世間の音楽 極楽の音楽
(梶 哲也 教学研究所助手)
私は趣味として、オーケストラでテューバという楽器を吹いている。金管楽器の中で最も大きく、低音を担当する楽器だ。年に二回ほど、京都のコンサートホールで演奏会を行う。
ホールで合奏したことがある人にならば肯いてもらえる話なのだが、舞台上で演奏する際、みんなで合わせて音を出そうとすると、発音のタイミングを指揮者や周囲の楽器と微妙にずらす必要がある。そうしなければ、たとえ舞台上でタイミングが合っていても、客席では音が揃わない。これは、客席に届く音の大半が、楽器からの直接音ではなく、ホールの壁や天井から反射した音であるためだ。また、楽器ごとの性質にもよる。弦、管、打それぞれの発音の方法や方向、音域の違いから、客席にオンタイムで音を届けるために必要な時間は、楽器ごとに異なる。だから厳密に言えば、指揮者の振る棒のタイミングに合わせて、誰も音を出そうとしていない。
指揮者も奏者も、自分の出す音がどのように客席に届くのかわからないから、最近は、リハーサルの演奏を客席で録音して確認することも多い。では、リハーサルの録音をもとにして本番も演奏すればぴったりと音が合うのかといえば、そういうわけでもない。客席に人が座れば、身体や衣服が音を吸収し響きが変わってしまう。だから、リハーサルと本番とでは、同じホールがまったく違う環境になってしまうこともままある。
このように舞台上の奏者は音がずれた状況で演奏しているのだが、上手く演奏できている時には、それがまったく不快ではない。そして不思議と、自分達の音が客席にしっかりと届いているという確信を舞台上で共有できる。なぜこのようなことが起こるのか、指揮者達は異口同音に、みんなが心を同じくして一つ自分達の奏でたい音楽をイメージできたからだという。
このように、世間では様々なテクニックや苦労を重ねて一曲の音楽を演奏する。しかも、私のようなアマチュアであれば、演奏後にそれなりの満足感を得るにしても失敗を悔やむことの方が多い。これは良かったと手放しに喜べる演奏などなかなか実現できるものではない。もし実現できたとしても、『無量寿経』によればその素晴らしさは、転輪聖王や天の伎楽に比べれば足下にも及ばないという。しかも、極楽の宝樹が奏でる音楽はその伎楽の千億倍も勝れており、その音楽は宝樹の枝を揺らす風によって、なんの技巧も衒いもなく自然に奏でられるそうだ。
本番前には緊張で手が震えお腹が痛くなり、なんでこのような思いをしながら演奏しようなどと思ったのか、と後悔しながら舞台に上がることもある。そんなわが身には決して実現できない音楽が極楽にはあるようだ。ただその極楽の音楽も、この世間と同じようにドレミソラという5つの音で構成されているらしい。良かった。音楽を構成する音が同じならば、どうやら極楽の音楽を想像してみることだけは可能なようだ。
(『ともしび』2025年1月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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