朋会運動はその活動が外部から注目されるされないということではなく、ご門徒のところに親鸞聖人の教えが伝わってこそのものであります。

初めの願いに帰る

同朋会運動は、親鸞聖人と同一の信心を得て、あらゆる人を同朋と見出していこうとする運動です。具体的には、親鸞聖人の教えを本当に頂く生活をしているのかを内に問い、正しい信仰生活を世に明らかにしようとする運動であると言えます。その意味で、新型コロナウイルス感染症流行の影響で寺院の運営そのものが厳しい状況に晒されている今、内に信を問い、外に真実の信の生活を明らかにする使命が寺院にあることを思います。この原則を抜きに、寺院の経営についてのみ憂慮するありさまは、同朋会運動の願いとかけ離れるだけでなく、ご門徒が聞法の道場として寺に託された願いにも悖(もと)ることになるのではないでしょうか。

道場建立の願い

寺院といっても立地状況、歴史、門徒戸数の多少など、いろいろな違いがあります。しかしどのような寺であっても、真宗寺院は聞法の道場ということを願いとして建てられたのではないでしょうか。教えを伝えることを目的に寺院の建立を願ったにせよ、そのもとには、自らが教えを聞いたことが根幹にあるに違いありません。今は感染症流行の中、仏事の簡略化・省略、門徒との関係性の希薄化、寺離れなど、心配は尽きないかもしれません。しかし人間である以上、宗教感情そのもの(怖れと不安も含めて)は変わることはありません。だからこそ、親鸞聖人が「五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり」(『正像末和讃』、『真宗聖典』五〇三頁)と詠われたこころに聞きつつ、真宗寺院建立の願いを確かめなおす時であると思います。感染症に不安を抱きながらも、聞法の場が開かれ続けることを願ってくださっている方々の心を私たちの力に変えていくものが、教えに依るということなのです。

教団の存在

教団組織の存在も申すまでもなく、教えを受け伝えるために尽くすということが基本です。教えは一人で学べるものではありません。古来、独りで仏法を修得するものを独覚と教えられてきましたが、独覚は自ら関係性を持つことが出来ない仏教者です。蓮如上人が、

わればかりと思い、独覚心なること、あさましきことなり。信あらば、仏の御慈悲をうけとり申す上は、わればかりと思うことは、あるまじく候う。触光柔軟の願候う時は、心もやわらぐべきことなり。されば、縁覚は、独覚のさとりなるが故に、仏にならざるなり。(『蓮如上人御一代記聞書』、『真宗聖典』八七二頁)

と述べておられますが、独覚は、縁起の理法を悟りながら人間関係の縁を知ることがないという、矛盾に気づかぬあり方です。真宗教団の一員たることは、我一人心得たということなく、教えを聞く朋を自身の宝として大切に思って生きるということであります。そしてその朋が困っていることがあれば、できる限りのことをするのが教団人であることの意味でありましょう。

助け合うべきこと・助け合えること

教団は、僧伽に帰依した精神で共につくる場です。言い換えると、念仏の教えの尊さに深くうなずいた人々によって、教団は形づくられるものでありましょう。帰依三宝の心が一つであるからこそ、助けたいというこころが起こります。助けたいというこころが起こるのも、助けられたということがあってのことではないでしょうか。

私たちの生活は矛盾に満ちております。人間の分別に立って真なるものを厳しく求める時、絶対的な矛盾に耐えられません。そこで、矛盾を解消することのみが善であるとしたり、目を背けたりします。親鸞聖人が「五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば」という言葉で私たちに伝えようとされたのは、浄土を願い、矛盾を人間であることの「痛み」として生きる宗教心でありましょう。そこに、為して誇る必要がなく、為せずして卑屈になる必要もなき世界が開かれるのではないでしょうか。

([教研だより(174)]『真宗』2021年1月号より)