生老病死をテーマに、仏教、浄土真宗、社会問題、平和、戦争、貧困、文化など企画展示を行っている〝しんらん交流館交流ギャラリー

 

 

「親鸞聖人と本廟創立ー小早川好古が描くー」

 

●期 間:2021年9月1日(水)~11月15日(月)

 ●休館日:毎週火曜日

※緊急事態宣言中は、土日休館、平日は17時までとなっております。

●会 場:しんらん交流館一階ギャラリー

●協 力:鳥取県日南町美術館

小早川好古表面小早川好古裏面

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 昭和初期から戦後にかけて多くの宗教画を手掛けた日本画家の小早川好古は、1888(明治21)年、小早川鐡僲とこうの次男として生まれました。本名は景若丸といい、兄は日本画家の小早川秋聲です。好古は幼少期、父鐡僲が真宗大谷派(東本願寺)の経理職についていたため、京都で過ごしました。

 1895(明治28)年には得度して光德寺の衆徒となり、その後、真宗京都中学校(現在の大谷中学高等学校)に入学し、1906(明治39)年に卒業するなど、幼い頃から親鸞聖人の教えを学ぶ機会に恵まれていました。その後、好古は京都絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)を首席で卒業し、教師をしつつ、京都で宗教画などを描いていました。そして、1961(昭和36)年の宗祖親鸞聖人700回御遠忌法要にあわせて、東本願寺の大谷婦人会館を建設するこことなった際に、大谷婦人会から好古に親鸞聖人のご生涯をテーマとした作画を依頼しました。

 当時の大谷婦人会事務長であった常本憲雄は、館内で親鸞聖人のご生涯をめぐることができるよう、大谷婦人会館の各部屋の名称を「日野の間」「比叡の間」「磯長の間」「吉水の間」「国府の間」「越路の間」「稲田の間」と名付けました。そして、好古に依頼した親鸞聖人の絵が出来上がって設置された時、常本事務長は、「この会館は、極めて近代的な建築様式であるが、その骨肉となるものは、聖人へのつきせぬ思慕と渇仰とにあることが明らかにされた」と話しています。

 このたびは、大谷婦人会館から引き継がれた好古の絵画を味わっていただくとともに、親鸞聖人のご生涯を紹介します。

 また、あわせて、同朋会館に保管されている真宗本廟(東本願寺)の創立にかかる、好古の作品もご覧いただき、東本願寺に親しんでいただければ幸甚です。

 このたびは、東本願寺所蔵の親鸞聖人生涯5点と、真宗本廟(東本願寺)創立までの8点を展示し、描かれた絵から、親鸞聖人の生涯と東本願寺の歴史を紹介します。

  最後に、開催にあたって、鳥取県日南町美術館の浅田裕子様には多大なるご協力をいただきましたこと御礼申し上げます。

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 絵画のほかに、関連する書籍も置いてありますので、お手に取ってご自由に御覧いただけます。

 小早川好古の郷里鳥取県日野町の隣町日南町には、森の中に建つまちの美術館日南町美術館があります。小早川好古・小早川秋聲の作品を多数所蔵していますので、ぜひ訪ねてみてください。

 また、8月7日(土)から9月26日(日)まで、京都文化博物館にて、小早川秋聲の展示が開催されております。詳細は京都文化博物館公式ホームページをご覧ください。

 《鳥取県日南町美術館の公式ホームぺージはコチラ

 《京都文化博物館の公式ホームページはコチラ

〈小早川好古略歴〉

 1888(明治21)年生まれ。本名は影若丸。兄は日本画家の小早川秋聲。1895(明治28)年に得度。1906(明治39)年、真宗京都中学校(現在の大谷高等学校)を卒業。1919(大正8)年に京都絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)へ入学し1922(大正11)年、同校を首席で卒業。以後は師を持たず、在野の宗教画家として活動。代表作である大阪の叡福寺《聖徳太子伝絵》壁画をはじめ、数々の作品を残す。1971(昭和46)年京都にて83歳で死去。