「星塚寺院にご縁の方々を偲ぶ会」に参加して
九州教区善正寺住職 田中 一成
鹿児島県鹿屋市にある星塚敬愛園には、ハンセン病家族訴訟原告団長の林力さんの父親で、敬愛園の入所者であった故山中五郎さんの発願により、1957(昭和32)年に建立された浄土真宗星塚寺院があります。山中さん亡き後も、その願いを受け継がれた真宗同愛会の皆さんによって、星塚寺院は入所者の拠り所として護持されてきました。そして、多くの大谷派僧侶も星塚寺院を訪れ、入所者の皆さんとの交流を深めてきました。しかし、入所者数の減少と高齢化に伴い、星塚寺院の存続が危ぶまれる現状を受け、2017年に入所者や退所者および家族、園職員、東西本願寺の僧侶などの有縁の人たちによって、「星塚寺院に集う会」が結成され、除夜の鐘など様々な活動が行われてきました。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大によってこの数年開催できなかった「集う会」でしたが、園内への立ち入り制限が緩和されたことで、2024年4月18日に「星塚寺院にご縁の方々を偲ぶ会」として開催され、星塚寺院に全国各地から30名ほどが集いました。御本尊の前に、ここ5~6年の間に亡くなられた8名の入所者の方々の写真が並べられ、最初に勤行があり、参加者でお焼香、黙祷、献花が行われました。事前には入所者の参加は難しいとの話でしたが、数名の入所者と職員の方も急遽ご参加くださいました。
その後、八名の方々とご縁の深い参加者がそれぞれの思い出を話されました。会の発起人の一人である鹿児島組本覚寺の寺本是精さんは、2023年7月12日にご命終された上野政行さんとの思い出として、「「やまもみじ」が語りかけてくること」と題して自身が綴られた文を読まれました。
私の住む寺の境内に高さ5メートルを超える「やまもみじ」の樹が植えてある。「やまもみじ」がここに来て6年位の時が過ぎただろうか。国立療養所鹿屋星塚敬愛園在住、上野政行さん宅の庭にあったものを移植したものだ。
上野さんとの具体的なお付き合いは20年に近い。その頃、拙寺にも遠路ご来寺をいただき、寺に集うた御門徒・有縁の方たちに「上野さんの人生」を語っていただいた。昨日のことのように記憶が鮮明である。「夢の夢、夢のなかまた夢…」と語り始められた上野さんは、後日その時のことを「私の社会復帰の始めであった」と語られていた。
でも、その間に上野さんらが第一次原告となったハンセン病国賠訴訟で完全勝訴、後年、ハンセン病基本法も施行された。熊本県黒川温泉ホテル宿泊拒否事件も起こったりしたが、解決できない問題が山積しつつも、社会との交流は格段に増えた。しかし、それから数年が過ぎ、上野さんは、ハンセン病を共に生きた最愛の伴侶則子さんを浄土におくった。星塚寺院同愛会の御同行であった。
生前のお二人の会話に「ここ(療養所内上野邸)が則子との終の棲家だからね」と、確かめるように優しく則子さんに語りかけていたことを、居間に上がり込んだ私は再々聞いたことである。おそらく居間から見える「やまもみじ」を眺めながらその成長に目を細め、時には焼酎も飲みながら「やまもみじ」を愛でていたに違いない。
多くの男性が「結婚」に際し、断種を強要された。そして、女性たちは妊娠が発覚すると強制堕胎させられた。「黒髪の可愛らしい赤子だった」との証言もある。それらの多くの人たちは、わが子の代わりに、ある人は愛らしい人形を求め、ある人は幼子の衣類を求め、そして上野さん夫妻は「樹木」にわが子の成長を託したのだ。
則子さんの死去後、上野さんは終の棲家と誓った家とその庭を離れた。居住を許されぬ、離れざるを得ない園の方針に従ったのだ。看護師と廊下で結ばれた「管理棟」に居住せしめられたのだ。四十年慣れ親しんだ上野邸が解体、整地されるのに10日もかからなかった。
引っ越しのしばらく前に「寺本さん、樹を貰ってくれんな」と力なく語られていたことが忘れられない。どんなに胸の痛む、身を切る、切ない思いであったのだろうか。想像することも辛い。
そして「やまもみじ」も又・ふるさと・を追われ、遠く離れた寺の境内に植えられ、第二の人生を今、生きている。折に「やまもみじは元気?」の会話になる。「はい、元気ですよ」と応えている。
「やまもみじ」が語りかけてくる歴史も、また、「らい予防法」強制隔離政策の象徴なのである。そして、上野さんもまた老いた。
短歌を二首紹介したい。
田草取る さなかを吾は 強いられて 此の療園に 収容されき (21歳)
強いられて 受けし断種を 老いて思う 吾を限りの 命かなしも (23歳)
上野さんは、提訴の折(1998年)、「人生被害」の過酷さと「らい予防法」の過ち、そしてその只中を「人間の誇り」を失わず生きた証を短歌で表現し、国と社会とそこに生きる私たちを告発した。短歌の一首一首が、色あせることなく重く、しかし美しさを放つ。短歌とその余白を通して、上野さんの93年の「人生」を想像することは可能か。私たちに問われている。
私も過去数回、上野邸に上がらせてもらったことがありますが、「やまもみじ」の話を聞くことはありませんでした。次に鹿児島に行くときには寺本さんのお寺の境内に立つ「やまもみじ」に遇いに行きたいと思います。そして、「やまもみじ」にこめられた上野さんと則子さんの願いに遇い、強制隔離がなければ生まれてきたであろう多くの命があったことを忘れてはならないと思っています。
山中五郎さんが願われて建立された星塚寺院。上野さんは星塚寺院の善知識と山中五郎さんを慕われていました。この星塚寺院に集い、その願いを受け継いで来られた上野さんをはじめ、多くの方々の思いは、ご縁をつないで今私に問いかけているように思います。
「ともしびを絶やすな」と。
真宗大谷派宗務所発行『真宗』2025年1月号より